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映画批評etc

映画の感想ではなく批評
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WALL・E/ウォーリー

2008年12月28日 | 映画(ア行)


監督 アンドリュー・スタントン
製作総指揮 ジョン・ラセター他
脚本 アンドリュー・スタントン

あらすじ
舞台は29世紀。人間は、汚染され尽くした地球を捨て、宇宙船で生活している。
量産型のゴミ処理ロボットであるウォーリーは、人類が地球を去ってから700年間、何があっても、仲間たちが壊れて動かなくなっても、ただ黙々とゴミを圧縮し、積み上げ、塔を建て続けてきた。 
ある日、上空から巨大な宇宙船が着陸し、中から白く輝くロボットEVE(イヴ)が現れ、周囲を探査し始める。いくつかの誤解や軋轢の後、やがて二人は仲良くなるが、ある時、WALL・Eの宝物の一つを見たEVEは、突然驚いたようにそれを収容すると、そのまま動かなくなってしまう。数日後、あの宇宙船が戻って来て、EVEを回収してしまう。WALL・EはEVEを追いかけ、宇宙船にしがみつき、宇宙へと飛び出す。


寸評
作品の至る所に、PIXERブランドの印は押されている。
実に「らしい」場面は各所に散りばめてある。

舞台は超未来。
地球はゴミだらけで、廃墟と化している。
既に人は住めず、ロボットもウォーリーしか住んでいない。
人間は肥え太り身動きすらままならない。

絶望的な世界観である。
にも拘らず、ウォーリーは実にテキパキと、時に好奇心旺盛に働いている。
台詞は殆ど無い。

生き生きとした健気なウォーリーはPIXERならではのキャラクターである。
自分の仕事中に見つけたガラクタコレクションをイヴに見せてあげる。
機能停止しちゃったイヴの面倒を必死で見てあげる。
回収されるイヴを宇宙まで追っかけていっちゃう。

どうにも駄目な奴だが、人間は根源的に駄目な奴の味方である。

しかし。
宇宙に行くと世界が変わってしまう。
退化した人間の姿は実に醜い。
全員がブクブクブヨブヨのデブで、満足に自分のことが自分で出来ない。
オートメーション化された環境で生きるブクブクに太った人間は、大量消費と使い捨てが好きで「もったいない」の概念を最近知った現代のアメリカのカリカチュアライズした姿である。
そんな風になっちゃいますよ、とでも言いたげである。

テーマは複雑になる。
スケールは格段に上がっている。
荒廃した地球と完全にオートメーション化した宇宙船との対比は凄まじい。
要はここで子供向けではなくなっているだろう。
色合いはアメリカ的に明るいが、暗い未来の展望が示される。

以上のように本作は、単純な作品ではない。
分かり易い部分は分かり易いが、エンターテインメント作品ではあるが、テーマは深く且つ重い。
すなわち、エンタメ要素がやや抑え目である。
従って、子供向けではないとも思う。

蛇足だが、キューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュがされている。
子供が知ってるわけない。

ラブ・アクチュアリー

2008年12月23日 | 映画(ラ行)
監督
リチャード・カーティス
出演
ヒュー・グラント
リーアム・ニーソン
エマ・トンプソン
アラン・リックマン
キーラ・ナイトレイ
ローワン・アトキンソン

あらすじ 
クリスマスのロンドンを舞台に、19人の男女の様々なラブストーリーを同時進行で描いていく。ヒュー・グラント、キーラ・ナイトレイ等豪華キャストの集結も見所。

寸評   
クリスマスに楽な気分で映画でも見るか、というノリには適した映画である。
本作はどこにでもあるありふれた「LOVE」を描いた作品といえる。
すなわち、少年の片思い、不倫、友人のフィアンセへの横恋慕、言葉の壁を越えた恋、首相と秘書の秘密の恋、etc。
どれもが深刻ではなく、サラリと薄味である。
極言すれば受け手側に集中を求めない、軽い作品である。


アメリカ人の描き方が極端である。
大統領は極端に手が早い。
英国ではさっぱりモテないダサダサ君が米国では激モテになる。
英国の空気なのだろうか。我々には理解に苦しむ。

多数のエピソードが同時進行するので、日本人にとってはこれは誰だっけ?みたいになる可能性はあるだろう。英国では多分全員有名人なのでそんなことはないんだろうが。

この映画が楽しめない可能性があるのとしたらそのくらい。
あとは個々のエピソードに共感を覚えるか否か。
要は面白いと思うか思わないか、に集約される。

同時進行型のスタイルの映画なのでこの話は要らない、みたいな話に必ずなる。
が、要らない話はないと思う。
この作品自体、様々なありふれた「LOVE」の形を提示するのがテーマなので、一つ一つが独立しており、当然そこには受け手側にとって共感できるか共感できないかの感想なり判断が生まれる。
この映画は軽いエピソードを連発した作品であり、まーその辺はご愛嬌というくらいの軽い気持ちで見るのが受け手としてのあるべき姿か、とも思う。

私自身、それはないだろーと思っていたのが、上述のダサ男が米国に渡るエピソード。
英国流のセンスオブユーモアが理解出来なかったようで残念である。

ローワン・アトキンソンが端役で遊んでいる。
そんなに笑えないが楽しそうである。

クローバーフィールド/HAKAISHA

2008年12月14日 | 映画(カ行)
監督 マット・リーヴス
キャスト マイク・ヴォゲル
撮影 マイケル・ボンヴィレイン
製作 J・J・エイブラムス
パラマウント・ピクチャーズ

(あらすじ)
マンハッタンの平和な夜に突如として襲いかかる破壊・破壊・破壊!自由の女神の頭部は吹っ飛び、ビルは倒壊、橋も崩れ落ちる。人々は逃げ惑い、なす術もなく犠牲となっていく… 一体アレは何なんだ?!ハンディビデオの映像を駆使して描かれる、衝撃のパニックムービー。

(寸評)
手振れ映像である。
酔う人は酔うであろう激しさである。

製作のJJエイブラムスの仕事は素晴らしい。
youtube始め、様々なメディアを使ってこの映画の世界観に深みを与えている。

この2つの点が本作の最大の特徴だろうか。

突っ込むべき箇所は無数にあり、全体的に薄っぺらな印象は拭いきれない。
キャラクターの描き方がぞんざいな点、イマイチ興奮しきれないテンポの悪さ等々取りこぼしは多い。

毎度毎度、アメリカのイコンとして破壊される自由の女神。
予定調和的なキャラの死に方。

がそれらも含め、この作品のシリーズ化を目標とした作りなんだろうな。
出来ればジュラシックパークくらいまではいきたい、みたいな。

あのバケモンの正体も全く公表されないし。
オチも何もあったもんじゃない。
パニックモノならば、パニックモノの終わり方がある筈。
だが、シリーズ化を狙っているがために色んな事を明示できない。
出来れば小出しにしていきたい。

そんなJJエイブラムスの狙いが見え隠れする、非常に商業の匂いがする作品。
決して悪くはない、がもう一度見ようとは思わない。
新作の舞台が日本だったりしたらまた別の話だが。

ノーカントリー

2008年12月11日 | 映画(ナ行)
監督 ジョエル・コーエン イーサン・コーエン

キャスト
トミー・リー・ジョーンズ
ハビエル・バルデム
ジョシュ・ブローリン
ウディ・ハレルソン
ケリー・マクドナルド
スティーヴン・ルート
原作 コーマック・マッカーシー 「血と暴力の国」(扶桑社)




【寸評】
BGM一切無し。
CGなど派手な映像も無し。
テクノロジー全盛の時代に逆にクールなスタイルである。
実に淡々とした絶妙のリズムで本作は作られている。
意味深なテーマと冷酷な殺人鬼シガーのキャラクターが話題には挙げやすいが、本作で一番難しいのはラストだろう。
スッキリしないにも程がある。
スッキリすりゃいいもんではないが、本作は際立っている。
そこまでは分かりやすくスリリングに作られているだけに余計唐突に感じられてしまう。

大半をサスペンスで通してきたのだから、サスペンスとしてのゴールは当然であろう。
バランスよく構成を組み上げていないから、ラストのちぐはぐ感が拭い切れなくなる。
さまざまな面で突出しているにも関わらず匙加減を間違え、非常にもったいない。

所謂いい映画とは簡単に言い難い作品である。
決してつまらないとも言い難く、見終わってから暫く経った今も、未だに捉えきれずにいる。

ミスティック・リバー

2008年12月11日 | 映画(マ行)
★2004年公開

★キャスト
ショーン・ペン
ティム・ロビンス
ケビン・ベーコン
ローレンス・フィッシュバーン

★スタッフ
監督 クリント・イーストウッド
原作 デニス・ルヘイン
脚本 ブライアン・ヘルゲランド
音楽 クリント・イーストウッド
作曲 カイル・イーストウッド

★あらすじ
幼馴染のジミー、デイブ、ショーン。ある恐ろしい出来事を切欠に、幼い彼らの友情は崩れ落ち、以来それぞれに全く異なる人生を歩んで来ていた。そんなある日、ジミーの愛娘が悲惨な事件の被害者となってしまう。絶望に喘ぐジミー。今は刑事となって事件に取り組むショーン。そして、心の傷に苦しむデイブ。幼き日の忌まわしい出来事が、今また彼らを新たな悲劇に誘い込む… クリント・イーストウッド監督が鋭く描く、心の闇と人生の悲哀。

★寸評
救われない映画である。
イーストウッドの作品はどこか影のある作品が多い。
この作品はアメリカの現状を炙り出しているのだろうか。

ショーン・ペンの演じる強者の我儘さは、アメリカ自身に対するオマージュか。
ティム・ロビンス演じる貧困な弱者は、ホワイトトラッシュと言われる低所得者層を象徴しているのか。
それほどまでにアメリカは病んでいるのか、と暗澹としてしまう。
しかもラストに関しては賛否両論あるだろう。
が、ペンのポジションを強者の歪んだ人間性を通して観るとある程度は納得なのかもしれない。

いずれにしろ、イーストウッドは人間を非常に複眼的な視線で描くので観方が幼稚だとエライ目に遭う。
すなわち、ちゃんと大人じゃないと自殺したくなる位のリアリティで厳しい価値観を突きつけられるだろう。
だから、ただ単純に楽しい気分になりたいとか、癒されたい時は向いてない。
ココロが強いときに観るべきである。

ミリオン・ダラー・ベイビー

2008年12月11日 | 映画(マ行)
★2004年公開

★キャスト
クリント・イーストウッド
ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン

★スタッフ
監督 クリント・イーストウッド
助監督 ロバート・ロレンツ
演出 バディ・ヴァン・ホーン
脚本 ポール・ハギス
音楽 クリント・イーストウッド
編曲 レニー・ニーハウス
挿入曲 カイル・イーストウッド

★あらすじ
ボクシング・ジムを経営する一人暮らしの老人フランキーにとってボクサーたちは家族同然。その彼のもとに、貧困家庭出身で三十過ぎまで我流でボクシングを学んだ女性マギーが現われる。「女にボクシングはさせない」とマギーをつっぱねたフランキーも次第にその熱意にほだされ、苛烈さでは男同士の戦いに勝るとも劣らない女子プロ・ボクシングの世界にいつしかのめり込んでいた。

★寸評
観る前にテーマの重さはある程度覚悟しなくてはいけない。
中盤までは、結構単純なスポ根だが、敗戦を機に一気に展開していく。
プロットだけ追っていると、この展開は読めないし非常に意表を突かれた感じもする。
ただ、それが好き嫌いに繋がってくるもので、ハッピーでもアンハッピーでも共感を得られ易いと、好かれるし得られにくいと嫌われる。
本作は、共感は得にくいだろう。
安楽死、尊厳死の問題があるし、家族の絆に関する問題があり、障害を持った人に対する見方の問題、格差社会の問題もある。
この幾重にも連なる社会問題のデフレなサイクルを易々と抜け出すのが、ハッピーで馬鹿ななスポ根の良さなんだろう。

が、本作に関してはどこらへんをエンターテインメント性を感じればいいんだろう。
興味深い作品であり、見所は沢山ある。

作品中における隠しテーマとして親子間の愛情がある。
イーストウッドの娘に対する愛情と、スワンクの父に対する憧憬である。
基準をそこに持つと、後半のシーンもそれほど抵抗なく見られ最終的には美しく感じられるんではないだろうか。
両者とも家庭関係は深刻な崩壊状態にあると言える。
従って、両者の間にどこかしら互いを偶像化・象徴化して観ているような節がなくもない。
単なるトレーナーとボクサーの関係を超越した、特殊な美しい関係が成立している。
互いの家族関係が崩壊しているがゆえに、この二人の関係が奇跡的な美しさを持ちうるんだろう。

そして、モーガン・フリーマンの味のある重厚な存在感は素晴らしい。

モンタナの風に抱かれて

2008年12月11日 | 映画(マ行)
★1998年公開

★キャスト
ロバート・レッドフォード
クリスティン・スコット・トーマス
サム・ニール

★スタッフ
監督 ロバート・レッドフォード
脚本 リチャード・ラグラヴェネーズ
音楽 トーマス・ニューマン
撮影 ロバート・リチャードソン
製作 ロバート・レッドフォード

★あらすじ
仕事に追われる両親を持ち、愛馬とのひと時に安らぎを覚える少女グレース。ある冬の朝、彼女は不幸な事故から親友と自らの右足を失う。そして、重症を負ったピルグリムの心までも失ってしまうのだった。彼女はグレースの心を取りもどすべく、愛馬と娘を連れて長い旅に出るのだった。モンタナの大自然を舞台に、ロバート・レッドフォードが贈る。

★寸評
レッドフォードは古き良きアメリカの良心ともいうべき、至宝である。
彼は、知的でありワイルド、という成立させるのが難しい特徴を兼ね備えている。
そしてハリウッドで初めて「演技と製作の双方で地位を確立した映画人である。

その彼が作った本作は実に彼らしい作品である。
アメリカの美しい自然を生き生きと写している。
テーマは実にシンプルで、モンタナの自然と共生する人々とのふれあいである。

本作のレッドフォードは実にワイルドである。
ワイルドというイメージが、道路に唾を吐いたり酒で乱れたりすることではないという事を、本作で彼は教えてくれている。
彼は事故の影響で狂馬となった馬を、危険を顧みずに調教し、同時に心を閉ざしがちな娘の面倒までみてしまう。
その方法は論理に裏打ちされたものではなく、原始的で天性の勘に頼ったやり方である。

対するC・S・トーマスは都会で暮らす、キャリア・ウーマンである。
自分のキャリアに自信を持ちつつ、今後の人生に迷いの混在する現代を象徴するような女性である。

この映画における議論で、不倫の問題がある。
すなわち、レッドフォード演じる主役と仕事を依頼にきた女性の間の仄かな想い。

結論からいうと、不倫はテーマなどではない。
ちゃんと観ていれば、テーマとして重要な部分ではないことぐらい判る筈である。
不倫には不貞行為の存在が要件だが、本作にはなく、プラトニックである。
この程度がちゃんと読み取れないならば、国語の読解をやり直さなければいけない。

おそらく、ある程度は年齢が上でないと観ても実感も無い上に共感もない。
加えてユルい映画である。
気持ち次第ではダルい映画になってしまうだろう。

未来世紀ブラジル

2008年12月11日 | 映画(マ行)
★1985年公開

★キャスト
ジョナサン・プライス
ロバート・デ・ニーロ
マイケル・ペイリン

★スタッフ
監督 テリー・ギリアム
製作 アーノン・ミルチャン
脚本 テリー・ギリアム
   チャールズ・マッケオン
   トム・ストッパード

★あらすじ
20世紀、徹底した情報管理社会のある国。政府は横行する爆弾テロに手を焼いていた。そんなおり、靴屋のバトル氏を容疑者のタトル(ロバート・デ・ニーロ)と間違えて逮捕してしまうという事件が起こる。情報省の役人サム(ジョナサン・プライス)がもみ消しに派遣されるが、彼は自分の夢に出てくる美女が、バトル氏の隣人ジルであることに気づく……。テリー・ギリアム監督が撮った近未来カルト・ムービー。

★寸評
当時、最も先鋭的とされていたであろうカルトな映画。
クリエイターの趣味や趣向が凝縮された作品。
従って、面白い映画かどうかは評価は分かれるだろう作品である。
ストーリーなり、台詞で感動を感じたい人間ならば向かない。
観る場合には右脳で観る工夫をすればいい。
ギリアム監督はアニメーターであるがためにストーリーはどこかしら現実離れした感があり、台詞にも出ている。
シナリオに関してはかなり製作会社側から指示があり変更を余儀なくされたらしい。
なにしろラストシーンまで変更されたらしい。
現在レンタル等で観られているのは監督自身の編集によるものだ。


シナリオに比較して映像や小道具や衣装は凝りに凝っている。
これらに凝っているのはSFだから当然だろうが、現在見ても遜色ない事に驚く。
この点だけでも鬼才たるギリアムの面目躍如だろう。


世界的に爆弾テロが横行する本作の世界は現代とも符号する。
なんとも皮肉な予言的内容である。

役者はデニーロが何とも言えない役を演じている。
キャスティングが終わった後に、本人たっての希望で出演したらしい。
が、数える位しか場面がない。
その割りには存在感が凄まじいのは彼の力量というべきか。
単に浮いていると言うべきか。

主演のジョナサン・プライスは可もなし不可もなし。
しっかりと映画の中に埋没している。
それゆえ、ラストシーンの表情は印象的に映る。

モンスター

2008年12月11日 | 映画(マ行)
★2003年公開

★キャスト
 シャーリーズ・セロン
 クリスティーナ・リッチ

★監督&脚本 パティ・ジェンキンス

★あらすじ
幼い頃から不遇な環境にありながらも、夢見る少女であったアイリーンは、売春婦として生計を立てていた。自殺を考えるが、その直前に同性愛者のセルビーに出会い、リーはセルビーと人生を共にすることを決めるがいつものように客となるはずの男に、リーは殺されそうになる。とっさに持ち合わせていた銃でその男を殺す。それから男たちへの復讐の為、不安がるセルビーをよそに男たちを銃殺していく。実話であり、シャーリーズセロン(本作でアカデミー主演女優賞受賞)は体重13キロ増量&特殊メイクで臨んだ。

★寸評
「泥棒にも三分の理」という慣用句があるが、それを映画にするとこの作品になるんだろうか。
総じて救われない映画である。
二度三度観たい映画ではない。
主演のシャーリーズ・セロンは美しさを封印し、悲惨な人生を送り冷酷な殺人犯になり処刑されたアイリーンそのもののルックスになった。
この映画の男性はアイリーンの視点から描かれるため、ゲスが殆どである。

そして彼女は反社会性人格障害(APD)いわゆるサイコパスという人格障害を持っていたようである。
殺人の場面がいくつかあるが、これらは全て彼女が生きるためには仕方ないという風に描かれている。
 
そんなことねーだろー

とも思うが、些かそれは穿った見方か。
彼女の精神世界では仕方ない殺人なわけだ。
サイコパスなんだから。
その意味では納得である。
単なる自己チューではない。
疾患である。

この人物、障害を持っているが故に、生命に関する認識が大分我々日本人とは違うんでしょう。
自分の死刑を早く執行するように希望します。
殺人は、いずれも物証が弱く、状況証拠と本人の自白が柱となっていたため、本人が弁護士の指示通りに無実を主張し続ければ死刑は回避できた可能性が高いが、死刑の早期執行へのアイリーンの意志は強かった。
供述によれば過去にも数回の自殺未遂歴がある。

アイリーンが裁判途中で積極的な自白に転じ死刑を望むようになったのは、唯一信頼していたティリア(劇中ではセルビー)が裏切ったことが大きな要因となっている。
反社会性人格障害の犯人は、自分が絶対的に正しいという自己イメージを持つと同時に、生きるに値しないゴミであるという矛盾したイメージも持っている。

実に苦しそうである。

唯一信頼していたティリアに裏切られたことにより、自分の絶対性というイメージが崩れ去ったということだろう。
故に自殺にも似た死刑執行を望んだ。

これら発言や行動は本邦でも記憶に残る池田小学校殺人事件の宅間守にも類似する、気がする。

 ところで、何故監督がこの到底美人とは言い難いシリアルキラーに、それまで典型的美人役しか演じていなかったシャーリーズ・セロンを指名したか。
 それは彼女達の生い立ちに共通する点が多くあったようだ。
どちらの父親も精神的障害やアルコール依存症を持ち、ドメスティックヴァイオレンスに悩むなど、当人達にしか理解出来ない領域を持っているからであろう。

蛇足だが、本作のアイリーン・ウォーノスとティリアをモデルに名作「テルマ&ルイーズ」は作られたらしい。
本作の深さに比べると実にいいかげんな設定だったと思う。

フライトプラン

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2005年

★キャスト
ジョディ・フォスター
ピーター・サースガード
ショーン・ビーン
エリカ・クリステンセン

★スタッフ
監督 ロベルト・シュヴェンケ
脚本 ピーター・A・ダウリング
   ビリー・レイ

★あらすじ
最新型の超大型旅客機に乗り込み故郷を目指す母子二人。彼女たちは最愛の夫を亡くし、傷心の極みにあった。心も体も疲れ果てた彼女たちは、空席を見つけ寝入ってしまう。しかし、母親が目覚めた時、愛娘の姿は忽然と消えていた。乗員の協力を得て機内をくまなく捜す母。しかし、乗客の誰も娘の姿を見かけておらず、更には乗客名簿から娘の名前は消え去っていた。果たしてこれは妄想なのか?それとも巧妙に仕組まれた犯罪なのか?空を飛ぶ密室の中で一体何が起きてしまったのか?

★寸評
ジョディ・フォスターがいて良かった作品である。
この人のお陰で、クソB級映画が普通の作品になった。
サスペンス作品の場合は犯人探しが肝要だが、本作はそこが実に弱い。
いかにもな展開でいかにもな結末なので、意外性が少ない。

本作の特徴は、途中までジョディの妄想なのか事件なのか判別がつかない。
彼女と娘が飛行機に一緒に乗ったかどうかすらも怪しくなる。

結論からすると、何でだろ?
誰もいないんだろうか。
そんな事あるんだろうか。

しかし、近年、ある男が電車のトイレで堂々と婦女暴行事件を起こし同乗していた客が見て見ぬフリを決め込むという怪事件が発生した。
こんな話を見るに、この映画の設定もある意味では成立しているのかもなぁとも思ったりした。

変な事件が起こってるっぽい→何か嫌だなぁ→関わりたくない→知らなかった事にする。
これ、充分に成立し得る気もする。
従ってそこは好いとする。

しかし、勿体無い。
尺が多少短い。
幾つかアイディアを盛り込めば、もう少しなんとかなったんじゃないかとも思う。
アイディアが途中で尽きたのか。
途中まではワクワクする。
鉄壁ってくらい、ジョディは厳しい状況に追い込まれる。
が、結構あっさりと解決してしまう。
それも第六感っぽい勘で。

女性は確かに第六感っぽいものを持ってる人は多い。
株式投資なんか、女性が適当にやれば多分勝てない男は多い筈。
だが、ミステリーはそれではいけない。
納得いく説明をしてくれないと客は面白いとは感じない。

しかしながらジョディ・フォスターの醸しだす緊張感は素晴らしい。
それが全てである。

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2004年公開

★キャスト 
ダニエル・ラドクリフ 
ルパート・グリント
エマ・ワトソン

★スタッフ 
監督 アルフォンソ・キュアロン
原作 J・K・ローリング

★寸評
三作目である。
本作は新規キャラとして、ゲイリー・オールドマン扮するシリウス・ブラックが登場する。
このシリウス・ブラックを中心に話が展開するかと思いきや、なかなか彼は出てこない。
中盤くらいまで、「出るぞ、出るぞ」と脅しつつ、出てこない。

従って、ゲイリー・オールドマンという稀代の悪役の印象も相俟って、キャラクターが一人歩きを始め、印象派ドンドン肥大化していく。

んで、出てきたキャラは悪役ではない。

なんでやねん、と落ち着いたツッコミを入れてしまいそうになるが、悪役でなかった事にツッコミを入れているわけではなく、キャラ立ちがイマイチなのである。
ポジションが微妙。

というよりも撮り方のアイデアが少ないからだろうか。
中盤の最大の見せ場であるはずの、シリウス・ブラック登場が、ショボいのである。

後半のヤマ場である、タイムスリップするときの場面でアイデアを詰め込み過ぎて、力尽きたのか。

と思わせんばかりの登場シーンの整理されていないゴチャゴチャ感である。

そんなことを考えていたら、シーンが終わった後に

「あ?これどうなったんだ?」

と馬みたいな顔をして、取り残されてしまった。
ゴチャゴチャと敵味方が入り乱れての乱闘である。
「これは子供は判るのか?」
と余計な心配までしてしまった。

映画自身のポテンシャルを最大限に活かせなかった作品だが、原作の面白さで助けられた作品だろう。

ハリー・ポッターと秘密の部屋

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2002年公開
★キャスト
ダニエル・ラドクリフ
ルパート・グリント
エマ・ワトソン

★スタッフ
監督 クリス・コロンバス
原作 J・K・ローリング

★あらすじ
夢のようだったホグワーツ魔法魔術学校での生活を中断されてダーズリー家に閉じ込められたハリーはドビーと名乗る屋敷しもべ妖精から、ホグワーツに行ってはならないと警告を受けた。ダーズリー一家の怒りに触れたハリーは部屋に閉じこめられたばかりか、マグルの世界で未成年魔法使いは魔法を使ってはならないという規定に違反したとして魔法省から警告を受ける。困っていたハリーを、ロン・ウィーズリーが救いだし、ウィーズリー家に連れていったが・・・。

★寸評
シリーズ二作目。
別に前作を気に入ったわけではない。
実に漫画的な作品であり、売れる作品の理由を理解したいと思っただけである。

しかも、コケ易い二作目をいかにして駄作に終わらせないようにするか、そこに注目していた。

結論からすると、コケてもいないが、名作にもなってはいない、散漫な作品になった。

まずキャスト。
話題性はなかっただろうが、名優ケネス・ブラナーを起用。
しかもどうにもならないつまらない役で。
名優を、である。

ふむうぅぅ。

何故出たのか理解に苦しむ。
最後までいい場面は無かった。

CGキャラだがドビーというETを思いっきり自虐的にしたキャラが出てくる。
しかも最初と最後だけか?
出す意味あるのか?
最初は魔法学校には行くな、みたいな警告をしに来るだけである。

客は「え~~~~行かないの~~~~じゃ、今回はデブな養父母に苛められるのだけ~~~~?」

とは絶対に思わない。
なんなら
「ガタガタ言わんと早よ行けや、ボケ」
と思っている。

最後は、意味あるのか無いのかよくわからない。
判断しにくい。
こんな中途半端なキャラを出す意味の判らなさだが、原作との関係を考えるとわからないでもない。

原作には一種宗教的とすら言える狂信的な信者のファンがいる。
発売日にコスで本屋に並ぶなど、社会現象化しているファンだ。
まず、この層に納得させなければいけない。
確実に映画を見に来る客層だから。
続いて、子供達である。
ここら辺を納得させるのは、この監督はある程度は自信がある。
そして、一般の人々。
これを一番軽視しているんだろう。

ここら辺を考え合わせると、この半端なキャラを出す必要性も判らないでもない。
次回作ありきだし、原作を忠実になぞる必要性があるし、作品を大胆にいじれないので、映画で活きなくてもいいから出さなきゃ、という結論になる。


他にはジョン・クリーズ。
ほとんど首なしニックである。
元モンティ・パイソン。
最早伝説となっているグループの中心である。
彼がチョイ役で出ている。
当然バカ歩きなぞはしてくれない。
宝の持ち腐れもいいとこである。

さて、本作と前作で監督を務めたクリス・コロンバスは次回は解任。
異常事態である。
しかも次回からは監督が毎回変わるという異例中の異例の事態になった。
これこそがこのシリーズの性質であろう。
即ち、原作本の忠実なる再現者を監督として求める。
雇われ監督である。
こんな非創造的とも言える仕事も無いのかも知れない。
ちなみにスピルバーグはこの仕事を断り、最新作はテレビのディレクターである。

不思議なシリーズである。

ハリー・ポッターと賢者の石

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2001年公開

★キャスト
ダニエル・ラドクリフ
ルパート・グリント
エマ・ワトソン

★スタッフ
監督 クリス・コロンバス
原作 J・K・ローリング 『ハリー・ポッターと賢者の石』
脚本 スティーヴン・クローヴス

★あらすじ
額に稲妻の傷を持つハリー・ポッターは孤児。意地悪な叔母の一家で悲惨な生活を送っていた。そんなハリーの11歳の誕生日に一通の手紙が届く。それは何と魔法学校の入学許可証だった!? 自分は魔法使いだと知らさせたハリーは、未知の世界にあるホグワーツ魔法魔術学校へと向かうのだった。

★寸評
大ヒットシリーズの1作目である。

確かに売れる作品には理由がある。
普遍的なモチーフが使われているからだろう。
すなわち、ドラゴンボールである。
主人公の属するグリフィンドールは亀仙流。
イマイチ馬鹿で使えないけど、ヒロイックに犠牲になるのが好きそうなロンはクリリン。
マセてて、何でも知ってるツンデレ的なハーマイオニーは勿論ブルマ。
対抗するライバルは極端な差別意識の持ち主のマルフォイも実に古典的な漫画キャラである。

主人公にメガネを持ってくるのは新鮮だが、やや王道からは外れている。

本作に与えられているミッションは原作のファンを満足させつつ、新規のファンの拡大なので、その意味では成功だと思う。

必ず話題にはなる作品なので、監督は原作ファンの期待に応えられるかどうかが仕事という難しい立場にある。
ある意味ではロードオブザリングの監督よりも美味しくない仕事だろう。

と思ったら監督はクリス・コロンバスである。
この監督はこういう仕事が好きなようである。
監督としての個性は強くはない。
雇われ監督っていう感じだろう。
典型的なハリウッド映画を撮る監督の一人だろう。

別に次回作を観るつもりは無かったが、同時に借りたので、次回作のことも書く。

ブラッド・ダイヤモンド

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2006年公開

★キャスト
レオナルド・ディカプリオ
ジャイモン・フンスー
ジェニファー・コネリー

★スタッフ
監督 エドワード・ズウィック
製作総指揮 レン・アマト
製作 グラハム・キング 他
脚本 チャールズ・リーヴィット

★あらすじ
アフリカのシエラレオネ共和国では残虐な反政府軍RUFがダイヤを密輸によって売りさばき、そのお金で大量の武器を購入し内戦を長引かせていた。そのRUFのダイヤ採掘場で強制労働を強いられていたソロモンは、大粒のピンクダイヤを発見したことからダイヤの密売人のアーチャーから執拗にまとわりつかれることになる。血にまみれたダイヤをめぐって多くの人間たちの欲望が渦巻く社会派作品。

★寸評
まず、レオナルド・ディカプリオの素晴らしい演技が光る。
もはや「タイタニック」の幻影を振り払ったといっていい、吹っ切れた演技である。
傭兵崩れの密売人という汚れ役に、訛った英語と、鍛えこんだ丸太みたいな太い二の腕で挑んでいる。
叫ぶシーンでは今までの彼にはない野太く男らしい声を出している。
演技派の彼の面目躍如たる作品である。

以下は内容について。
本作の舞台はシエラレオネ。
アフリカにおける紛争ダイヤモンドという珍しいテーマを取り上げている。

紛争ダイヤモンドとは、アフリカを原産国とするダイヤの密輸によって、紛争地帯の当事国の武器購入用資金源になっているものの事を指すらしい。
本作の反政府ゲリラ集団のRUFは反政府軍として、紛争ダイヤモンドの採掘を強制労働によって行い、密輸を行っている。
このRUFという反政府軍は残虐非道で、躊躇なく多数の住民の殺害、手足の切断、暴行などを行い村々を焼き払った。
本作でもこれらの行為を描写している。
特に特徴的なのが、少年兵である。
エンドロールにあるが政府側にも少年兵はいるらしい。

これらの社会的状況をエンターテインメント作品としての鑑賞にも堪えうる内容として完成させた事が、本作の価値だろう。
社会派映画の弱点を見事に克服したと言える。

監督は「ラスト・サムライ」で渡辺謙をハリウッドに紹介したエドワード・ズウィック。
あまり才能は感じないが、情熱は感じる。

パッション

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2004年(米・伊)

★キャスト
ジム・カヴィーゼル
モニカ・ベルッチ
セルジオ・ルビーニ

★スタッフ
監督 メル・ギブソン
脚本 メル・ギブソン
音楽 ジョン・デブニー
   メル・ギブソン
製作 メル・ギブソン
   ブルース・デイヴィ

★あらすじ
イエス・キリストが処刑されるまでの12時間を描く。 イエスが、神を冒涜しているという罪で、拷問を受け、十字架に掛けられるが、そこで彼の口にした言葉は、彼らへの赦しの言葉だった。

★寸評
イエスへの拷問場面における凄惨な描写で視聴者の中にはショック死した者まででた。
凄まじい拷問の様がひたすら描かれる映画。
ちなみにこの作品を撮ったメル・ギブソンは2006年に、飲酒運転でパクられた際に
「このユダ野郎が」
とユダヤ人蔑視の暴言を吐き、その後謝罪している。

キリストもユダヤ人だよな。
この辺が理解しにくいんだ。


話は最後の晩餐から復活までの軌跡である。

まず、イスカリオテのユダに銀貨30枚でキリストは売られる。

ユダは裏切り者のイメージが付き纏うが、この人は12使徒の中では一番有能な人。
会計を任されてた人で、キリストにも鋭い質問が出来る人である。

んで、映画では裏切ったあと、サックリ首を吊る。

そうだっけ?
確かそんな記述はないはず。



んでこの後はキリストがグッチャグチャに拷問される。
拷問って遠い話では無いんですよね。
日本でも日本国憲法が成立する以前はあったんですから。
あと、少し前のイラクのアブグレイブでもあったわけですから。
形は違うでしょうけど。


実に痛い。

史実の通り、その後はゴルゴダの丘で十字架に架けられる。
ひたすら痛い。
非常に残酷。

キリストについて少し。

キリストは言わずと知れた実在の人物ですが日本人には遠い存在ですね。
彼は聖書によって神格化されてる部分が多いにあるんですがそこは僕には関係ないんで置いておきます。


僕が考える彼の人物像。


強靭な精神力を持った改革者。


ってとこですか。
それがこの映画にはよく描かれてます。


んで最後に、復活。
これが分かりません。

人間は復活しないでしょ?
ここがキリスト教には重要なポイントなんですよね?
これがなければ理解できそうなんですが。

聖書の文句を引用すると、

「キリストが甦らなかったとすれば我々の宣教も虚しく貴方方の信仰も虚しいだろう。さらに我々は神についての偽証人になるであろう」

このみなぎる自信はどこから?

さらに聖書を読むとと、マルコ福音書に記述がある。
長いんでかいつまんで説明すると
埋葬されたイエスの墓に香料を塗るために女が出向く。
すると墓の入り口の石がどけてある。
んで、死体は消えて一人の少年が座ってる。

この記述以降は後に加筆されたフィクションだというのが聖書学者の常識。
はっきり復活を見た人はいない。
でも自信満々で復活したと使徒は言う。

集団催眠か・・・。

宗教に関しての議論は知識が必要で非常に難しい。
少なくともメル・ギブソンの迸る情熱は伝わってくる。
衝撃的な描写は確かに目を覆う。
が、観て思考すべき課題は与えられ、それぞれ考えればいい。
自分で考えた事は血肉になり得る。