つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

明けましておめでとうございますm(__)m

2023-01-01 00:00:00 | 日記

明けましておめでとうございます。

 

2023年元旦。

年賀状をお送りしている方(の何割か)は、このブログを見に来てくださっているのではないかと思う。

年賀状をお送りしていない方も、「さすがに新年だし、ブログくらい更新してるだろう」と久しぶりに覗きに来てくださっているかもしれぬ。

年賀状をお送りしていない方のためにご案内すると、今年の年賀状にはこんなことを書いた(↓)

『最近、年賀状のやり取りを取り止める方が増えて来たと聞きます。

年賀状ってNGルールがやたらうるさくて(喪中の方には年賀状を出しちゃいけないとか、出すのは大丈夫だとか、1月1日元旦と書くのは重複表現だからやめろとか、賀正、迎春は目上の方に失礼だとか、手書きで一言添えろとか)、「そんな面倒くさいこと言われて、忙しい年末に年賀状なんか書けるか!」と特に若い人が年賀状と縁を切りたくなるのも自然な流れかと思ったりします。しかも、年賀状のやり取りをしている大半の方とは昨年どころか一昨年もその前もそのまた前も、ずーっとお会いしていないわけで、そういう方々への近況報告にハガキ1枚で足りるか?って問題もあります。

そんなこんなで年賀状文化ってあと何年もつんだろう?と考えたりもしますが、天邪鬼なわたしは、礼を失しようが、手抜きだろうが、「日本で最後に年賀状を出した男」として歴史に名を残してみたいと思ったりもしています。

ご無沙汰している方々への近況報告ですが、昨年、保育士試験に合格しました。一発合格。えっへん。あと、Twitterのアカウント「弁護士平岩利文」は昨年末に削除しました。私にはまったく得るものがないツールであることが分かったので。オートバイで関東の道の駅を巡ってます。アコギ始めてみました。マリーゴールドとハルノヒとキセキとそれが大事とあと何曲か弾けるようになりました。米津玄師はまだ弾けません。この冬は週末苗場に籠ってアコギとスノボの腕を磨こうと画策中です。古い友人が急逝したり、病に倒れたりして、けっこう凹みました。…って、ほら、もう、全然、スペース足りないじゃん。そうか、年賀状かSNSかの二者択一とかケチ臭いこと言わないでHybridにすりゃいいのか。

ということで、もう少し詳しいわたしの近況に興味のある方限定。1月1日を目途(あくまでもメド)にブログを更新しとくのでそちらを読みに来てください。ブログのアドレスは本文末尾に。それも面倒だという方向けにQRコードも。

ああ、忘れてました。今年もどうぞよろしくお願いします。おっと、もう一つ忘れてました。手書きで一言も添えず申し訳ありません。』

 

わたしの近況報告は要約すれば上記のとおりなのだが、せっかくのブログなのでもう少し丁寧にご報告をさせて頂こうと思う。

 

保育士試験は年賀状にも書いたとおり一発合格だった。

受験勉強は一昨年の11月からユーキャンで。学科試験は4月だったから勉強期間は6ヶ月弱。




試験に合格後、保育士試験に限らず資格試験を目指している方から「どうやって勉強したんですか?」と勉強法を聞かれることが何度かあった。

わたしの勉強法がどこまで役に立つのか分からないけれど、保育士試験の勉強法(というか、資格試験の勉強法)については近日中に別記事でアップする予定なのでそちらをお読み頂くとして、ここでは勉強法ではなく、57歳にもなって何故、保育士の資格を取ろうと思い立ったかということを簡単に書いておこうと思う。

わたしが月1回くらいの頻度でゴルフをご一緒させて頂いているメンバーの中に、Y野さんという大先輩がいる。

Y野さんは某大手商社のOB。某大手商社を定年退職した後、「子どもが大好きだから」という、ただそれだけの理由で68歳にして保育士試験に合格され、今は(パートの)保育士さんをしておられる。

月1でお会いするY野さんは、

「いや~、先日、園庭で子どもと鬼ごっこしてたら筋肉痛になっちゃってさぁ。

だから今日はドライバー、まっすぐ飛ばないよ。

うわぁ。フォアーー--!」

と実に楽しそうである。


(Y野さんのティショット。ボールの行方は秘密)
 

わたしは、どちらかというと他人を尊敬したりする類の人間ではないのだが、Y野さんはそんなわたしが頭(こうべ)を垂れる数少ない人生の大先輩の一人である。

Y野さんのどこにすっ飛んでいくか分からないティショットを見るたびに、「あぁ、俺もこういう年の取り方をしたい」と思う(ティショットの方向ではなく、「第二の人生で保育士」という生き方の方)。

Y野さんに伺ったところ、保育士になるための国家試験は年齢による受験制限はないという。

受験科目は学科9科目+実技2分野と膨大だが、一度合格した学科科目は3年間有効。

試験は毎年、前期(4月)と後期(12月)の2回。

試験に最終合格すれば、保育士資格に有効期限や更新期限はなく生涯有効。

そこそこ高齢の男性保育士にもそれなりに需要があるらしい(実際、Y野さんが楽しそうに働いていらっしゃる。)。

わたしは、今は弁護士という仕事に就いているけれど、

「事案の理解力や分析力、洞察力、新しい知識の吸収力が衰える年齢になったら第一線からは退くべき。

死ぬまで弁護士という資格にしがみついて社会に迷惑をまき散らすべきではない。」

と常々思っている。

なので、いつか、

「う~む、俺ってそろそろヤバい?」

と思い始めたら弁護士業からは距離を置くつもりでいる。

距離を置くのはいいけれど、その後、何をしよう?と漠然と考えていたわたしにとって「保育士」という選択肢はメチャメチャ魅力的。

わたしもY野さんと同じく子ども大好きなので。

人生は、いくら稼いだかではなく、どれだけ大好きことをしながら生きられたかこそに意味があると思う。

しかし、Y野さんのように68歳から勉強を始めて保育士試験に合格できるか、俺?

いや、無理だろ、自分

顕微鏡で探しても自信も可能性も見当たらないわ、わたし

(Y野さんに比べれば)まだ若い今のうちに資格だけ取っておこう

 

うーむ、弁護士らしい論理的な思考と言わざるを得ませんな。まだしばらくは弁護士業は大丈夫ですな。

 

当初の計画通り保育士試験には無事、合格したので、8月からはアコースティックギターを始めてみた。


(YAMAHA FS820 for初心者)

アコギは中学2年の頃、少しだけかじった程度。

例によってFコードがうまく押さえられずすぐに嫌になって、あっという間に投げ出した黒歴史(?)があるが、今回は楽しく練習を続けている。

それはたぶん、あの頃と違って、「早く上手くならなきゃ」とか「同じクラスの●●より上手くなりたい」とか「かっこよくギター弾いて女の子にもてたい」とかいった気持ちが皆無だからだと思う。

「いや、別に俺がギター下手だろうが、上達が遅かろうが、コード進行間違えようが、誰に迷惑かけるわけでもなし。俺が楽しけりゃいいんじゃね?」

という、開き直りとも呼べるほどの諦観。

他人と比べるとか、「ギターを弾く」こととはなんの関係もない邪(よこしま)な下心を捨て去ると、音楽ってこんなに楽しいものなんだ。

昨年のサッカーW杯のみずほ銀行の応援CMで使われていたのは、わたしが20代の頃、流行っていた大事MANブラザーズバンドの「それが大事」だった。


(みずほ銀行CM「届け、僕らの代表へ」より)

 

CM見て涙が出るほど感動した。メインバンクはみずほにしようかと本気で考えた(でもしてないけど)。

もしかして俺って、ものすごくチョロい人間なんじゃないか?

今年中学受験をする秘書ちゃんの息子や、来年高校受験をするわたしの次男への応援歌として、下手なアコギをかき鳴らしながら「それが大事」を歌うと、もう感動の嵐である。俺が。


(熱唱by俺at事務所on仕事中)

別に文部科学省に盾突く気はないけど、学校の音楽の授業って、なんでこういう音楽の楽しさを教えてくれないんだろうと思う。

ベートーベンはどのような人生を送った作曲家ですかとか、ショパンが作曲したピアノ曲を次の5つの中から選びなさいとか、以下の5つの楽器を管楽器と弦楽器と打楽器に分類しなさいとか、合唱コンクールでは音程を外さないようにして歌いなさいとか。

そういうの、別にどうでもよくね?

あいみょんをかじり、スピッツをかじり、Greeenをかじり、大事MANブラザーズバンドをかじり、あちこち食い散らかして今は情熱大陸を必死に練習中でござる。

再来年くらいには上手く弾けるようになるかしらん。

 

昨年は楽しいことばかりではなく、対人関係では不運続きの1年でもあった。

思い出したくもないので詳しくは書かないけど、

「普通に生きてても、いきなり狂人に殴りかかられることってあるんだ」

と身をもって体験させて頂いた。

いや、ほんと、ありがとうございました。

 

ありがたくない話もある。

わたしと同い年の古い友人が他界した。

もっとたくさん舞台を作りたかったはずだ。

やり残した企画が山ほどあったはずである。

名演劇プロデューサー・綿貫凛。享年58。

 

同じく長い付き合いの友人には重い病気が見つかった。彼は今、必死に闘病中である。

たくさんのお客さんに愛されている彼の珈琲豆焙煎店は彼の治療の合間を縫っての営業だ。

彼が退院して店を開けているときは、わずかながらでも、治療費や店舗や自宅の家賃の足しになればと、できる限り珈琲豆を買いに行くようにしている。

彼が焙煎した珈琲豆は非常に美味い。ネクスト法律事務所でお客様に出している珈琲は彼の店で買った豆で淹れている。

お店が彼の体調と相談しながらの不定期営業になってしまっているのが辛いところだが、もし、

「そういうことなら俺(私)も珈琲豆、買うちゃる!」

という方がいらっしゃったらわたしまで連絡を。彼が店を開けた時、わたしが代理で買い付けてお届けします。

 

話は変わるけど、3年ほど情報発信ツールとして使っていたTwitterのアカウントを昨年末で削除した。

Twitterのような匿名性の高いSNSの功罪については賛否両論あると思うけど、少なくともわたしにとってはTwitterの投稿が私の人生に役に立ったことも、感銘を与えてくれたことも、ほとんどなかった。

無責任な誹謗中傷。

Face to Faceでなら決して聞くことのない聞くに堪えない悪口雑言。

根拠のない思い込みだけの断定的な意見。

意味不明の陰謀論。

自分が発した言葉の先にいる人の気持ちとか生活とか生き方とかを1ミリも考えずに紡ぎ出される言葉。

これって、なんかデジャブだ。

と思っていたけど、先日、ようやく気づいた。

駅のガード下とか、地下街とかでしばしば見かける、誰に対するでもなくずーっとブツブツブツブツ独り言を喋り続けてる人とか、「てめぇ、この野郎!」とか「殺すぞ、くらぁ!」と誰に怒ってるのか分からないけどいきなり叫び出すあの人たちだ。

相手の存在に何の敬意も払わない、一方的で、無責任で、Factもくそもなく垂れ流される言葉の世界。

あぁ、こんなコミュニケーションと呼ぶに値しない言葉を読んでいる時間がもったいない。

こんな言葉に一喜一憂しそうになってる自分がもったいない。

Twitterに限らず、Facebookも、Instagramも、言ってみればこのブログだって同じようなものだとも思うけれど、少なくともこのブログではできる限り丁寧に、できる限り傷つく人がいないように、注意を払って情報を発信するようにしている。

だから必然的に文字数は多くなり、文章は長くなる。

140文字で同じ表現をすることは、わたしの乏しい文章力では到底無理だとわかったのもTwitterと縁を切ることに決めた理由の一つである。

わたしのTwitterアカウントをフォローしてくださっていた方、どーもすいません。

この空の下、世界はどこまでも広がっているのに。


(@ビーナスライン)

日本にはまだ見たことのない、息を呑むように美しい風景がたくさんあるのに。


(@市原市)

あと何年生きられるのか、あと何ヶ所オートバイで美しい風景を見に行けるのか、あと何曲アコギで弾けるようになるのか分からないから、今年のテーマは、そして今年以降もずーっと、これだ。

今日が人生最後の1日だと思って全力で生きよう。

限られた時間とエネルギーは、自分を不愉快にする人間や誰かを傷つける人間のためにではなく、大好きな人や大切な友人のためにだけ使おう。

 

みなさん。今年もよろしくお願いいたします。

 

 



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3 コメント

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Unknown (05tatsu)
2023-01-01 10:23:37
相変わらずの、ペーソスとユーモアある名文‼️
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Unknown (オバギャルかよ)
2023-01-01 19:11:42
多趣味になりましたね。
私、ピアノ弾くから是非一緒にセッションしましょう♪
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Unknown (ぶぅ。)
2023-01-04 12:44:15
平岩さん自分で勉強して一発合格すごいです!!
保育士一緒に頑張りましょう!!
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