つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

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摂ちゃんのこと(3)

2018-02-22 10:04:15 | 摂子の乳がん

昭和45(1970)年1月1日の摂子の母子手帳の記載。

『風邪もひかず元気だった摂子、1970年1月1日、けいれん。直(す)ぐ病院え。

正月でどこの病院も休みだったので瀬戸の浅井病院に入院。

1週間目、ここでは摂子は死んでしまうと無理だったけど市大病院(※名古屋市立大学病院のことである)に入院。

10日間も意識がなく、もうだめかと思ったら目を開いてくれた。

世の中で私はこんな嬉しい事はなかった。

先生もあきらめて下さいと言われたが、摂子、心配だった運動しょうがいもなく良かった。』

 

お袋が母子手帳に書き残した文章はこれだけである(あとは体重の変化等の記録のみ)。

 

これとは別に、親父が摂子の障害認定申請手続きのために作成した「平成元年3月25日付け病歴・就労状況等申立書」の控えが残っている。

平成元年といえば、昭和45年から20年近くが経過している。

そのためか、親父は摂子の発病年月日を「昭和46年1月1日」と1年、間違えて記載している。

作成された時期や作成過程からしても、母子手帳にお袋が書き残した年月日の方が正確だろう。

 

正月早々、お袋は(たぶん親父も)絶望の淵に叩き込まれ、10日後、再び神様だか仏様だかに救い上げられた。

はずだった。

 

 

本当は神も仏もなかったことにお袋と親父が気付くのは、もう少し先のことである。