つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

永遠の0

2014-02-27 11:11:10 | 映画

2014年1月17日(金)

監督:山崎貴

出演:岡田准一、三浦春馬、井上真央

 

2013年5月にお亡くなりになった夏八木勲さんの遺作でもある。

夏八木さんは実に幅の広い役者さんで、記憶に残るいい映画にもたくさん出ていらっしゃるのだが(近いところでは、昨年の「そして父になる」とか。)、最後の作品が「永遠の0」になったことについては、名優の巡りあわせというか、やっぱりいい役者さんは最後の最期までいい作品に恵まれるんだなぁ、としみじみ思う。

 

非常にいい出来でした。

 

私はアイドル系が主役を張っている映画、というのが嫌いである。唸らされるようないい作品に出遭ったことがないから。おそらく、

「アイドルが出ているんだから、そこそこのもの作っとけば客は喜ぶんでしょ」

的な作り手の甘えが見え隠れするからだろうと思う。

なので「永遠の0」も主演が岡田准一さんだということで正直、あまり期待しておりませんでした。主題歌はサザンだし。

あぁ、ここまで揃えりゃ、客も来るだろーよ、と。

ところがどっこい。この作品の岡田さんはいい。作品の出来自体もいい。作り手が妥協しなかったのがスクリーンからも伝わってきて。原作者の百田尚樹さんも完成した映画を観て絶賛したそうな。

 

私が洟垂れ中学生だったころ、

「読んでから観るか、観てから読むか」

というキャッチコピーが流行った。

ショービジネス界の稀代の天才〈※異論も多々あるだろうが、ここでは「天才」と言っておきます。〉、角川春樹氏が角川文庫作品を次々に映画化して「出版と映画のコラボ」というビジネスモデルを確立したときに角川書店が打ったキャンペーン・コピーである。

今回、私は「観てから読んだ」わけだけど、私のような活字世代の親父にとっては、「読んでから観る」より「観てから読む」方がよろしい。

原作を先に読んでしまうと活字世代の性として自分の頭の中に自分なりのイメージを確立してしまうわけで、その後にどんなに出来のいい映画を観ても、「自分が作り上げたイメージ」と「実際の映画」のズレにストレスを感じてしまうんですな、これが。

「実際の映画」が「自分の作り上げたイメージ」を凌駕していればそれはそれでいいのだけれど、なかなかそんなことはないし。

 

百田さんの原作も絶品でした。

百田さんは過激な発言で知られる方で、色んなところで叩かれたりもしていらっしゃるけど、何かを伝えようとするときに当り障りのない言葉では伝えきれないことってたくさんある。私は過激な言葉が持つ力、というものを信じている人間なので、百田さんのような方がもっと発言されればいいのに、と思ったりしている。

ちなみに、「過激な発言」と「失言」は違う。前者は知的な戦略・戦術。後者は愚者の証明。

 

あ、証明といえば、冒頭で述べた夏八木さんは「野生の証明」とか「戦国自衛隊」とか「復活の日」とか、多くの角川映画にも出演していらっしゃった(ニキビ面中学生時代に全部観た。)。

 

懐かしさと、原作の出来によさも含めて、90点。


年賀状

2014-02-24 17:00:58 | 日記

ようやく整理が終わりました。

年賀状の。

 

既に2月も終わりである。

どんだけズボラだ、と言われそうだが。

 

とにかく、頂いた年賀状すべてに目を通し、

「何とか、今年中に一度は会いたい人(飲みたい人)」(長いので、以下「何飲人」という。)

「うわっ!懐かしいけどなかなか会う時間作るのは難しいなぁ、という人」

「まぁ、来年も年賀状送っとくか、という人」

「誰だこれ?」

の選別が終わった次第である。

 

ところで。

 

「何飲人」は67名いた。この先毎週1人と会っていても今年中に片が付かない、という計算である。毎週2人なら何とかなるかもしれぬ。但し、肝硬変とメタボのリスクは高まるであろう。

とにかく、そういうことになっちゃったので、この先、私から「近いうちに一杯、どうっすか?」という誘いの連絡が届く人、絶対に断らないように。後ろが詰まってます。

 

ところで。

 

最近って、年賀状書かない人が増えてるんですね。

郵便事業株式会社も年賀状の売上げに苦戦している、郵便局に勤めている人たちは年賀状売り上げのノルマが大変、というニュースをいつだったか読んだような見たような聞いたような。

ちなみに私は年賀状は毎年、那覇市内の某郵便局に勤める某君から購入している。某(キセタカノリ)君の過酷なノルマに協力しているわけだ。

(キセタカノリ)某君のお祖母様からは毎年タンカンを送って頂くし、お父上からは毎年クリスマスケーキを送って頂いている。そのお孫さん兼ご子息であるキセ(某)タカノリ君から年賀状を買うことくらい安いもんである。

昨年の年賀状の購入枚数は2000枚であった。

10万円払うくらいなら、年賀状を年賀メールに切り替えてタンカンとクリスマスケーキは自腹で買った方が安いんじゃないか

とか、そういう下衆な、しみったれた計算はしちゃいけないのである。ほらほら、そこのあなた。電卓たたかない。

 

ところで。

 

昨年の私の年賀状発送枚数は2000枚弱だった。

頂く年賀状はその半分くらいだろうか。特に数えたことはないのでよく分からないが。

今更というか、少々古い話題で恐縮だが、昨年12月頃、TVを観ていたら私の大嫌いなママタレ(ホントに大嫌いなので特に名を秘す。何年か前に離婚して今はシングルマザーである。国民的アニメの声の仕事とかもやっている。)が偉そうな顔して、

「最近の年賀状って印刷だけで味気ないですよね。せっかく出すんだから、一言でいいから手書きでメッセージは添えるべきですよね。」

とのたまっておられた。

私が「イラッ」と来たのは言うまでもない。

おめーよ、出来るもんなら2000枚の年賀状に一言メッセージ添えてみろよ。それも毎日仕事しながらよ。

1年365日で単純計算すれば1日約6枚である。しかし、翌年の年賀状の発売はだいたい前年の11月1日だから、年内に投函するとしたら1日当たり33枚だ。雨の降る日も風の吹く日も健やかなるときも病めるときも貧しいときも富めるときも毎日33枚ずつ年賀状を書き続けるのだ。1日6枚だって大変なのに。

しかも、2000人それぞれに気の利いたメッセージなど書けようはずもない。中には出す前から「誰だ?これ」というヤツだっている。そうなると結局、メッセージも

「ご無沙汰してます。今年こそは会いたいですね。」

とか、

「今年も宜しくお願いいたします。」

とか、

「イェーイ」

とか、

「平岩参上」

とか、そういう当たり障りのないメッセージばかりになる。実際、今年頂いた年賀状の中には、「昨年はお世話になりました。今年も宜しくお願いいたします。」という「手書き」のメッセージが添えられたものがいくつかあった。

 

しかし。

 

その年賀状をくれた本人と私は昨年、一度も会っていないのだ。

昨年はお世話してないし。多分、今年もお世話することはないだろう。 

 

敢えて世の人々(の中の年賀状を出している人々の中の手書き年賀状もらわないとイヤだというクソワガママな人々)と私の嫌いなママタレに問う。

 

あんたら、そういう手書きメッセージの年賀状をもらって嬉しい?


ソチる?

2014-02-22 01:21:39 | 日記

もちろんソチ五輪のことである。

お気づきだろうか? ソチ五輪のロゴは「sochi.ru」である。

最初、意味がわかりませんでした。「ソチる?」

「ru」が「russia」のことだと知ったのはずいぶん後になってから。

あぁ、なるほどね。「.jp」みたいなもんね。

 

と理解はしたが、相変わらず「ソチる」と読んでる私。

TV(主にNHK)をつける。画面に「sochi.ru(ソチる?)」と出てくる。

「うん、ソチる、ソチる!」と言いながら沙羅ちゃんや愛子ちゃんや真央ちゃんを応援してました。真央ちゃんのフリーが終わった後は号泣。

ちなみに私、今年で50歳になりますか、それが何か?

いーじゃねーか。カンドーしちゃったんだからよ!

 

それにしても私が応援する選手はことごとくメダルに手が届かない…。何故だ?やっぱり私は女を不幸にする男なのか?沙羅も愛子も真央も俺に惚れちゃあいけねーぜ。てゆーか、私が応援しなきゃいいのか!

…って、そんなのムリ!!

 

まぁメダルなんぞ取らなくてもよろしい。

金がいくつだとか、銀がいくつだとか、江戸時代の両替商じゃあるまいし。

一つの競技が終わるたび、勝手に期待を押しつけてた選手の結果が芳しくないたび、ぐちゃぐちゃ言ってる一部マスコミとコメンテーターとネットオタクども。

そんなにメダル欲しけりゃ、てめーがオリンピック行ってこい!腕立て一つ満足にできねーくせして、人生賭けて必死に闘ってるアスリートたちをてめーらが語るんじゃねー!

 

真央ちゃんについては、元総理までが「あの子は大事な時にいつも転ぶ」と言ったとか言わないとか。

あのね、森さん。あ、いや、元総理。

確かに真央ちゃんは大事な時に転んだけど、「大事な時もそうじゃない時も、いつも失言してる」あんたに言われたくはないと思うぞ。

報道を読む限り、「真央ちゃんが可哀想だ」という文脈の発言らしいけど、もう少し状況と言葉に気を使おーよ。…って俺に言われたくねーか。

 

エラソーに真央ちゃんの演技を四の五の言うなら、オメーが3回転半跳んでこい。

と言いたくなっちやいましたよ、森元総理。

少なくともラガーマンの発言じゃないぞ。

 

沙羅ちゃんも愛子ちゃんも真央ちゃんも、メダル獲得という記録は残せなかったけどさ、みんなのひたむきさとか生きざまとか笑顔とか涙はちゃんと俺たちの記憶に残ってるよ。

記録はいつか必ず破られるけど、記憶は色褪せない。

 

みんなソチってる?


プレーンズ

2014-02-20 16:59:56 | 映画

今更ながらのレビューシリーズ第5弾。

2013年12月23日(月)

監督:クレイ・ホール

出演:瑛太、石田太郎、天田益男

大ヒットした「カーズ」(私はDVDも持ってます。ちなみに第1作はラストシーンで大泣きしました。)の姉妹編っぽいですが、実は、「カーズ」シリーズを製作したピクサー・アニメーション・スタジオは本作品には関与していません。

「カーズ」の主人公であるマックイーンはピクサーの創設者であるスティーヴ・ジョブスを彷彿とさせるキャラクター設定だったけど、それだけに存在感もあって活き活きとしてました。

 

で、「プレーンズ」。

まるでダメ。同じ「擬人化乗り物アニメ」も作り手が違うとここまで駄作になるか、という感じ。レースを通じて培われる友情とか、ひたむきな努力とか、誇るべき敗北は卑しい勝利に勝るといった基本的なコンセプトは同じなのに。

結局、企業そのものに「毒」とか「闇」とか「牙」がないディズニーが単独で作るとこういう作品ができる、という見本のような映画。

映画に限らず、文学でも、音楽でも、人を感動させる創造物には少なからぬ「闇」の力が必要だと思う。善人が、善意だけを信じて、善き言葉だけで紡いだ作品って、(私は)ダメだ。

30点。


選挙に行ってきたぞ

2014-02-10 17:22:48 | 日記

都知事選の。寒かったけど。

誰に投票したかは内緒である。マック赤坂ではないしドクター中松でもないが、これ以上は言わない。

 

ところで。

私は20歳になってから今日まで、国政選挙・地方選挙は全て投票に行っている。

別に濃ゆ~い政治的思想を持ち合わせているわけではない。

国政にしろ地方政治にしろ、自分がやるべきことをちゃんとやってからでないと文句を言い辛いから。というより、垂れる文句に勢いが無くなりそうだから。

「消費税が高い」とか「秘密保護法は悪法だ」とか「待機児童が多すぎる」とか「今年の蜜柑は酸っぱい」とか、文句垂れるんならやるべきことをやってからのほうが心持ちがいい。と思う。

もちろん、筋金入りのアナーキストとか革命で日本を変えてやろうとか考えて実際に何か行動に走ってる奴らはそれでいい(おそらく連合赤軍の連中は選挙には行ってなかったと思う。)。

 

投票に行かない奴って、たいてい

「俺が一票入れたって何も変わんねーし」

と知ったような口きくけど、

「いい政治家というのは、自分に投票しなかった人を見ながら政治をするものだ」

って諺もある。ような気がする。もしなかったら、今、私が作った。

 

別に「この人がいい」と思う候補者がいなければ、「今回、適格者なし」と投票用紙に書いとけばいい。

実際私は何度かそう書いて投票した。

私一人が「適格者なし」と書いても無効票が1票増えるだけだけど、投票総数の90%に「今回、適格者なし」と書かれていたらどうだろう。その事実はきっと何かを動かすだろう。

 

などと偉そうにのたまいつつも、私は弁護士会の選挙には行ったことがありません。ごめんなさい。

私の所属する第一東京弁護士会(一弁)の会長選はほとんど事前調整で「無投票当選」になるし、日本弁護士連合会(日弁連)の会長選挙については、別に誰が会長になろうが特に興味ないんだもん。

その代わり、一弁や日弁連が狂った行動を起こして自分が何かの不利益を被ったとしても、「それはそれで仕方ない」と腹をくくっている。一弁や日弁連の施策を表立って批判したことは一度もない。

選挙前になると同期の友人などから「推薦人になってくれないか」とか「同期の票をとりまとめてくれ」とか電話がかかってくるけど、その類の依頼は全部、

「いま、おかあさんがいないのでボクにわよくわかりません」

と言ってかわしている。それは多分、一弁とか日弁連の選挙って、候補者も選挙人もあまりに身近すぎて情実とかシガラミとかが絡んで面倒くさいからだと思う。

ハッキリ言おう。

私は面倒くさいことが大嫌いなのだ。

 

その点、国政選挙とか地方選挙とかは、私から遠いところでみんな頑張っているので気兼ねなく投票(「今回、適格者なし」も含む)できるのだ。

「マスゾエ」さんとか「ホソカワ」さんとか「ドクターナカマツ」とか、私はよく知ってるけど、あっちは私のこと知らないし。彼らの応援団とも特に交流ないし。一歩引いてみながら、「お前らダメじゃん」とか「お前の考え方って、まぁまぁだよな」とか言うのって、なんというか無責任だけど自由で心地いいのだ。

 

今回の都知事選の投票率も低かったそうだが、「雪で寒いから投票行かない」とか、「どうせ俺が投票したって何も変わんねーし」とか言って投票に行かなかった奴らへ。

「マスゾエ都政」がお前らの利益を踏みにじり始めても、お前らは文句言うなよ。何も行動しなかったリスクはちゃんと受けるように。行動した結果を受け止めるのと同じ覚悟で。

それが「大人」というもんですぜ。