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北海道 洞爺湖旅行 その7 「洞爺湖ビジターセンター & 火山科学館」

2009年10月26日 21時22分46秒 | 北海道

出発して、数分。

洞爺湖ビジターセンター & 火山科学館 に到着。





ここはとても綺麗。
WC休憩だけでなく、是非是非科学館もお薦めしたい。











実は私は今回ここに来る前に 過去の被災地やこういう災害に関する資料館 を
見るのは・・・ と迷ったのだ。

結論は、 来て良かった です。
とても勉強になったし、 経験で強くなった町なんだ と実感しました。
強くなったという言い方は変だな。
ずっとここで生活して行くのだから、大変だし備えなければいけないのだなと。

今までの写真は無料の資料。
スタッフの方達のお薦めもあったので、ここから火山科学館へ入館しまっす。
(大人600円)
写真撮影は特に注意もされず注意書きも見なかったような・・・ 聞いたっけ?
フラッシュをたかないでバシバシ撮ったけれど良かったのかな(汗)





ここは印象に残ったので、ちょと細かい説明を。





1977年、2000年の噴火を中心に、有珠山の火山活動を紹介している施設。
ビデオや、展示、装置などがある。





開館時間は 9:00 ~ 17:00
休館日はお正月だけみたい。(確認してください)





私たちはビデオも観た。
画面の端に 陸上自衛隊 とあったので噴火当時の様子を撮った物だと思う。





以下、火山科学館の説明と観た映画より。





明治の噴火では、東京帝国大学教授の研究の講義を受けた警察署長が、前兆の地震から
噴火を察知して周辺に住む住民に事前避難を命令。
犠牲者はゼロだったそうだ。

昭和52年の噴火では、人が感じるほどの強さとなった地震に室蘭地方気象台が、火山情報として発表。

そして2000年。
西山西麓で始まりその後、金比羅山で噴火。
火口から吹き出した熱泥流が温泉街まで迫る。
周辺の3自治体は、避難地域を拡大して虻田町(現洞爺湖町)市街地全域を対象とする。
4月上旬の避難対象者数は約1万6千人で、とても多くの避難所と避難者数、そして長い避難生活が始まる。





有珠山西麓の被害が広がり、金比羅山の火口からも熱泥流が発生する。
熱泥流は洞爺湖内に流れ、国道にかかる橋や町の施設に達した。
西山山麓は約80mも隆起し、国道230号やそれに沿う建物が破壊された。
数ヵ月後、住民の避難指示は解除され終息。
地熱活動は現在も続いているそうだ。


建物はそんなに大きくはないのだけど、私達は随分ここにいましたよ。

それで、迷っていた被災地。
スタッフの方に又色々とお聞きして、向かう事に。
場所は2箇所あるのだけど、今回は近い方に。





科学館から車で数分の距離。

西山火口散策路」へ。





ここは駐車場なのだけど、すぐ横に金毘羅山火口展望所への入り口案内が。





今回は私達は行かなかった。





駐車場から歩いてすぐの所。









ここから散策は片道20分位かな?
もっと奥にも行ける様なのだが、それはそれぞれの方の時間&体力で。









歩いて行く足場というか・・・ 通路は、左上の方。





雨天の場合は滑りそうなので、足場は良くないと思います。

















教訓なのだ と思った。
こうして、残す事によって自然の恐ろしさを感じそこで生きて行く為の教訓。
そこで暮らして行く後の世代に、その場所を訪れる多くの人達に伝えて行くもの。


さあ、洞爺湖とお別れ。





これより 大滝村 へ向かいます。


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