昔、といってもおじいさんが山へ芝刈りに行っているような昔ではない、ほんの数年前のこと。
市ヶ谷に「二葉鮨」というお寿司屋さんがあった。
店主は「キクさん」という方で、二葉鮨を紹介してくれた人の話によると「日本で初めてトロタクを生み出した寿司職人」だそうだ。本当か嘘かは知らぬ。ただ、たしかにキクさんの握る寿司は絶品だった。
4年前に独立して四谷三丁目に事務所を構える前、私は永田町にある中堅規模の弁護士事務所に勤務弁護士として所属していたのだが、その頃からしばしば二葉鮨に通っていた。
たいてい大切なお客さんを連れて行く。駆け出し弁護士だった私の精一杯のご接待であった。
たらふく旨い寿司を食べて、家族のお土産用に3人前程度の折り詰めを作ってもらって帰る。しかし、残念ながら折り詰めは高い確率で自宅まで辿り着かぬ。
当時、行きつけだった練馬のスナック(名前を「マリネ」といった。練馬の逆読みである。何と安易なネーミング。今もあるかどうかは知らない。)に立ち寄り、店の女の子(と年増のママ)とで平らげてしまうからだ。我が家では「幻のお土産」と呼ばれていた。折り詰めの末路を正直に打ち明けてもキクさんは笑って許してくれる。太っ腹な職人だ。
私の二葉鮨での勘定はいつも安かった。
一度、当時所属していた事務所の先輩弁護士に前夜食べた二葉鮨の領収証を見せたことがある。先輩弁護士は、
「この値段、おかしくね? 俺はこの倍以上の値段を取られてるぞ!」
と本気で立腹した。
そんなこともあって、ある時、キクさんに、
「俺の勘定って安くしてくれてるんですか?」
と聞いてみた。
キクさんは笑いながら
「平岩先生はいつか独立して大きくなられる方だと見込んでますから。まぁ、先行投資です。いつか、いいお客さんをたくさん連れてきて、旨い寿司を腹一杯食べて、たくさんお金を落としてください。」
と言った。
独立して事務所を構えて暫くは気楽に外食などできる状態ではなかった。外食どころか、来月の事務所家賃、来月の秘書の給料、来月の弁護士会費、来月の生活費が支払えるかどうか、不安で押し潰されそうな毎日。
幸い独立して1年目を凌ぎ、2年目をやり過ごし、いい顧問先にもボチボチと恵まれ始め、なんとなく弁護士業界の端っこで喰いっぱぐれないようになれたのは、どこかでキクさんのあの言葉に励まされていたからである。
お客さんの財布をあてにするのではなく、自分の稼ぎで寿司が食えるようになったのだから、私に先行投資してくれたキクさんに会いに行こう。お客さんを連れて会いに行かなければならぬ。それがキクさんとの約束である。約束は守らねばならない。特に男と男の約束は死んでも守る。
財布に万札を数枚詰め込んで久しぶりに市ヶ谷に行った。
・・・2年振りに行った二葉鮨は閉店していた。看板も暖簾もまだそのままだった。
キクさんのことをよく知るT氏から伺った話では、キクさんの父上(だったか母上)がご体調を崩され、キクさんはその介護をするために東京都下某市のご実家に戻られたという。ご実家の近くは寿司屋を経営する環境になく、キクさんは今、別の仕事に就いておられるという。
その夜、自分の不甲斐なさに泣いた。
キクさん。申し訳ない。
今、会いたい人がいるなら、今、会いに行った方がいい。
今、伝えたいことがあるなら、今、言葉にしておいた方がいい。
そして、誰かから受けた恩は、何をおいても返すべきである。
私は、キクさんから頂いた期待も、恩も、先行投資も、お返しできないままでいる。
和牛料理を食べたいときは六本木の『さんだ』にしか行かぬ。
和食を食べたいときは赤坂の『やげんぼり』か、荒木町の『すずなり』か『うえ村』である。
蕎麦が食べたければ新宿二丁目の『昆』、うどんが食べたければ事務所横の『咲花善伝』だ。
キクさんに操を立てるわけではない。それほど私はセンチメンタリストではない。
しかし、キクさんが握る寿司以外に行きつけの寿司屋を作る気は、今のところない。
昔、市ヶ谷に「二葉鮨」というお寿司屋さんがあった。
そして、今はもうない。