(写真はワーナーミュージックのHPより)
あるベテラン女性DJと会話していて、そのDJが耳を疑う発言をした。
私が尊敬してやまない「歌う人間国宝」山下達郎について
「懐かしい」
と語ったのだ。
私は怒る以前に信じられなくなり、その話題を引っ込めてしまった。
理屈でねじ伏せる事も可能なのだが、このトシになるととにかくソフトランディングを求めてしまう。その方が後々楽だ。
ここで「懐かしい」という言葉の意味を考えたい。
ネットの辞書「コトバンク」から引用。
現代において、①の意味で「懐かしい」を使う例は、ほとんどお目にかからない。
大半は②の使用例だ。
今年71歳になるのに今なお現役の第一線であり続ける達郎を私は心から尊敬しているだけに、「懐かしい」と形容されてしまう事で「あの人は今」的な語り方をこのDJはしているのだと感じ、哀しい気持ちになった。
言うまでもなく、達郎のライブのチケットは国内有数の取りにくさだ。それは取りも直さず音質にこだわってアリーナツアーを拒み、2,000人前後のホールツアーに絞っているからであり、その知名度、ヒット曲の多さとは裏腹に流通枚数が少なすぎるためだ。
またCDも年々寡作になり、2000年以降オリジナルアルバムは3枚のみ。しかも収録曲の大半はそれまでに発売されていたシングルだが、発売されたアルバムは必ずチャートの1位になる。
達郎のどこをどう切り取っても「懐かしい」という言葉が適切だとは思えない。
善意に解釈すれば、例えば「クリスマス・イブ」を聴いて自身がバブリーな恋愛をしていた時代を偲んだり、アルバム「FOR YOU」を聴きながら海に行っていた時代を偲んだりして自分だけが懐かしいのかもしれない。
ただ、申し訳ないが曲は現役だ。
達郎のライブでも、それらは必ず演奏される。しかも当時と同じギターで、同じアレンジで。
また「RIDE ON TIME」がリリース後22年経ってキムタクのドラマ「GOOD LUCK」の主題歌に使われたように、リアルタイムのファンのみならず若い人達が達郎の楽曲に新たな命を吹き込んでくれているではないか。
最も残念なのは、彼女が公共の電波を預かるDJという事だ。
最も残念なのは、彼女が公共の電波を預かるDJという事だ。
達郎を「懐かしい」の一言で片付けられた日には、我々ファンは黙っていない。極端な例はビートルズで、仮にビートルズの曲を「懐かしい」と語ってしまった日には、ファンに袋叩きにされるのは必至だ。
思いの全てを言葉で語る稼業であるDJにとって、配慮に欠ける発言を電波に乗せてファンの心情を害しておいて「言葉足らずでした」では済まされない。
おそらく彼女は、これまでもそのように配慮に欠ける発言をあちこちでやらかして来たのだろう。
ラジオだけに全てはリスナー、そしてスポンサーの判断に委ねればよいのだが、確実に言えるのは彼女は私・ほしちゃんというリスナーを失ったという事。そして、このような軽率な言葉遣いをしてしまうDJを局が起用してはリスナーの信用を失い続けた事が、今日の媒体価値の低下を招いたのではないだろうか…?