ひらた100km徒歩の旅

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団長日記

2013-12-28 09:44:36 | 第7回日記
12月28日(土)雪

中学から高1一学期までは本当に普通の恰好をした学生で、
勉強もそこそこでき、まじめに部活をする少年でした。
しかし高1の夏休みを機会に少し背伸びをし、
学生服も当時はわりと主流でしたBEーBOPハイスクール風になりました。
その頃からバンドもやり始めたりと交遊の幅もグッと広がり、
自分の部屋も友達のたまり場になりながら、少し強面の先輩方ともお付き合いするようになり、
見たことのない他校の先輩なども出入りするように(笑)。
あまりに人が出入りするので、平田署でもマークされたたまり場だったとのちに、
警察に精通された方から聞いたことも(苦笑)。
でもそうしたこともこの歳になれば良き思い出であり、
今思えば小さくはありますが、自分の少年時代の分岐点だったような気がします。

そうした人づきあいの流れは今にも至り、様々な縁を頂くことがあります。

今年100km徒歩の旅は島根大学生の中の拡がりの行き詰まりもあり、
短大、専門学校、そして高校にも募集をスタッフ募集をかけました。
その中で唯一想いを受け取り前向きに募集してくださった学校が出雲西高。
それは実行委員会の中で私の一つ上の先輩のツテでお願いし、
高校の窓口になってくださったのが、高校の時少し強面の先輩の一人だったのです。
そんなご縁を頂き、今年出雲西高から3名の女の子がやってきてくれました。
最初はこちらも大学生と一律に研修を受け、乗り越えることができるのか?
どれくらい活躍してくれるのか?そんな不安も抱えてのスタートでしたが、
見事スタッフの一員として、社会人給水スタッフからも「彼女たちがいて助かった」とまで言わせるほどの活躍でした。
その彼女たちを紹介してもらった高校の先輩である西高の教頭先生に、
いつか直接お会いして御礼を言いたかったのですが、しかしそれが叶わぬことに。
その先輩が闘病生活をしておられるとは、100km実行委員会の先輩達から聞いてはおりましたが、
さきに挙げたエピソードにもあるように学校にも今年復帰しておられたのですが、
この年末お亡くなりになりました。
私の知る付き合いのあった高校の先輩方も励まし、
時には治療のための通院で大阪まで運転してあげられたりと、影に日向に闘病生活を支えていらっしゃったようです。

小学校の時よりスポーツ万能でかっこよく、高校でも卓球部のキャプテン。
強面ではありましたがそれは後輩から見た外見であり、性格は穏やかな優しい方でした。
高校を卒業し28年の歳月を経てこうして100km徒歩の旅でお世話になり、
御礼を言えずじまいになってしまいましたが、今年素晴らしいスタッフをご紹介頂いたこと、
心より感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈りします。

皆さんそれぞれすでに身近な悲しい死を経験されている方はたくさんいらっしゃると思います。
また40歳で小学校の同窓会をしましたが、すでに亡くなったいる同級生もいたり、
40歳すぎると特にこうして同級生や先輩後輩の死に触れたりするようになりました。
そしてこうして健康に年の瀬を迎えれることにつくづく感謝するようになりました。
夢や目標、会社に仕事に家族。そうした自分が大切にするものの全てのベースに健康あってことですね。

まもなく2013年も終わり2014年がやってきます。

団長 松浦






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