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あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

今日も仕事なのですね

2008-08-11 05:54:10 | 日記
暑い日が続きましたが
今日はそこそこのようです。

今日も仕事なのですね。
御苦労様。
最近は、そんなことさえ気づかなくなりました。

過ぎてしまえば
「今年の夏は暑かったですね」という
挨拶言葉しか残らず
来年になる前に忘れてしまいますね。
ぼんやりの私は、そうです。

きっと、辛いことも
悲しいこともそうなのでしょうね。
じっさい、あれこれのことは自分の中で
物語を修復したり言い訳するのではなく
記憶から消えていくことが
確かなことなのですね。

でも、最近の若い人たちの表情のない
会話を聞いていると
耐える前に
自分にも相手にも
攻撃的な行動に移ってしまう。

怖いですね。
でも、それが当たり前の時代なのですね。

この看板が面白い

2008-08-10 18:39:48 | 日記

小さくて見ることは難しいかもれませんが
雰囲気だけはご理解いただけるのではないでしょうか。
巣鴨の刺抜き地蔵商店街に掲示されていた看板です。
縁起のいい赤パンツなどもろものの商品の宣伝
あれこれの効能を取り上げているのが面白いですね。

巣鴨の商店街の売り込みは
世間のそれとちょっと違っていました。
まず、大声は出しません。
それなりの声ですが「煽るような」
「強引に引き込むような」
声はありません。

語り口は、はったりがましい言い方はありません。
慎ましく、囁くような声が主流です。

ばあちゃんはこのような誘いに弱いのでしょう。
食べ物は試食させ
着るものは体に当てさせ
仲間の評価を誘う。

楽しいですね。
夫と一緒というのはまれですね。

夫亡き後の楽しみかな
勝手な想像をしていました。
墓参りよりずっと楽しいでしょうね。


それにしても商品にしても
売り方にしても
よく研究していますね。

リピーターが多いし
噂は噂を呼びますから
一見の客だからという商売はできないでしょうね。

御苦労様です。

人は何かあるのではという期待で歩いている

2008-08-10 16:09:07 | 日記

犬も歩けば棒に当たる

巣鴨歩けばご利益にあたる。
私など、地蔵さん以外にはみやげ物しかないのですから
半日、過ごせれば十分だと思うけれど
ばあちゃんたち、それ以上に楽しんでいる。
友達と一緒に歩きまわる。
知人に再会する。
贔屓している店に立ち寄り
雑談する。

お寺にお参りして
地蔵さんをタイルで洗う。
地蔵さんも
これまで、苦労したのだから
地蔵様は勝手な願いも「いいよ」と言ってくださるでしょう。


ばあちゃんたち
つつましいけれど、愉しみを知っている。
托鉢僧に相談事を聞いてもらったり
腰や肩の痛みを感じる部分に
手を当ててもらっている。
愚痴言い合う相手も準備してある。

こんなところに幸せが沸いて出るだろうな。

ばあちゃん、楽しんでますが?
「おかげさまで・・・・ほほほほほ」
という返事でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな日は
テレビドラマ「海猿」です。

ありきたりの青年
セールスをしていたけれど嫌気がさして
海上保安官になる。

生真面目で不器用
一直線な男の単純な生き方
そんな彼の行き方に感動したいのです。
潜水士など今どき
希望者などないだろうし
それを仕事にするというような若者はいないだろう。

でも、そんな時代だから
潜水士という仕事のあり方や
そこに集う若者たちの日々に感動するのでしょう。

漫画だっていい
「人命救助、実は遺体収容」
それだっていい。

年をとると
人の生き方に感動し
若者の一途さの中に
夢を見たいのです。

昨日からずっと見ていたので
ティッシュをかなり使いました。
いい青年は、化粧たっぷりで
雌猫のような性を売り物にする
女性とはそこそこに遊んで欲しい
そんなことを願いながら見てました。

いまどき炊事洗濯をきちんとできる
女性は滅多にいないのですから
そんな心配をしています。

内容を知っており
主人公の女性との付き合いをDVDを繰り返し見ているので
展開を知っているのに
なぜか心配をしながら
見ているのです。
これが年寄りの見かたなのでしょう。

ゴッホの見た向日葵はどのようなものだったのだろうか

2008-08-10 05:54:26 | 日記

ときおり、そんなことを思います。
ゴッホの見た向日葵畑

ダ・ビンチが目にしていた風景

ミケランジェロの周辺にいた若者

きっと、私たちが、見逃すような景色や人物の中に

見つけているのでしょうね。

発見すること
出会うこと

そのような感性がなければ何も見出せず
出会うこともないでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生み出す情熱と同じように
捨てていく勇気もあるのですね。

捨てるから見えるものがある

そんなことを言っていた友達がいた。

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「これでいいのだ」

2008-08-09 20:33:56 | 日記

この言葉が気になってしかたありません。
漫画家だった赤塚不二夫の
ポスターの言葉は

生真面目なのかギャグなのか
そのどちらでもないのか
でも、宗教的に考えてしまう
私には素敵な響きがあります。

そう、家が建てられた町にも
表どおりがあり
裏通りがあり

そこを行き来する
家人にとって
座敷があり
玄関があり
勝手口があるのです。

その全体がそれでいいのだ
ありのままでいいのだ

そのように言っているように思えます。
「決めてしまったことを否定することは自分を否定すること」
そんな二重にゆがめることはおかしいのです。
だから
「それでいいのだ」
なのですね。


この停留所に世界がある

2008-08-09 15:49:49 | 日記

この薄汚い停留所が
青梅の映画館
モノトーンの猫の絵はこの停留所に収まっているのです。
真夏の日差しの中で
ちょっとした蔭を作っています。

いかにも壊れそうな
この停留所にあれこれの世界が詰まっている。
目を閉じればどんなものでも見える。

じっとしていれば
欲しいものは目の前にある。

その気にさせてくれます。

見えるものより
あれこれ目を閉じた世界の方が
広がりがあって嬉しいものですね。


・・・・・・・・・・・・

「雨にも負けず」(宮沢賢治)は

本当はすごい詩なのだ。
いつも、そう思っていたのですが
最近は人年を多く重ねた分
以前と違って
ちょっと重くなった。

最近
現役のときに大切だと思った
会社やそれにまつわる
あれこれのことが
泡沫にうかぶ笹舟に似ていることに気づいたり

成功者の栄誉は芒のようであったことが分かったり
今でも、その芒にしがみつく人々を見ることが多い。

友と一緒だと思ったことが
金の手錠で結ばれていただけだと気づいたと
赤面している人もいる。
遅くても気づいたらそれでいい。

あれほど多くの人に囲まれて飲んだ酒を
スーパーに出かけ
買ってきては一人で飲んでいる。
そんな人も身近にいる

そんな姿を見るたびに

それが当たり前なのだと見えてくる。
一人で歩いている淋しさが

老人なのだと思えるようになりました。

・・・・・・・・・・・・・・・

遠藤周作原作
熊井啓監督
「深い河」を見ました。
小説も素晴らしいですが
映画も映画として素晴らしいですね。

あれこれの
人生で学術的には説明できない何かを
それもある
そんな視点で描いています。

日本人的な感性ではとらえきれない
キリスト教
総てを飲み込むガンガーなども
正面から映像化しています。

私はキリスト教の司祭になりきれず
ベナレスに自分の働く場を見つけた
大津に大変興味があります。
その彼が

「ボクの人生、これでいいのです」
と事故に遭い、瀕死の状態になったとき
主人公に語っているのです。
意味するところは分りませんが
とても印象に残っているのです。

このシーンのこの言葉を聞くと
不器用で自分に忠実に生きようとすればするほど
中心から外れてしまう、
大津の心情に
心ゆすられ
涙が溢れてしまうのです。

ときおり、このようにして
精神の浄化をしなければ
毒素だけが残ってしまいます。


そんなときのための映画って言うのもありますね。


何もないのにありそうに見える裏道

2008-08-09 05:45:34 | 日記

なぜか、奥を知りたい。
背景を知りたい。

そんな下品な思いがありますね。

知ったり、覗いたりしたところで何もないのですがね。

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オリンピックの開会式
やってましたね。
思い切り金かけて

人を使い

いったいなんいでしょうね?
チャン・イー・モー監督
こんなところでエネルギーを浪費して・・・・

彼はもう元には戻れない
残念ですね。
発想も陳腐だし、技巧的というだけ

でも、一度は演出してみたいでしょうね?

白々しい演出の元
懸命に演技した人たちにどんな思い出が残るのでしょうか?

オリンピック興味ありますか?

青梅駅の看板

2008-08-08 15:18:38 | 日記

いまどき、このような看板は珍しい。

きっと、このような看板に目をつけて
写真でコレクションいている人はいるでしょうね。

コレクションも面白そう。
自分だけの宝物を楽しむ人もいる。

不気味だけれど本人よければそれでいい。

無機的で表情がないのもいい

2008-08-08 15:12:47 | 日記

でも、このような遊びに満ちた看板もいい。

青梅の市街地はこのような遊びに満ちている。
過ぎれば嫌味なのですが
この街はどうなのでしょうか?

私はこの野暮ったさが好きです。

そうなぜか、上品であったり
洗練されていたり
女性的優雅さに満ちたものは私は苦手です。

不細工で、野暮ったくて
ときとして完成前に投げ出したような
そんなものが好きです。

他にもいろいろありましたが、
秋になったら訪ねましょう。

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退屈を「そんなものだ」と思えば退屈は退屈でなくなる。

楽しいことを探してもない
「自分で楽しまなければ誰も楽しませてはくれない」
そう思えば、無理して楽しむことはないと思うようになる。

人生の目標など特に必要ないと覚れば
そうムキになって努力する必要がないと気づく。

いい人になろうと思うからイラつく
そんなものさと思えればそれでいい。

何かひどく横着なおじさんになった感じ。




何でもありの店

2008-08-08 05:59:59 | 日記


青梅の駅近くの通りに
衣類なら何でも商っている店があります。

ばあちゃんようの夏服
ジーンズ

しかもブランド物

祭の半纏

何となく楽しくて店の中に入ると
商品が山積みになっていて

店内は横歩き状態。
でも、それがとても懐かしい嬉しい感じ
臭いもいい。

暑かったのでタオルを一本「お買い上げ」
眼鏡で真面目そうなご主人

店とマッチしているのかそうでないか?