サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

すみません。愚痴です。

2008年07月05日 | カニ夫の生活
木曜日に居間で夕食後そのまま寝てしまい、娘が毛布を掛けてくれましたが、朝まで寝てしまい、金曜日の朝、頭痛と倦怠感で仕事を休んでしまいました。

休んで爆睡していると夕方帰ってきた娘が郵便受けに手紙があったよと。

見に行ってみると
「電話で百ヶ日法要はわかったけど日時と場所が解らないので失礼します。七月四日午後二時ころ○○(カニ夫の実母の名前)」
と広告の裏に書いた紙が挟まっていました。

意味がわからない。電話したときに日時と場所は伝えてある。

カニ夫の電話番号は知っている。忘れたのであれば聞けばいい。来たくなければ来なくていい。誰に対しての言い訳だろうか?
何のための言い訳だろう。連絡が来なかったから行かなかったとでも言いたいのだろうか。カニ夫の責任にしたいのか?

これが自分の親の言葉なんだろうか?

サバイバーが最後の入院をしたとき、病室に来て独りよがりな事を言って、サバイバーを困らせた。
七日参りに来て意味不明のことを言い、結局、四十九日の法要も来なかった。

とりあえず、百ヶ日法要は7月16日なので父親の携帯の留守電に日時を伝言しておいた。

もういいかという諦めに似た感情が生まれてくる。

祖父の死後、遺産相続で揉め、カニ夫の家は本家なのに親族が家に来ることは無かった。
子供心に父の兄弟は、なんと理不尽な人たちなのだろうかと思った。
でも、最近は考えが変わってきた。結局みんな相手を自分の思い通りにしたかっただけなのである。

サバイバーと結婚してから、両親を1泊旅行で上高地や鵜野浜温泉にもつれていった。娘の誕生日にはレストランにも招待した。正月にお節料理を振る舞ったこともある。

母の日に贈り物をすると色が気にくわない等々、サバイバーが何往復もすることもあった。カニ夫が贈ったものを「気に入らないから、あんたにあげる」と言われ、「返しに来なくて良い、捨ててくれ」と答えたこともあった。

でも何故か両親からだんだんと断ってくることが多くなり、交流を拒絶するようになった。

サバイバーが逝ってからカニ夫は両親の行動がまったく理解できない。カニ夫は分家である。跡取りではない。
とりあえず十分ではないかも知れないが親孝行はした。拒絶したのは両親からである。
これからは、事実を基に行動したい。言い訳はもうたくさんである。

四十九日の法要も百ヶ日の法要も納骨の日も来ないなら来ないで良い。

喧嘩はしません。たぶん、何があっても静観します。もう連絡もしません。
両親に対する感情は封印します。私は言い訳するつもりはありません。行動のみで示します。

もう疲れました。

カニ夫の両親は長男と同居しています。長男に任せておけばいいわけですから、カニ夫がすることもないわけで・・・。


相手を自分の思い通りにしようとは思いません。カニ夫は娘とサバイバーの事を優先して生きていきます。
無理なものは無理です。結論としてはさみしいのですが、仕方ありません。

すみません、愚痴でした。