ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

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聖帝の明治天皇陛下の幼少時代はいたずらっこ

2019年08月06日 | 聖帝の明治天皇陛下
第122代の天皇である明治天皇陛下は、孝明天皇の第2皇子として
嘉永5年(1852)11月3日に
生まれました。

11月3日は戦前、明治節として休日でしたが、現在は文化の日祝祭日と
なっています。

●幼少時代は「いたずらっ子」

 万延元年(1860)、明治天皇陛下
が9歳のときに宮中に入った
樹下範子(掌侍取扱)が
幼少時の堅苦しい生活について語っています。

当時の日常は、朝7時頃起き、
御膳を召し上がった後、
身支度をされ、白粉までおつけになりました。
髪は稚児髷で、お召し物は
模様のある縫いの振り袖、まるでお姫様のような格好でした。

 昼の食事がすむと、お召し替えです。

本紋の緋綸子(ひりんず)の御衣、白絹の御袴という鮮やかな姿で御所に参内なさいます。

そして、午後3時頃まで
お父様の孝明天皇のそばにいらっしゃいました。

御所では毎日2首の歌を詠み、
手習いをなさいました。
夜はだいたい9時頃お休みになりました。

 実際の明治天皇陛下は
「おいた」ばかりする
いたずらっ子でした。
明治18年から宮中に奉公した藪嘉根子(元掌侍)の証言。

《聖上(おかみ)は
小さいときから非常に勝ち気で、稚児を相手に
戦事(いくさごと)をする際も、自ら木の太刀を持って勇ましく切り合い、決して負けることはなかったと聞いています。

したがって、「おいた」もなかなか激しく、そこへ私の兄の亀吉が
相手になって、ずいぶん女官の方々を困らせたそうです。

 女官の後ろから水をかけて驚かせたり、呉服所の人々が大切に縁側に飾っておいた万年青(おもと)の葉を、ハサミでちょん切って
坊主にしてしまったり、
廊下はいつも「おいた」で大騒ぎだったそうです。

こういうお話は国父われわれの皇帝、天皇陛下が親しみを感じられて嬉しいですね。


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