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映画批評etc

映画の感想ではなく批評
その他諸々

サイダー・ハウス・ルール

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1999年公開

★キャスト
トビー・マグワイア
マイケル・ケイン
シャーリーズ・セロン

★スタッフ
監督 ラッセ・ハルストレム
製作 リチャード・N・グラッドスタイン
脚本 ジョン・アーヴィング

★あらすじ
ホーマーはニューイングランドの孤児院で育った。その孤児院には産院が併設し、親が育てる気のない子ども達は、孤児院に引き取られる。産婦人科医の院長は、ホーマーを息子のように愛し、産婦人科の技術を教える。それでも、ホーマーは、院長が女性の権利を守るために違法を承知で進めている堕胎は、拒否する。ある日、ホーマーは、堕胎のために孤児院を訪れた若い男女に出会い、自分を一緒に連れて行ってくれるよう頼む。ホーマーの旅立ちが始まる。

★寸評
テーマは重い。
舞台は孤児院と田舎のリンゴ園である。
映像と音楽の美しさ、特にテーマ曲は美しい。

恐らく、感想として一般的には、穏やかな雰囲気・帰郷のカタルシス・爽やかで心温まる映画といったところだろう。

それは否定しない。
中盤あたりまでは実際そう感じた。

しかし、本作のテーマの一つは堕胎である。
宗教的な議論もあるので、あまり言及しないが、堕胎における最悪のケースが描かれている。

前半は孤児院での静謐な雰囲気と青年の穏やかでゆったりとした成長に
「ココロ洗われるわ~」
とノンビリ観ていた。

そこに若いカップルが中絶に訪れ、そのカップルと共に青年が孤児院から卒業していくまでは
「この男が戦争行って死んだりして女とくっつくんだろうなぁ」
くらいに思っていた。
そこからグズグズの恋愛模様になっていったりするのかなどと、思っていたらそれほどシンプルではなかった。
りんご園で働くうちに黒人娘がホーマーに惚れてきたあたりで、ここの三角関係とかだったらしょーもないなぁと思う。

んで、黒人娘が妊娠する。
相手は


ええええええええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!


テーマに堕胎。
私自身に免疫が薄いのかもしれない。
理解に苦しむ。
このグロすぎるテーマの調理法を持って心温まる作品などと言える程、私は映画に没入しない。
加えて共感出来るほど人生経験を有していない。

確かに映画における音楽と映像は重要である。
本作においても美しい。
が、台本の共感度も重要だろう。
アメリカではそれほどまでに深刻なんだろうか。

以下は内容まで、もう書いてしまうが、近親相姦は日常的に日本では共感されてるんだろうか。
確かに神話や説話のレベルでは枚挙に暇がない。
が、あまりにもタブーな話題であるが故に、文化的な描き方も犯罪の匂いのするものが多い。
本作では非常に唐突に近親姦の事実が明らかになる。

だからビックリした。
し、えぇ~?っと思った。
その前に暴力を振るわれているシーンでもあれば納得するんだが。

しかし、ある意味ではリアルなのかも知れない。
近親相姦なんかする奴は鬼畜ですって感じではなくどこでも普通にいますって話。
それ以外でも重要な示唆はあるが、そこで思考がロックしてしまった。

描き方次第で、テーマもなんとでもなるんだなぁと改めて思い知った。

シャイニング

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1980年公開

★キャスト
ジャック・ニコルソン
シェリー・デュヴァル
ダニー・ロイド

★スタッフ
監督 スタンリー・キューブリック
原作 スティーヴン・キング
脚本 スタンリー・キューブリック
音楽 ウェンディ・カーロス

★あらすじ
ジャックは失業中で作家志望の男である。彼はコロラド山中に建つ豪華ホテルで冬季休業中の管理人となり、妻子と共に移り住む。雪に閉ざされたホテルの中で三人だけの生活を送る内に、ジャックは次第に異常をきたす。「シャイニング」と呼ばれる超能力を持つ幼い息子ダニーは、ホテルの忌まわしい過去とやがて訪れる危機を感知する。そして同様にシャイニングを持つホテルの料理長にテレパシーで助けを求めるが…。

★寸評
原作スティーブン・キング、監督スタンリー・キューブリックという水と油のような二人の取り合わせである。

結論から言えば、まぁまぁである。
キューブリックのファンであっても許せないような作品ではない。

キューブリック監督作品の中では、映像なり台詞なり世界観にユニークさが少ない。
現代のありふれた空間を舞台に設定している故に、当然である。
しかしながら、それをただ普通に見せているわけでもなく、それなりに美しく撮ってはいる。
恐らく、現代の若い監督が撮ったらエフェクト沢山盛り込んでスタイリッシュに撮りたがるような素材だろう。
そんな場面も、キューブリックは重々しく撮っている。
逆になるほどなぁと感心させられる。

演技について。
ニコルソンの演技は既にこの時代に完成していると言える。
曰く、うるさい演技である。
癖丸出しというか、顔芸全開というか。
アル・パチーノにも言えることだろうが、この時代の役者は個性が強く、自分で自分を演じているかのような、個性がある。
台詞にしても、動きにしてもキレがあり、個性というモノが何かを教えてくれる。
ただ、二枚目でもナンでもないので、嫌いな人は嫌いだろう。
そして、時折あまりにも過剰演技なので、笑ってしまう場面も多々ある。

子役の男の子。
カワイイ。
しかも巧い。
今は何をしているのか全く不明。

女房役。
顔が怖い。
幽霊顔。
ホラーにありがちな無駄な美人ではない。

総論。
グロテスクなスプラッタ描写殆どナシで、恐怖を演出するキューブリックの手法に感心した。
殆どは音響だったりするけど。
欧米人にとっては、日本人よりもっと恐怖が伝わりやすい映画だろう。
ホテルのセットが非常に西洋的日常なので。

シベリヤ超特急

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1996年公開

★キャスト
水野晴郎
かたせ梨乃
菊地孝典

★スタッフ
監督 水野晴郎
原作 水野晴郎
脚本 水野晴郎
作詞 水野晴郎 「シベリア超特急」
撮影 安藤庄平
製作 水野晴郎

★あらすじ
第二次世界大戦開戦前夜。ヒットラーとの会談を終えた山下奉文陸軍大将は、帰国途中に乗ったシベリア超特急で、謎の連続殺人事件に遭遇する。10人の乗客は次々に減っていく・・・はたして犯人は?

★寸評
日本の映画史上に残る作品かもしれない。
あらすじなんかどうでもいい。
マイク水野が全てである。

鑑賞方法を誤るととんでもないことになる。
間違っても普通のカップルで観て楽しい作品ではない。
女性が退屈する可能性は極めて高い。

正しい見方は、男同士数名でどうにもならないくらいにやることがない夜に観る作品である。
観ながら鋭くツッコミを入れていくと、爆笑出来る。
映画が天然でボケまくってくるので、非常にツッコむのは忙しい。
そして、ボケのスタイルも実に多様なので、一本調子のツッコミではダレる。
最後までボケ倒すので、エンドロールまで気を抜けない。

従って、酒は鑑賞後の方がいい。
普通に眠くなるし、疲れる。
どうでもよくなってくる。

ある意味では集中を要する作品である。
ツッコミ体質の人間と観ると、笑いすぎて腹筋を痛める可能性すらある。
が、普通のカップルが観るとこの90分は無駄な時間でしかない。

ジム・キャリーはMr.ダマー

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1994年公開

★キャスト
ジム・キャリー
ジェフ・ダニエルス
ローレン・ホリー

★スタッフ
監督 ピーター・ファレリー
   ボビー・ファレリー
脚本 ファレリー兄弟
音楽 トッド・ラングレン

★あらすじ
ハリーはバカ(dumb)である。その親友ロイドはもっとバカ(dumber)である。ロイドはハリーとペットショップ(ミミズ専門の)を開くためにリムジンの運転手のバイトをしている。ある日、ロイドは大金持ちの美人令嬢を空港に送り、一目惚れする。そして彼女が空港にブリーフケースを「置き忘れた」のを目撃する。彼女の行き先はスキー・リゾート地アスペン。ロイドとハリーは忘れ物を届けようと車でアスペンに向かう。しかしそのブリーフケースには…。脚本・監督はあのファレリー兄弟。下ネタ、危ないネタ炸裂の超くだらない爆笑映画。

★寸評
実に素晴らしいお笑い映画である。
腹を抱えて笑える映画である。

ジム・キャリーの銀河系クラスの顔芸。
ファレリー兄弟の台本。
ポップなBGM。
どれも最強クラスのエンターテインメントである。

ネタは基本的に、天然と顔芸と動きの笑いである。
だから、国籍や言葉、文化の違いで笑えないということはない。
下ネタは多少はあるが、ファレリー兄弟にしては少ない。
その後の「メリーに首ったけ」の方が下ネタはキツイ。
この程度の下ネタで笑えないのなら、ウブ過ぎる。処女童貞である。
私の地元のビデオ屋では「家族で楽しめるコーナー」に置いてあった。

逆にこの映画で笑えない人は、映画ではコメディを避け、シリアスなものだけ観てしかつめらしい顔してればいい。

普通のセンスをしていれば、この作品は笑えるはず。

この作品の直後にノリタケさんはジムキャリーの髪型をパクったが、この前髪がその後の芸人の髪型のスタンダードになった。

芸人はこの作品を見て、髪型だけではなく芸を見習って欲しい。

saw

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★2004年公開

★cast/staff
監督・原案:ジェームズ・ワン
原案・脚本・出演:リー・ワネル
出演:ケアリー・エルウェズ
   ダニー・グローヴァー
   モニカ・ポッター
   マイケル・エマーソン
   ケン・リョン

★シナリオ
目が覚めると、長方形の密室。部屋の中央には自殺した死体。対角線上に足を鎖で繋がれた二人。犯人から突如として始められたゲーム。「君たちは死につつある」「6時までに相手を殺すか、自分が死ぬか」。与えられたのは、テープレコーダー、一発の弾、タバコ2本、着信専用携帯電話、2本のノコギリ。二人は犯人が部屋に残したヒントを手掛かりに脱出しなくてはならない。
回想と謎解きを交え、結末を迎える作品。


★寸評
ビジュアルは、マリリン・マンソンのPVなどと似た雰囲気。
グロテスクな描写はかなり多い。
ラストのどんでん返しは鮮やかである。

ホラーやスリラーに付き物の文化的背景の違いは多少感じる。
スリルある遣り取りは確かにあるが、西洋文化の素養の少ない人間にとっては、犯人の台詞にある意図などはあまり理解出来ない。
ただの精神異常者にしては思考が論理的である。
エンターテインメントだけを追求した作品であれば、謎解き以外の部分の描写が念入りである。
特に回想部分。

スカッとしない部分はあるとはいえ、心理劇として観れば非常に好くできている。


ところで、映画を観るときに思うのは、作り手側がシナリオ作りに凝るあまり最初に作りたかったテーマを見失ってることがある。

この作品にもそういう部分は若干感じる。
少ない方ではあるが。

作り手は「観客は馬鹿だから、ここは書いておかないと」と思うことによって冗長なシーンを増やさざるを得ないのである。

「もう分かってるから、はやくそちっちを進めろよ」と思う瞬間である。

しかしながら、この作品は好きな人向けに作ってあるせいか、過不足は少なく、丁度好い方である。

躊躇せずに書くが、私は最初っから犯人は「コイツ」だと思っていた。
(理由はドラマの「LOST」のキャストとキャラがかぶってるからである。いかにもな雰囲気で出てきてるこの役者も大したことない。もっとしっかり騙して頂きたい。少なくとも髪型くらいは変えるとか役作りの上での工夫が無い)
それと、多分、中央に置かれた自殺死体は最後に何かの役割がないと、単なる小道具か舞台美術に過ぎないな、もしそうなら、この作り手は多少変態的なホラーマニアなだけだなと思っていた。

だから、反対にラストはある程度納得した。

けど、読めなかった人は逆に笑っちゃうくらい驚くだろう。
だから台詞は日本人向けには

「そーです。私が変なオジサンです」

で見事オチ。

キリング・ミー・ソフトリー

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2001年公開

★キャスト
ヘザー・グレアム
ジョセフ・ファインズ

★スタッフ
監督 チェン・カイコー
撮影 マイケル・コールター
製作 ジョー・メジャック
製作総指揮 アイヴァン・ライトマン
      ダニエル・ゴールドバーグ〔製作〕
美術 ジェマ・ジャクソン

★あらすじ
キャリアウーマンのアリスは、交差点で偶然出会った男と視線を交わす。その不思議に物憂げな魅力にとらわれたアリスは彼を追い、何者かも知らないまま激しく愛を交わす。その後、男が有名な登山家アダムであることを知りアリスの情熱はさらに燃え上がる。恋人に別れを告げアダムのもとへ飛び込んだアリスは、彼の愛の深さに幸せの絶頂だった。しかし、アダムの闇の一面は、アリスの心に次第に影を落とし始めた。

★寸評
サスペンスとして成立していない。
サスペンスのカタルシスは、まさかコイツが犯人か、と見事に騙してくれてこそ生まれるものである。
よくぞ騙してくれました、悔しいなぁというどんでん返しの美しさが決ってこそである。
本作は、いかにもな距離感から、いかにもな人が犯人だったりする。

しかし、これはサスペンス作品として観るべきものではないのかもしれない。
じゃナンだ?と言われると返答に困るのだが。

見所といえばエロチシズムか。
確かに濡れ場は多いし、R指定の名に恥じない濃厚さであろう。
しかしそれはサービス程度のもので作品の根幹たりえない。
それならアダルトでも借りればいいのかもしれない。
そもそも、官能作品と言われるもので良作を観た事がない。


名優ジョセフ・ファインズの演技も、それほどのことはない。
主演のへザー・グラハムとのポルノシーンは彼である必要があるのか疑問。


監督は中国では名手と言われているようだが、一部のシーンを除いて不発。

本作にサスペンスを期待した自分に落胆。

ゲド戦記

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2006年公開

★スタッフ
監督 宮崎吾朗
原作 アーシュラ・K・ル=グウィン 「ゲド戦記」
   宮崎駿 「シュナの旅」(原案)
脚本 宮崎吾朗
   丹羽圭子

★キャスト(声)
岡田准一
手嶌葵
田中裕子

★あらすじ
竜が人間の住む世界に現れて共食いを始めるなど、異変が起こりはじめた多島海世界“アースシー”。異変の原因を探るべく旅に出た大賢者ハイタカは、その途中で父王を刺して国を飛び出してきたエンラッドの王子アレンと出会った。2人はともに旅を続け、ハイタカの昔なじみテナーの家へ身を寄せる。しかしテナーと共に住んでいた少女・テルーは、心に闇を持ち自暴自棄となるアレンを嫌悪する。

★寸評
スタジオジブリ最大の失敗作と言える。
これは酷い。
以下の文はダメな部分を挙げるだけになる。
ちなみにハヤオファンでも、原作ファンでもなく、原作を読むつもりもない。
あと、毎度のことだが、過去のジブリ作品との比較もしない。


まず、極端に説明が不足している。
普通、フィクションは幾つかの嘘を吐くものである。
SFやファンタジーは、特に大きな嘘を吐く。
すなわち、スターウォーズのヨーダは嘘だし、C3POだって嘘だ。

普通の作品は、一つか二つの嘘を吐くために膨大な説明を行っている。
それは圧倒的な映像で説明していたり、役者の奇怪極まりない演技だったり、最新のテクノロジーで行ったりする。
この作品では世界観の説明を「スタジオジブリ」という看板だけでやっているようなもんである。
スタジオジブリだから、竜みたいな怪物も出てくるし、剣とか魔法とかおとぎ話の世界のモノや出来事は普通に出てきますよ、とでも言っているようだ。

コラッ

と思ってしまう。

そして当たり前の説明も出来ていない上に、作品中の重要な鍵になるような伏線部分に関しても説明はされない。
すなわち、「まことの名前」とかなんとかいう設定と、「影」である。
これは説明してないからゴチャゴチャになる。
大事な設定は、納得いく説明を劇中で説明してもらわないと困る。
父親殺しとかの事も色々解釈が分かれているようだが、抽象的であったとしても説明はなされていない。

ここまで説明不足だと何か恣意的なものを感じる。
勝手に感じろ、とでも言うのだろうか。
だとしたら、感覚的な映画である必要がある。
本作は私の感覚的には陰鬱な作品である。
それが感じられた私にとっては製作者にとっては成功という事になってしまうのだろうか。
低すぎるハードルであり、詰まらないゴールである。


もっと、分かりやすく退屈な箇所。
単純な事だが、声が小さいし、声優が下手に聞こえる。
しかもメインキャストの殆ど。
田中裕子はマイクに近づいて喋って欲しい。
聞こえない。
岡田君はキャラ年齢とのギャップが埋まってない。


色々ダメだしをしてきた。
しかしながら、これだけダメだしをしてもまだまだ足りない。
なにしろ退屈に感じる箇所は枚挙に暇がなく、キリがない。
が、多少フォローするとすれば、これは監督が「カッコつけた作品」なのかも知れない。
深読みだが、クリエイターがカッコつけるとこんな感じになる。(原作は他人のモンだから違うだろ、とも思うが。)
勿論、妥協のない作品作りをしていればの話だからこの作品には当てはまらないんだが、アーティスティックな表現は数箇所あった。
その数箇所を撮りたくてこの作品は出来てるのかも知れない。
この監督は才能はまだ感じられないが、ある意味では映画作り本来の在り方には適っている。
「ここが撮りたかったんだよ!」
とでも熱弁してくれたら可愛げもあるってもんだ。


総じて退屈な作品。
将来監督の才能が開花したとしても楽しむつもりで観るにはあまりにも退屈さが邪魔する作品である。

恋に落ちたシェイクスピア

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★1998年(英米)

★キャスト
グウィネス・パルトロー
ジョセフ・ファインズ
ジュディ・デンチ
ジェフリー・ラッシュ
コリン・ファース

★スタッフ
監督 ジョン・マッデン
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン
ジュリー・ゴールドスタイン
製作 デヴィッド・パーフィット


★あらすじ
ロンドンでウィリアム・シェイクスピアは『ロミオとジュリエット』の上演準備を行っていた。芝居好きの資産家の娘ヴァイオラは、アメリカの植民地への投資のために金が必要な貧乏貴族との意に染まぬ結婚を前にしていた。当時女性は舞台に立つことができず、女装した変声期前の男性俳優が女性を演じていた。ヴァイオラは男装してシェイクスピアの劇団に潜り込み、抜群の演技力でロミオの役を得る。ヴァイオラの男装はシェイクスピアの知るところとなるが、シェイクスピアはこれを隠す。シェイクスピアとヴァイオラの2人は次第に惹かれあい、忍んで2人で逢う仲となる

★寸評
下敷きは不朽の名作「ロミオ&ジュリエット」と喜劇の傑作「十二夜」を合わせて、脚色を加えた内容。
実に練られた台本である。
英国人が見れば、常識の範囲内として、知っているであろう作品である。
日本における「枕草子」「源氏物語」のレベルだろうか。
「ロミオ&ジュリエット」などは、我々日本人も含めて共感することが出来る普遍性を持った作品であり、中期の名作である「十二夜」と、これらをモチーフに使ったところは、台本の目の付け所がシャープである。
これらに加えて、戯曲家であるシェイクスピアを実際に出すという荒業をやってのけたところにこの作品の存在価値はあると思う。

シェイクスピアの肖像は知っていても実際の実像は殆どの人間は知らない。
作家専門であったわけではなく、最初は役者が中心だったのもこの作品で知る。

劇中には、「ロミオ&ジュリエット」のネタになるであろう場面や台詞が挿入されている。
バルコニーの場面などは実に自然に取り込まれている。

欲を言えば、他の作品の台詞や場面がもっとチラチラ出てきたら嬉しい。
実際に「十二夜」が発表されるのはもう少し先になるわけだし。
あるにしても日本人には分かりにくすぎる。
しかし、知らなくても充分に楽しめる内容ではある。


演技は好いと思う。
本作は時代劇である。
加えて戯曲なので、独特の韻律があり現代的にやれば本の良さを殺すし、時代がかってやれば大袈裟になってワザとらしい。
この微妙なところを演技派の役者陣が見事に乗り切っている。
イケメンなだけだったりかわいいだけの役者では絶対無理な難しい台本である。
流石。

交渉人 真下正義

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2005年

★キャスト
ユースケ・サンタマリア
寺島進
小泉孝太郎
水野美紀
高杉亘
松重豊
石井正則
國村隼

★スタッフ
監督 本広克行
製作 亀山千広
脚本 十川誠志

★あらすじ
クリスマスイブの午後、大混雑している東京の地下鉄で警視庁史上最悪の大規模テロ事件が勃発。東京トランスポーテーションレールウエイ(TTR)の最新鋭実験車両クモE4-600(通称『クモ』)が何者かに乗っ取られ、地下鉄の中を暴走し始めたのだ。警視庁は緊急対策会議を召集、第1級テロの可能性ありと見た捜査一課の室井慎次管理官(警視正)は、緊急対応メンバーの召集を指示、その司令塔として日本初の犯罪交渉人、真下正義課長(警視)率いる刑事部交渉課準備室CICチームをTTR総合司令室へ急派するよう命じた・・・。

★寸評
スピンオフ作品らしい作品といえる。
本来、物足りないものなのが、スピンオフなのだ。
それは、脇役として作られた役を主役にするから無理が出てくる。
そのためにも新たに役を、特に脇役を作り直さないといけない。
それで出てきたのが小泉孝太郎とかで、全く役立たずである。

あと、このシリーズの特徴のオマージュです。
オープニングは「交渉人」のオマージュ。
このやり方だとニヤリとしてしまう、いいやり方だと思う。

そして、テーマの交渉人だが、あまり効果的には思えない。
普通のサスペンスアクションと考えるべき作品になっている。
したがって、本作は通常の「踊る大捜査線」の続編と考えていいと思う。
交渉には決して重点を置かれていない。
これは作家陣が意図的だったのか不作為だったかどうなんだろうか。
意図的だとしたら、観客を舐めてるとも考えられる。
或いは、ファンの期待に応えた作品とも考えられる。

総じて普通の映画。
シリーズのファンには喜べるネタが詰まっている作品。

カノン(仏)

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★1998年公開

★キャスト
フィリップ・ナオン

★監督
ギャスパー・ノエ

★あらすじ
かつて馬肉屋をしていた男は刑務所から出所後、愛人のもとで暮らしていたが、何もかもに嫌気がさし、施設に入っている娘に会うためパリへ向かう。
だが全てのものに嫌悪感を持ってしまう男は何もかもが気に食わない。
やがて施設の娘との面会が叶い、彼女を外に連れ出し安宿に入るが、そこで男は取り返しのつかない行為に及んでしまう……。「カルネ」の続編で、監督・脚本は同じくギャスパー・ノエが担当している。

★寸評
フランス映画である。
実に内省的な中年の貧乏人がひたすら心の中で喋り倒す。
ここに特徴がある。
このオッサンが実にペシミストで、自虐と悲観で凝り固まった事を論理的に喋りまくる。
「自分はチンポだ。」
ってなことをずっと喋ってる。
これが笑えるか否かでこの作品の評価は真っ二つに分かれるんだろう。

ただ、ヴィンセント・ギャロやタランティーノが絶賛するこの監督はラストにどんでん返しを用意している。
それほどビックリする程の内容ではないが。

この映画は、思索の深みが大切な軸なんだろうか。
監督は、インタビューで「恐怖」をテーマに訴えたいと発言している。
それにしては、ギャグだろ?ってう描写は結構多かった。
それも全てストレートではなく捻くれたペーソスに満ちている。
この間抜けさ加減は、ある意味では寅さんに近いものがあるのかもしれない。
両者とも社会的弱者だし。

本作は、30代以上の男性で、仕事とか私生活である程度色んな事を体験して疲れちゃわないと判りにくい映画だと思う。
逆にそのくらいの世代でこの作品の面白さが理解出来ない人は、かなりタフな人でしょう。


ALWAYS 続・三丁目の夕日

2008年12月11日 | 映画(ア行)
★2007年公開

★キャスト
吉岡秀隆
堀北真希
堤真一
小雪
もたいまさこ
三浦友和
薬師丸ひろこ
貫地谷しほり
温水洋一
マギー
須賀健太
平田満
上川隆也
小日向文世
ピエール瀧
渡辺いっけい
手塚理美
吹石一恵

★スタッフ
監督 山崎貴
原作者 西岸良平
脚本 山崎貴
   古沢良太

★あらすじ
昭和34年春。日本は高度経済成長時代に足を踏み入れようとしていた。取引先も増え、軌道に乗ってきた鈴木オートに家族が増えた。事業に失敗した親戚の娘、美加を預かることにしたのだ。しかし、お嬢様育ちの美加と一平は喧嘩ばかり。一方、一度淳之介を諦めた川渕だが、再び茶川の所にやってくるようになっていた。淳之介を渡したくない茶川は、再び芥川賞に挑戦しようと決意する。

★寸評
大ヒット作品の続編。
結論からすると、前作の方向性を踏襲しつつ無理なくまとめた良作である。
オープニングに東宝の「奴」が出てきて暴れやがる。

批判があるとすれば、単なる好みの問題であったり、イチャモンのレベルを出ない罵詈雑言である。
好みの問題ならば観なければいい話である。
もとからベタベタの作品なのは予告を見てれば判るはず。
最初に言っておくが、この作品はベタである。
直球、ドストレートである。
映画をよく観る人には殆どが想定内である。
あまり映画を観ない人でも無意識ながら予想している。
その期待に奇をてらうことなくベタベタに応えている作品である。
だから、お約束を期待して観にいけば、バッチリ嵌れる作品である。

ベタと言えば発想が貧困のようにも聞こえる。
発想が古いとか、スタイリッシュではないとか。
しかし、これは大きな間違いである。
ベタが判っていなければ、新しい発想も判らない。
ベタが作れる人材は今となっては、非常に貴重ですらある。
需要はまだまだあるわけである。

本作はその点、ベタ作品としてよく出来ているし、日本人には理解し易い作品である。

批判について喝破しておく。
この手の作品ではよくある批判だが、批判をすることにより自分を上位に置こうという下らない発想の人間がいる。

内容について。
昭和の時代の人情喜劇である。
それをテクノロジーの進歩を最大限に利用して作られている。
脚本に関しては大雑把に分けると4本分のエピソードがある。
すなわち、

1、鈴木オートの部
2、茶川竜之介の部
3、子供の部
4、ヒロミの部

である。
それぞれが独立しつつも関連している。
そして、前作同様昭和の町並みや昭和ならではの懐かしいエピソードが満載されている。
前作でオチのついていなかったエピソードもあり、そこも取りこぼすことなく宿題に応えてくれている。(瀧演じる氷屋、三浦演じる寂しい医者など)


何故、続きものの作品なのに前作に匹敵するか或いは超越する作品になったのか、じっくり考えてみる必要がある。

第一に、キャスト・スタッフが同じ顔ぶれである。
その上、キャストは実力者が勢ぞろいである。
これら前提はなかなか実現しにくい条件をクリア出来た。

次に、スタッフに関して、前作同様の丹念な作業をこなしている。
日本の映画界にはもともと世界的に優秀なスタッフが揃っているので、この仕事を実現出来たのは喜ばしい。

そして、脚本。
根幹の部分である。
本作における新しい基軸は、鈴木オートにやってきた女の子、六ちゃんの同級生、それ以外はぶつ切りの挿話である。

ここで気付く。

殆ど新基軸はない。
前作の掘下げの方が多い。
キャラは既に立っているし、舞台の設定も既に出来ているので説明は少なくてもいい。
つまり乗っかった上で、話を転がしているのである。
だからあまり無理が無い。
前作の取りこぼしを回収する作業が多いということである。
それほど難しい作業をしているわけではないということ。

これが結果として成功をもたらしたという何ともパラドキシカルな結果となった。

ベタに素直に感動出来る人は観て損はしない。
良い作品である。

ALWAYS 三丁目の夕日

2008年12月11日 | 映画(ア行)
★2005年公開

★キャスト
吉岡秀隆
堤真一
薬師丸ひろ子
小雪
堀北真希

★スタッフ
監督    山崎貴
製作総指揮 阿部秀司
脚本    山崎貴
      古沢良太


★あらすじ
昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台とし、夕日町三丁目に暮らす人々の暖かな交流を描く人間ドラマ。(東京の愛宕町界隈を想定している。)

★寸評
『美しい国へ』(安倍晋三著)の中で、「映画『三丁目の夕日』が描いたもの」として、本作品が書かれている。
また、2007年4月に中華人民共和国温家宝首相が日中会談で安倍晋三との会談の際に、本映画を見たと述べた。

など、政治的にも利用される日本の原風景を描いた作品。

作品中の、昭和30年代を再現したセットやVFXが話題になった。
高い技術である。
恐らく、その時代を生きた人々にすれば様々な意見が出るだろう。
曰く、「汚さが足りない」「あんなもんじゃない」

馬鹿かお前らは。

画の汚さを追求する映画ではないのは、歴然としている。
過去の時代の映画を作るのに美しくしなくてどうするのだろう。

同時代人でない人間からすれば、美しい日本の風景である。
ノスタルジアを喚起させる日本の下町。
その住人はまた、日本人から失われた精神性を持った、温かみのある人々が慎ましくも精一杯生きている。
この辺がこの作品の主題なのは、誰が見ても分かるだろう。

賞レースを総なめしたのは頷ける。
ここで描かれた人々は、日本の庶民が本来持っていた精神的文化の血を通わせている。
即ち、映画界からのメッセージと取るべきである。

それを、やれ「ありきたり」「結末が見えた」としたり顔で述べる人間は実に浅慮である。


このストーリーでしかありえないでしょう。
全く無難なストーリーである。
少しでも変わった趣向をやろうとすれば、訳を知った風なオッサンやババァが批判してくるから、このベタベタな内容にせざるを得ない筈。
その上、古臭い手垢まみれの展開を客は欲しており、それに見事答えた作品である。
言ってみれば、お約束を徹底して追及し、作られたわけである。
これは賞賛に値する。

ともすればクリエイターはアーティスティックなものを作りたがる。
時代の数歩先を行きたがる。
売れようが売れまいが関係ない人間が本来はクリエイターという人種である。
自分の好きなことをやれたら嬉しいのがクリエイター。
それをこの製作者達はVFXのみに留め、ストーリーをコテコテの日本映画にして、パッケージして売った。
見事に売った。
ダサダサの形で。

結果、大成功である。

内容的には先ほどから書いている通り、どーってことない。
綺麗にまとまっている。
演技者も全員が水準以上である。
特に吉岡秀隆は難しい役を流石の感性で演じきった。

好い作品であると言わざるを得ない。

アメリ(仏)

2008年12月11日 | 映画(ア行)
★2002年公開

★キャスト
オドレイ・トト
マチュー・カソヴィッツ
ジャメル・ドゥブーズ
ドミニク・ピノン

★スタッフ
監督 ジャン=ピエール・ジュネ
脚本 ジャン=ピエール・ジュネ
音楽 ヤン・ティルセン
製作 クローディー・オサール

★あらすじ
アメリはモンマルトルのカフェ・ムーランで働く22歳。幼い頃から父と二人暮しだった彼女は、いつのまにか空想好きでエキセントリックな女性になっていた。そんな彼女が、駅で証明写真機の下を探る男性ニノに一目惚れする。彼女は、ダイアナ妃が亡くなったニュースを見ながらアパートの浴室でみつけた小さなブリキの箱を持ち主に届ける事ができれば、新しい世界に飛び込んでみようと決心する。

★寸評
評価が真っ二つと言って差し支えない程に分かれる作品。

まず、表層部分について。
音楽はアコーディオンを中心に、哀愁に満ちたメロディでシーンを明るく見せている。
映像は実に凝っている。
時にフラッシュバックしたり、コマ送りをしたり。
映像自体のテンポは悪くない。
衣装やセットも美しくセンスは好い。
素晴らしいスタッフワークと言えるだろう。


そして、キャスト。
まず主役の女優。
かなり難しい役だろう。
が、ストレートに演じている。
あまり、奇をてらうこともなく、監督の意図通りに演じてるんじゃないだろうか。
他もそれほど目立つキャストはいない。

この作品はやはり台本だろう。
ジュネ。
実に癖のある台本を作った。
しかも自分で監督までしている。
簡単に要約すると、モテないアメリに彼氏が出来るようになるまでの話である。
これを彩るキャラクターは殆どがコミュニケーション能力に欠陥を抱えている。
アメリ自身もコミュニケーションは苦手だが、活発に世間とは関わっている。
しかもその手法は主に、どうでもいいような悪戯やお節介を中心としている。
この手法がカワイイと取るか、鬱陶しい、キモいなどと受けるかでこの映画の評価が決まってくる。

男たちの大和/YAMATO

2008年12月11日 | 映画(ア行)
★2005年

★キャスト
反町隆史
中村獅童
松山ケンイチ

★スタッフ
監督 佐藤純彌
原作 辺見じゅん 「決定版 男たちの大和(上・下)」
脚本 佐藤純彌
音楽 久石譲
主題歌 長渕剛
製作 角川春樹

★あらすじ
終戦60周年を記念して制作された。 菊水作戦における戦艦大和の乗組員の生き様を描いた作品である。

★寸評
戦争の記録映画である。
あ、それ以上でも以下でもなく、それを観る事にのみ価値があると言っていい。
キャストに反町、製作が角川、主題歌が長渕となかなかに右な連中である。
が、それは本作にはそれほど大きな影響を与えていない。

勿体無い部分が非常に多い。
折角の大和のセットを遠くから撮ってなかったり、仲代達也を現代に無駄遣いしたり。
こんな、どうにもならない部分が多くあるかなと。
焦点を絞ればいいエピソードが沢山あるのに、絞りきれていないから散漫な印象が残ってしまう。

この映画、右的な要素がプンプンするのに、話題にならなかたったのと物議を醸さなかったのは色んなどうにもならない失策が多かったからである。

演技は普通くらいです。
光っていたのは蒼井優です。
この手の演技が得意なんでしょうか。
所謂、田舎っぽい、前時代的な普通の子っていう設定。
反町は、思ったより笑えない普通の芝居をしている。
ある意味空気がわかる感じの普通の人になってきたのかもしれない。
それはそれで残念である。

踊る大捜査線 THE MOVIE 修正削除 移動

2008年12月11日 | 映画(ア行)
★1998年

★キャスト
織田裕二
柳葉敏郎
深津絵里
水野美紀
いかりや長介
ユースケ・サンタマリア
筧利夫

★スタッフ
監督 本広克行(ROBOT)
脚本 君塚良一
プロデューサー 亀山千広(フジテレビ)

★あらすじ
ある日、署管轄の川で男の水死体が発見され、対応に追われる湾岸署内で何者かによる窃盗事件が続出する。同じ頃、警視庁副総監の誘拐事件が発生した。殺人を示唆するネット犯罪と、重大事件が重なり署内には騒然とした空気が流れる。本庁からの指示で思うように捜査ができない青島刑事(織田裕二)は独自の捜査を開始する。

★寸評
本作はテレビドラマとは別物であり、一個の映画として評価し、ドラマとの比較論には与しない。

細かい箇所には沢山文句がある。
パクリもある。
設定に無理もある。

しかしながらアツい。
どいしようもなくアツい。
テレビ的なスポ根的なアツさです。
これが好きな人が観ればいい映画です。

はっきり言ってパクリは露骨です。

そもそも青島刑事自体が「セブン」におけるブラッド・ピットだし、いかりや長介はモーガン・フリーマンです。
本作の小泉今日子は「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスです。
あと、黒澤映画の「天国と地獄」のシーンのパクリをやってしまってます。(wikipediaによると使用許可を得ているらしい)

しかし、客層にテレビシリーズのファンを中心に設定して観てもらうつもりでしょうから、コアな映画のオマージュがあっても気付かないです。
従って、パクリに関してはオマージュと捉え前向きに考える。

本作の最大の弱点は犯人に強烈な悪役を設定していないところでしょう。
ですから、見方を間違えるとえらいことになる。
この作品は刑事を中心とした、群像劇或いはコメディのような作品なんでしょう。
本作を推理サスペンスと捉えたら、すっころんでしまう。

ここら辺を間違えないように観なければいけないんでしょうが、殆どの人はテレビシリーズの延長で観る根強いファンだろうからあまり関係ないんでしょう。

観客動員数で作品の好悪を判断してしまうと痛い目にあいます。