先日(2月25日)は摂子の49歳の誕生日だった。
もしかしたら最後の誕生日になるかもしれない。
施設に摂子を迎えに行って外出許可をもらって、摂子が生まれた病院(現在は病院はなくなっていて閑静な住宅地)~ココス(で大好きなコーヒーとチーズハンバーグと誕生祝いにイチゴパフェを食べて)~親父の墓参り、とドライブしてきた。
先日会った時より、明らかに咳き込んだり咽(むせ)たりする頻度が高くなっている。
たぶん、肺に転移したがんが肺や呼吸器系統を圧迫し始めているんだと思う。
話を昭和45年に戻す。
摂子に「知的障害」という後遺症がある、ということが分かってから、お袋は明らかにおかしくなった。
無理もないと思う。
実の娘は生後2カ月で死んでしまった。
自分はもう子供が産めない身体に(お袋の認識では)されてしまった。
貰ってきて実子として戸籍に入れた赤ん坊は知的障害児になった。
実子として戸籍に入れてしまっているので養子縁組のように離縁して法的に縁を切ることもできない。
自分たちが死ぬまで、一生面倒を見て行かなければならない。
「摂子は他人の子を貰ってきたんじゃない。クソ親父の隠し子だ」
と言い始めた。
年頃の摂子を自宅に帰省させている親父を見て、
「親父は摂子と肉体関係がある」
とまで言い始めた。
死んだ実の母親を貶(おとし)めるのは辛いけれど、明らかにお袋は狂ってた。
平岩家の中は滅茶苦茶になった。
狂ったお袋と罵り合う親父。
毎日が地獄だった。
家庭の中が滅茶苦茶だったから当時の私は性格も暗かったんだろう。
学校ではどちらかというと虐められっ子だった。