久しぶりの投稿なのに今回はブルーな内容です。
ごめんなさい。
実は、ネクスト法律事務所開設以来、今日まで13年近く私を支えてきてくれた事務員さん(以下「秘書ちゃん」)が6月いっぱいで退職することになった。
今、自分の身体の半分を鋭利な刃物で抉り取られたような気持ちだ。
それは「淋しい」とか「困った」などというありきたりの言葉じゃなくて、「かつて味わったことのない喪失感」としか表現できない感情だ。
前の事務所を辞めるとき、ボスに「独立するつもりです」と(木曜日に)打ち明けた途端に、「だったら今週中に荷物をまとめて出ていけ」と言われてしまったので、ネクスト法律事務所で私が仕事を始めたのは当初の予定より1ヶ月も早い2010年6月1日だった。
秘書ちゃんには7月1日から出勤してもらうことになっていたので、それまでの1ヶ月間は、たまに電話番にアルバイトの女の子が来てくれる日以外、私は、運び込んだ段ボール箱が積み上げられた、がらんと広い事務所で、独りぼっちで仕事をしていた(秘書ちゃんは子どもの保育所のスケジュールの関係もあって、どうしても7月1日からしか出勤できなかった)。
不安で、寂しくて、気が狂いそうだった。
7月1日に秘書ちゃんが来てくれた時は、心底、ホッとした。
といっても、事務所開設早々はほとんど仕事らしい仕事はなくて、夜中に一人で事務所にいると、この先、ちゃんと秘書ちゃんに給料払っていけるのか、いや、それ以前に事務所の家賃を払い続けていけるのか、いやいや、それ以前に私と家族の明日の生活費を稼ぎ出せるのか、あとからあとから湧き上がってくる将来(しかもほんの間近に迫った将来)への不安で、涙が出てくることもあった。
それでも私が、翌日も翌々日も、雨が降ろうと風が吹こうと、事務所に出てこれたのは、秘書ちゃんがいてくれたからだ。
秘書ちゃんの家は藤沢にある。
毎日、早起きして、2時間近くかけて事務所に来てくれる。
しかも事務所開設当初は考えられないくらい安い給料で我慢してくれていた。
あり得ないくらい安い給料で、遠く藤沢から毎日、私のために事務所に来てくれる人がいる。
そのことがどれほど私の折れそうな心と、崩れ落ちそうな膝を支えてくれたかしれない。
東京商工会議所の新規事業者交流会に一緒に参加して手作りのチラシを配ってくれたのも、少しでも集客に結びつくようにとブログを始めてくれたのも、ポツポツと入ってくるようになった仕事の一つ一つに一緒に大喜びしてくれたのも、みんな秘書ちゃんだった。
法律事務所での勤務経験があった秘書ちゃんは、いきなり独立して事務所運営の右も左もよくわかっていない私にとっては、秘書ちゃんであると同時にパートナーであり先生でもあった。
その後、別の弁護士が入ってきたり、出て行ったり、新たにアルバイトさんがお手伝いに来てくれるようになったり、また別の弁護士が入ってきたり、また辞めたり、またまた別の弁護士が入ってきたりして、事務所はどうにかこうにか今も潰れずに済んでいる。
メンバーの出入りはあったけれど、私の職場に対する考え方は設立以来、1㎜も変わっていない。
私は、事務所のメンバーは自分の家族も同然の存在だと思っている。いや、それ以上かもしれない。この13年間、私が自分の嫁さんや子どもたちと一緒に過ごした時間より、事務所で秘書ちゃんと過ごした時間の方が長いし、秘書ちゃんとの会話の量も嫁さんとのそれを遥かに凌駕している。秘書ちゃんやアルバイトさんが家族同然なのだから、彼女たちの子どもたちもまた、私の子ども同然だ。だからわが子と同じように褒めて、叱って、甘やかしまくっている。
家族が集まる場所は「家」だ。
つまり、ネクスト法律事務所は「職場」であると同時に、事務所のメンバーのもう一つの「家」でもある。
だから服装も基本的に自由だ。私は法廷に行くときだけは仕方なくスーツを着るが、それ以外はGパンかチノパンにタートルネックやパーカーしか身につけない。夏はTシャツと短パンとサンダル。誰がどんな服を着て来ようと一向に構わない。
何時にお昼を食べに行っても誰も文句は言わない。
することがなければネットサーフィンをしていようが漫画を読んでいようが資格試験の勉強をしていようが勝手だ。
家庭や家族の愚痴を言ってもいい。弱音を吐いてもいい。
愚痴も言えない、弱音も吐けない場所は、そもそも「家」とは呼べない。
ただし。「家」であると同時に「職場」でもある以上、自分がなすべきことを、要求された以上のクオリティでやっている限り、という条件が付くけれど。
「家族」がみんな一人一人かけがえのない存在であるように、ネクスト法律事務所でも、弁護士とそれ以外のメンバーの間に上下関係や仕事の貴賤はない。弁護士がいないと仕事が回らないのと全く同じように、秘書ちゃんがいなくても、アルバイトさんがいなくても、やっぱり仕事は回らない。0.1㎜も。
秘書ちゃんやアルバイトさんがしてくれている仕事を、私は何一つ満足にできない。私が訴状や準備書面に全エネルギーを注げるのは、秘書ちゃんたちがそれ以外の仕事を私以上に完璧にこなしてくれているからだ。
だから。
私に限らず他のメンバーも、自分の仕事に誇りを持っているはずだ。自分以外のメンバーに心を閉ざすことはないし、相手の仕事を、相手の存在を、リスペクトしているはずだ。たとえ彼女にどんな欠点があっても、私が仕事でとんでもないミスを犯したとしても。
他の法律事務所がどうかは知らない。興味もない。
ただ、私は13年前、こういう事務所を作りたかった。
私を含むメンバーの「職場」であり「家」でもあり「居場所」である場所。
秘書ちゃんはそこで、13年間、私を支え続けてくれた。
13年間毎日、藤沢から四谷三丁目まで通い、13年間毎日、私のわがままや愚痴に付き合い、13年間毎日、私の暴走やミスを諌(いさ)めてくれた。
東北で大きな地震が起こった時も、私の父が逝った時も、妹が逝った時も、新型コロナで世界中が引きこもりになったときも、裁判に勝った時も負けた時も、いつも秘書ちゃんはネクスト法律事務所にいた。
秘書ちゃんがいてくれたからこそ、私は平日に能天気にゴルフに出かけ、深酒をして二日酔いで出勤し、オートバイで西日本各地を放浪できた。
そして、必ず、秘書ちゃんのいる事務所に戻ってきた。
しかし秘書ちゃんはどうだったんだろう?
秘書ちゃんが私の愚痴に付き合い、弱音を聞いてくれたのと同じくらい、私は彼女の愚痴に付き合い、弱音を聞けていたか?
彼女が抱えている悩みを、せめて一つでも受け止めて一緒に歩こうとしたか?
13年の歳月の中で、秘書ちゃんが語ってくれたこと。したこと。してくれたこと。そしていつも私に勇気をくれたあの笑顔を、私はこの先、何一つ忘れない。
弁護士を辞めるとき、あるいはこの世を去るとき、私はきっと秘書ちゃんのことを、秘書ちゃんと過ごせた13年間を思い出すだろう。
私が大昔、好きだった人がこう言ってくれた。
「喪失感を感じるくらい信頼できる人と仕事をできたのは幸せなことだよ」
そう。
私が弁護士になって手にした最大で最高の報酬は、秘書ちゃんと過ごせた13年間だ。
だから百万遍言っても足りない。
あなたは最高のパートナーだった。
ありがとう。
ネクスト法律事務所はあなたのもうひとつの「家」だ。疲れたり辛くなったりしたときは、いつでも「ただいま」と帰ってきていい家だ。
あなたがいつでも愚痴や弱音を言いに来れるように、俺はもう少しだけこの家にいるよ。
PS:井伏鱒二が訳したように、人生は「サヨナラ」だけかもしれないけれど、秘書ちゃんと歩いた13年間を無駄にしないために、私はもう少しだけ歩き続けます。
秘書ちゃんの後任を募集してます。
興味のある方、hiraiwa@nextlaw.jpにご連絡頂ければ個別に勤務条件等をお知らせします。