このところ映画と演劇漬けの日々を送っている。
きっかけは敬愛する高橋いさをさんから、新宿武蔵野館で上映中の「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選GRAND FINALE」の案内をLINEで頂いたことだった。
いさをさんと私は何を隠そう(隠してないが)ベルモンド主演の『おかしなおかしな大冒険』(原題はLe Magnifique)の大ファンである。
ベルモンドの映画は1980年代後半頃から日本での上映が減少し(※一説にはフランスを代表するトップスターになったベルモンドの映画の興行権価格が高騰してしまい、日本の配給会社がおいそれと手を出せなくなってしまったからだ、と言われている)、『おかしなおかしな大冒険』に至っては実に約50年ぶりのリバイバル上映である。ちなみに、いさをさんも私もこの作品の初見はTV(ゴールデン洋画劇場)だった。
どんな流れでそういう話になったのかはもう忘れてしまったけれど、あるとき、いさをさんと「ジャン=ポール・ベルモンドはいい」という話になり、「子どものころにTVで見た『おかしなおかしな大冒険』が忘れられないよねー!」と意気投合したことがある。
いさをさんは「初期のショーマのメタ・フィクション技法の作品は『おかしなおかしな大冒険』の影響を強く受けている」という。言われてみれば確かに「なるほど」と思い当たるところがある。
いさをさんのこの説明を聞き、おまけにあまり見かけない「ベルモンドファン」仲間であることを知ったとき、私は、なんのかんのと40年近くいさをさんの作品に惹かれ続け、時にその創作のお手伝いまで買って出たりしてきた理由がストンと腑に落ちたのだった。
私の事務所から新宿武蔵野館までは地下鉄で3駅。30分もかからない距離である。
仕事をほっぽらかして、もとい、多忙な仕事の合間を縫って、私はせっせと新宿武蔵野館に通った。
新宿武蔵野館で見たベルモンド作品は以下8作品。
「冬の猿」(1962年公開。ベルモンド29歳。※以下、作品公開当時のベルモンドの年齢)
「リオの男」(1964年公開。31歳)
「カトマンズの男」(1965年公開。32歳)
「大頭脳」(1968年公開。35歳)
「おかしなおかしな大冒険」(1973年公開。40歳)
「恐怖に襲われた街」(1975年公開。42歳)
「ライオンと呼ばれた男」(1988年公開。55歳)
「レ・ミゼラブル」(1995年公開。62歳)
これらに加えて、アマプラとHuluで以下の9作品も一気観した。
「勝負をつけろ」(1961年公開。28歳)
「オー!」(1968年公開。35歳)
「ラ・スクムーン」(1972年公開。39歳)
「相続人」(1973年公開。40歳)
「薔薇のスタビスキー」(1974年公開。41歳)
「危険を買う男」(1976年公開。43歳)
「警部」(1979年公開。46歳)
「ハーフ・ア・チャンス」(1998年公開。65歳)
「アマゾンの男」(2000年公開。67歳)
1か月足らずの間に17のベルモンド作品に浸った結果、なんとなく「エンターテインメントにおける今の自分の嗜好」がわかった気がした。
冒頭に書いたとおり、「おかしなおかしな大冒険」は幼かった私の記憶に深く刻み込まれた作品だったのだが、今、見返すとフィリップ・ド・ブロカ監督がふざけ倒しているシーンが鼻についてしまって仕方がないのである(この点はいさをさんもご自身のブログに書いておられる)。
上記17作品の中で、60歳を目前に控えた私が心を奪われたのは「レ・ミゼラブル」「ライオンと呼ばれた男」「ハーフ・ア・チャンス」の3作品だった。
いずれもベルモンドの晩年の作品だ。
いずれも、「スタントマンを使わず自らアクションシーンを演じ切る」ことで有名だったベルモンドの派手なアクションは、「ハーフ・ア・チャンス」を除けば、すっかり影を潜め(というか年齢的にもう無理だろう)、「挫折から立ち直る人間」とか「壁を乗り越えて再び歩き始める人間」を描き切った名作に仕上がっている。
いさをさんはベルモンド傑作選の情報と併せて、自身の舞台の公演情報も送ってくるちゃっかり屋さんである。
7月31日(水)から8月6日(火)まで中野ザ・ポケットで上演された「父との夏」
おそらく何度目かの再演のはずで、私はサンモールスタジオで初演を拝見している。
再演にもかかわらず、わざわざ中野まで足を運んだのは、主人公の父親役を「あの」中尾隆聖さんが演じられると聞いたからだ。
中尾さんと言えば、いわずと知れた「バイキンマン」(@アンパンマン)や「フリーザ」(@ドラゴンボール)の声優さんである。
ふたりの子供をアンパンマンとドラゴンボールで育てた父(=私)としては、この「父との夏」は是が非でも観に行かねばなるまい。
結論から言えば、今回の「父との夏」は初演を超える佳作に仕上がっていた。
初演時にはいなかった「孫娘」が新たに書き加えられていたのだが、ラスト5分前まで、この孫娘、とにかく舞台に出てきては何かを食べているだけの存在で、見せ場一つ、心に残るセリフ一言もない。
「いさをさんはどういう意図でこの孫娘を書き加えたんだろう?」
という疑問は、しかし、ラスト5分の中尾さんと孫娘の2人の場面で一気に氷解した(少なくとも私にとっては)。
花火を見つめる孫娘とそれを優しく見守る祖父という構図に、私は不覚にも泣きそうになった。
中尾隆聖さんは声優として一流なだけでなく、こういう場面を、一言のセリフもなく視線だけで演じ切ることのできる名優でもあった。
言葉で説明するのは難しいし長くなるので割愛するが、わたし的には「あぁ、私の涙腺はこういう話に弱いんだな」と再確認した次第である。
「父との夏」の上演後、いさをさんやその知人、知己の役者さんなどと酒席をともにする機会を頂いた。
その酒席のメンバーの中に映画監督の篠原哲雄さんがおられた。
今年、私が出会った人の中で上位3本の指に入る方である。
篠原監督の作品は「月とキャベツ」くらいしか観たことがなかった私は、せっかく現代日本を代表する大監督が横におられるのに、その作品についての突っ込んだお話を伺うことができなかった。
今年、私が味わった上位3本の指に入る後悔である。
慚愧の念で死にそうになった私は、翌日からベルモンドに代えて篠原監督の作品漬けの日々を送り始めた(現在も継続中)。
本日までに観た篠原作品は以下のとおり。
「天国の本屋~恋火」
「犬部!」
「癒しのこころみ 自分を好きになる方法」
「種まく旅人 くにうみの郷」
「起終点駅 ターミナル」
「Jam Films」
「昭和歌謡大全集」
「深呼吸の必要」
ベルモンドは1か月かけて17作品だったが、篠原監督作品は6日(8/3~8)で8作品である。えっへん。
いや、仕事しろよ、俺。
私の勝手な感想だが、「挫折から立ち直る人間」とか「壁を乗り越えて再び歩き始める人間」を描かせたら、今、篠原監督の右に出る人はいないんじゃないか、と思う。
そもそも、ほとんどの映画は(一部のホラー映画などを除いて)、「挫折・どん底・壁」⇒「復活・再生・再起」という基本構図でできているはずだから、特に篠原作品だけがそこに特化しているというわけではない筈なのだが、篠原監督が描く「挫折から再起して歩き始める人たち」は他の監督の作品に出てくる彼ら彼女たちとは明らかに何かが違うのだ。
これまた私の勝手な解釈だけれど、たぶん、それは篠原監督の作品中に描かれる「自然の美しさ」に起因するのではないか、と思う。
スクリーンに描かれる自然が深く静かで美しい分、その自然の中でもがき苦しみながら前に進もうとする人間の生き様はその光を増幅して観る者の心に訴えかけてくるのではないか、と思うのだ。
「天国の本屋~恋火」と「起終点駅 ターミナル」は北海道の、「犬部!」は東北の、「種まく旅人 くにうみの郷」は淡路島の、そして「深呼吸の必要」は沖縄(の離島)の、美しい風景が丁寧に描かれている。
北海道も東北も淡路島も沖縄も、ここ数年で私がツーリングで走破した場所である。
篠原監督の描く北海道や東北、淡路島、沖縄は車や電車の窓から見たそれではなく、オートバイで、風と光と雨を感じながら体全体で体験してきたそれに近い。
日本の自然をこういった形できちんと撮れる映画監督というのは(別に日本の映画監督の全作品をチェックしたわけではないけれど)、稀有な存在なのではないかと思う。
上記8作品の中でも、「深呼吸の必要」を観終わった後、私はダダ泣きした。
沖縄には個人的に思い入れも深いので(※委細は本ブログの過去記事「民事弁護~沖縄編Part1からPart5&番外編」をご参照。https://blog.goo.ne.jp/hirahira5510/e/53488f113111705312f4a4371d55c6bb )、そのせいなのかもしれないが、それだけではないと思う。
それだけではないと思うのだが、それが何なのかまだよく分からない。
それが分かるまで、もう少し、篠原作品に浸ろうと決めた50代最後の夏である。
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