広田寛治のブログ

音楽と社会と歴史と

『ロック・クロニクル 現代史のなかのロックンロール』6章の内容

2012年05月02日 08時22分26秒 | 著書
『ロック・クロニクル 現代史のなかのロックンロール』(河出書房新社)第6章の少し詳しい内容です。
第6章は「サイケデリック・ロックとフラワー・ムーブメント」と題して、1966年1月のケン・キージーのアシッド・テストとグレイトフル・デッドの登場(事件61)から、1967年12月のオーティス・レディングの死(事件78)までのロックと社会との関係を検証しています。
1964年のビートルズの登場を機にロックンロールはポップ・ミュージックのメインストリームになり、ロックに触発された若者たちは古い価値観や既成の体制を否定し自由を求めるようになります。1966年~67年には、こうした動きがドラッグと結びつき、ヒッピー・ムーブメントとして大きな盛り上がりをみせ、ロック・シーンもまたサイケデリックな色彩をおびたサウンドが主流となり(事件61、62、75)、さまざまなサウンド革命が進展(事件63、64、73、)しました。そんななか、アメリカでは公民権運動の中心を黒人が主体的に担うようになる一方で(事件65、78)、白人の若者たちはヴェトナム戦争に反対する運動を本格化させ(事件66)、ラヴ&ピースを掲げたフラワー・ムーブメントが台頭(事件68、74)していきます。それに対してドラッグに対する規制がしだいに強化され弾圧がはじまるなか(事件69、70、72、)、ロック・シーンは急速に政治性を帯びはじめ(事件71、76、77)、若者たちによる社会変革の試みへと繋がっていくことになるのです。その頂点のひとつが、1967年10月にフラワー・パワーがペンタゴンを包囲し、現実にヴェトナム戦争終結への希望がふくらんだことでした。
『ロック・クロニクル』は、448ページという分厚い本ですが、ロックの歴史が社会の動きとどのように関連していたのかに関心のある方には、ぜひご一読いただければと思います。


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