かくして大阪城に入った長曾我部盛親の家来の忠右衛門
関ヶ原の後領土没収となった盛親はお家再興を計り
戦国の世の常として主君が改易となった後、浪人の身となっていた忠右衛門も主君の元にはせ参じた
当時。大阪城にはこれを機に一旗揚げてやろうと言う一騎当千の兵も大勢いただろう
そして時は1615年大阪夏の陣、盛親部隊は八尾方面の攻撃を受け持ち
幕府方、藤堂高虎の部隊と激突した緒戦こそ惨敗したが盛親の作戦が功を奏し
しだいに藤堂の部隊を圧倒した、「今が功名の時」と勇猛に敵陣に飛び込んだ忠右衛門
相手方兜首で幌衆の一人、山田何べえの首を打ち取ってしまった
しかし結局は多勢に無勢、次第に大坂方の敗報が続き盛親も大阪城に撤退した。
そして夏の陣は秀頼、真田幸村等の死によって終焉する
その後、盛親は捕らえられ京都六条川原斬首され忠右衛門は元の流浪の身となった
しかし、ここから忠右衛門の運が開花する
何年かの流浪の後、関ヶ原後に敵方山内家の物となった土佐に帰る
忠右衛門の夏の陣の功名を聞き及んでいた土佐藩二代目山内忠義は忠右衛門を召し抱え
小さいながらも領地まで与えた
数十年後その地に忠右衛門を称え忠右衛門を祀った神社まで出来てしまった
大阪夏の陣に立身出世を願って大坂方にはせ参じた侍は数万人に昇ったが
ほとんどが討ち死に、切腹、敗走、流浪、打ち首
その中のごく一部、ほんの数人程が徳川方に召し抱えられている
忠右衛門は極めて運の良い事例だ
それも敵方の兜首を挙げたが故である
大阪夏の陣と言えば戦国時代最後の戦いその最後に挙げた手柄
オーラス、リーチ一発ツモだ
その最後の手柄がその後の数百年の子孫の繁栄を呼んだ
(この話は本当にあった話でこの話を知っているのは子孫の方以外ほんの幾人かと思われます)
今朝は昨日の残りのオムライス、納豆、キュウリのあえ物、野菜ジュースですね
昨日は菜っ葉のおひたし、シラス入り大根おろし、タラコに納豆、オムライスです。
庭に冬用の花を植えました。