1995年【日】
監督 近藤喜文
声
本名陽子
高橋一生
室井滋
露口茂
原作 柊あおい 「耳をすませば」(集英社)
脚本 宮崎駿
あらすじ
月島雫は、普通の中学三年生。ある日、本の貸し出しカードに共通して書かれている名前「天沢聖司」を見つけます。電車の中で偶然に猫を追いかけていくと、丘の上に地球屋というアンティークショップにたどり着き、男の子に会います。昨日自分を学校で冷やかした「ヤなやつ」でした。でも、彼が「天沢聖司」だったのです。次第に好感をもてるようになっていって・・。
寸評
甘酸っぱい、こっぱずかしい作品である。
原作が少女漫画ということもあり、大人のある一定の年齢に達すると、厳しい。
しかし、公開当時、高校生だったこともあり、それほど抵抗なく観た覚えがある。
反対に、女性だと、ど真ん中ストレートな純真少女漫画なので、反応は普通だろう。
少女マンガの潮流に関して、あまり造詣はないのだが、「NANA」のようなグチャグチャの話が受けているあたり、非常に価値観は多様化しているのだなと想像する。
一昔前のような画一的なテーマで、画一的なデザインでは最早通用していないのだろう。
ところで本作である。
真っ直ぐで「あり得ない」作品なのだが、そこかしこにリアルな設定はしてある。
主人公の住む団地はありふれていて広くもない。
姉と共同の部屋だ。
学校も公立だ。
聖蹟桜ヶ丘がモデルだが、着眼点は間違ってない気がする。
新興の住宅地であり、住んでいる世代はまだ若い。
当たり前の風景を当たり前の設定で描く。
そこに、甘酸っぱい恋が芽生えるのだ。
だから、誰しもが「ありえねーよ」と思いつつも、他の設定その他のところで自分の日常を重ねられているので、最後まで見させてしまうのだ。
だから、ストーリーはある程度トンデてもいいのだ。
(地方では受けないのかもしれない。これは飽くまで関東地方のリアルだから)
天沢クンはクールでシャイだ。
本当の中学生は、頭の中はスケベな妄想が充満しており、自分でもコントロールできなくなるくらいなのだ。
彼は勿論そんなことはない。
雫は純な女の子だ。
一生懸命に中学生活を生きている。
そんな二人が主人公の作品。
あぁ、眩しいな。
これはファンタジーである。
大きな声で名作だとは言えないが、何か好きな映画だ。
30オーバーのおっさんが今更見ることもないだろうが、テレビでやっていたら、何となく気になるだろう作品だ。
監督 近藤喜文
声
本名陽子
高橋一生
室井滋
露口茂
原作 柊あおい 「耳をすませば」(集英社)
脚本 宮崎駿
あらすじ
月島雫は、普通の中学三年生。ある日、本の貸し出しカードに共通して書かれている名前「天沢聖司」を見つけます。電車の中で偶然に猫を追いかけていくと、丘の上に地球屋というアンティークショップにたどり着き、男の子に会います。昨日自分を学校で冷やかした「ヤなやつ」でした。でも、彼が「天沢聖司」だったのです。次第に好感をもてるようになっていって・・。
寸評
甘酸っぱい、こっぱずかしい作品である。
原作が少女漫画ということもあり、大人のある一定の年齢に達すると、厳しい。
しかし、公開当時、高校生だったこともあり、それほど抵抗なく観た覚えがある。
反対に、女性だと、ど真ん中ストレートな純真少女漫画なので、反応は普通だろう。
少女マンガの潮流に関して、あまり造詣はないのだが、「NANA」のようなグチャグチャの話が受けているあたり、非常に価値観は多様化しているのだなと想像する。
一昔前のような画一的なテーマで、画一的なデザインでは最早通用していないのだろう。
ところで本作である。
真っ直ぐで「あり得ない」作品なのだが、そこかしこにリアルな設定はしてある。
主人公の住む団地はありふれていて広くもない。
姉と共同の部屋だ。
学校も公立だ。
聖蹟桜ヶ丘がモデルだが、着眼点は間違ってない気がする。
新興の住宅地であり、住んでいる世代はまだ若い。
当たり前の風景を当たり前の設定で描く。
そこに、甘酸っぱい恋が芽生えるのだ。
だから、誰しもが「ありえねーよ」と思いつつも、他の設定その他のところで自分の日常を重ねられているので、最後まで見させてしまうのだ。
だから、ストーリーはある程度トンデてもいいのだ。
(地方では受けないのかもしれない。これは飽くまで関東地方のリアルだから)
天沢クンはクールでシャイだ。
本当の中学生は、頭の中はスケベな妄想が充満しており、自分でもコントロールできなくなるくらいなのだ。
彼は勿論そんなことはない。
雫は純な女の子だ。
一生懸命に中学生活を生きている。
そんな二人が主人公の作品。
あぁ、眩しいな。
これはファンタジーである。
大きな声で名作だとは言えないが、何か好きな映画だ。
30オーバーのおっさんが今更見ることもないだろうが、テレビでやっていたら、何となく気になるだろう作品だ。