あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

いろいろあるけど裁く立場に身を置きたくない

2009-01-21 17:25:47 | 日記
神代植物園

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裁判員制度のことですか?
難しいことを聞きますね。
あなたはできたら辞退したいということですね。
制度そのものにも反対ということですね。
そのために「冷静な判断をする専門家がいる」ということですね。
それと、「冤罪を防止する抑止力にはならない」ということですね。
自分は裁判員制度には何も意見がありません。
どのようなシステムも矛盾を内包しており
人の判断などあてにならないと思っているからです。
決まったことですし、反対したところでシステムは変わりませんでしょ。
自分が裁判員に選ばれたら困りますね。
自分は人を裁く立場に身を置きたくない。
それは以前から言っていることでしょ。
聖書を読めばその意味は分りますね。
でも、そんなことは何の保障にもならないか?
制度にはいろいろ意見があるでしょう。
でも、私は人を裁く立場に身を起きたくない。
裁判員を命じられても事実の確認のお手伝いはできても
動機等については意見を言わないでしょう。
専門家がそれなりの立場で判断したことにしたがいます。
人の心の中は闇です。
自分でも自分のことが分からないにが人間の現実です。
他人が分ったり、わかったふりをするのはできません。
ましてや、それを「許せない」などという感想を持ちたくないし
言いたくもない。
被害者の遺族が「極刑でも足りない」と言うしかない
異常な世論に押された状況で意見を述べたくない。
「報復の連鎖」から解き放たれるべきだという
自分の思いとは離れているところで意見を述べたくない。
そんなことです。
自分にはよく分からないは
「自分の息子を殺された親は、加害者が死刑になれば、息子は浮かばれない」
というのが倫理学者は成り立つと思っているのか
父親の悲しみは加害者が死ぬことで薄れるのかということを
宗教家はどう思っているのかということです。
彼らが沈黙しているのが異常だと思うのです
メディアも被害者感情をそのまま支持しています。
不思議ですね。
裁判員制度は続くのでしょうか?
人間の頼りない現実を見ることができない
それなりの人が思いついた制度に過ぎないと思っています。
今は、籤に当たらないことを願うだけです。
質問に答えないでごめんなさい。

           あきオジ

風邪に注意しましょう

2009-01-21 07:37:38 | 日記
神代植物園

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和尚様
葉書有難うございます。
いまどき、葉書は珍しくなりましたね。
ネットを利用しているなら自分のブログを見ていただくことができるのですが
それができなくてちょっと残念です。
それでも、定期的に葉書の「掌の仏教」をいただき
お元気な様子が分りますし、葉書に書かれた
内容にも刺激されています。
内容が濃く、年寄りが読む分量としてちょうどいいです。
鋭い切り口でありながら配慮された文章
いいですね。
「明日(天)を信じて花の種を蒔こうではありませんか」との呼びかけ
新鮮ですね。
いつもしっかり読んでいます。
次号を愉しみにしています。

          あきオジ