ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

我が国の大功労者本居宣長先生の要点

2019年06月17日 | 本居宣長先生
本居宣長大功労者

江戸時代に「国学の四大人(しうし)」



本居宣長
『源氏物語』を研究
『古事記伝』を執筆した大功労者

本居宣長(もとおりのりなが)大功労者

1730年、伊勢国松坂(現在の三重県松坂市)の木綿商・小津家の次男として生まれました。
小津家は江戸に出店を持つ裕福な家でしたが、宣長は商売に関心がなく、
母親のすすめで医師になるため京都に遊学します。

祖先の姓をとり、小津から本居に改名した宣長は、医書を読むために漢学を
学び、荻生徂徠や契沖などの学問に
触れたことから、古典研究に強い関心を抱くようになりました。

28歳で松坂に帰郷した宣長先生は、
地域の知識人を相手に
古典の講義を始めます。
その後は医業のかたわらで、
『源氏物語』や『古事記』を研究し、
松坂の地で数多くの著作を発表することになります。

門人の数も多く、「授業門人姓名録」という記録には、およそ500人におよぶ。
その階層も町人、農民、武士と幅広く、地域も北は青森から南は熊本までと
国内全国に及んでいました。

宣長先生の学問は大きく分けて
三つです。

1つは、『源氏物語』をはじめとする日本文学の研究です。
その要点仏教の教えや儒教の道徳を説くのが文学の目的ではなく、
「もののあはれを知る」、
つまりものごとの繊細な機微を
感じさせることこそが文学であるという主張です。

2つ目に、先生は日本語そのものの研究でも高く評価されています。
「てにをは」の係り結びの法則を発見し、
さらに古代日本語の音韻を分析した成果は、宣長自身の研究に寄与しただけでなく、西洋の比較言語学が
知られるようになってから再発見され、現代の研究にも影響を与えています。

そして3つ目に、本居宣長先生の名をもっとも高め人生をかけてともなったのが
『古事記』の研究と
『古事記伝』の執筆でした。
『古事記伝』は古事記に訓読を施して注釈をつけた研究書で、44巻を35年の歳月をかけて完成させています。

ただ、宣長先生存命中の出版は17巻までで、全巻の発行は没後21年経った1822年まで待たなければなりませんでした。


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