つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

インフォームドコンセント

2018-02-15 09:57:23 | 摂子の乳がん

2月9日に受けてきました。

奇しくも(別に関係ないけど)、長男の15歳の誕生日。

高校受験直前の15歳の誕生日なのに、家で一緒に祝ってやることもできずスマン(to 長男)

 

主治医のS先生の説明は、内容的には前回の記事でアップした診断書から大きな変更点はなし。

ただ、「治療希望がある場合には抗がん剤治療を行います。」と診断書には記載されていたけど、豊田厚生病院の方針なのか、がんの医療現場全体の暗黙の了解なのか、S先生としては、

「基本的に『ご自身で生活をコントロールする能力のない患者さん』への抗がん剤治療は行わない方向で行きたい」

とのこと。

抗がん剤の副作用の辛さは、乳がんと闘っている方のブログを拝見してもそれはそれは壮絶なものだし、3年前に肺腺がんで逝った親父も最期まで抗がん剤治療を拒否していたし、それでも親父は宣告された余命期間の倍以上を、とても楽しく、健康的(?)に暮らしていたし、私としても摂子に抗がん剤治療を受けさせたくはないなぁと思っていたので、S先生の考えに特に異論を述べることなく、これを了諾。

 

抗がん剤の辛い副作用を患者自身が受け入れられる、あるいは耐え抜こうと思えるのは、

「この苦しみを乗り越えれば、もしかしたらがんが治るかもしれない。もっと長く生きられるかもしれない。」

という『論理的希望』があるからだ、と思う。

知的障害者である摂子にはそういう「論理的希望」はない。

摂子にとっては、施設から定期的に病院に連れて行かれて、訳のわからない薬を投与されて、激しい副作用に苦しむたび、「意味不明な、理不尽な拷問を受けている」という漠とした感覚しか生まれないだろう。

しかも、「絶対にがんが治る」という保証などどこにもないのにもかかわらず。

 

障害の存在が摂子の人生をすべて不幸にしたとは言わぬ。

けれど、やっぱり、摂子の人生は、健常者の女の子、健常者の女性に比べれば、不幸の量が幸福の量を凌駕していた年月だったと思う(詳しくは次回の記事で書きます。)。

その最後の数年あるいは数か月を、さらに苦しみで満たす権利は誰にもないと思う。もちろん、私にも、だ。

 

S先生の説明では、摂子の乳がんは5年半前に摘出手術をした際の生研で、「ホルモン剤投与が有効なタイプ」と判明していたそうです。

だから、前回の手術後、ずっと、「再発予防」という観点からフェマーラを服用し続けていました。

今回、そのフェマーラでは再発・転移を予防できなかったことが分かったので、服用するホルモン剤がアロマシンという薬に切り替えられた。

これから3か月(5月9日まで)、様子を見て、それでもがんの進行が抑えられなかったら、次はフェソロデックスの臀部への注射に切り替えて更に3か月(8月9日まで)様子を見る、という治療計画になりました。

ホルモン剤にも副作用はあるのですが、抗がん剤のそれに比べれば患者の苦痛ははるかに少ないということなので、S先生から提示された治療計画で行くことに。

 

最後に、

「フェソロデックスでも効果がなかったときはどうなるんですか?」

と尋ねた私に対するS先生の回答は、

「抗がん剤治療に進む、という選択肢を取らない以上、それより先は緩和ケア、ターミナルケアが中心になります。」

 

「ぶっちゃけ、摂子のステージはいくつで、余命はどれくらいなんですか?」

との質問に対しては、

「妹さんは、前回、発見された乳がんを摘出したのに、今回、遠隔臓器への転移と骨転移が見つかったわけですから、いわゆる『ステージ』という評価はありません(←※「ステージ」って、そういうものなんですね。知りませんでした。)。

あえて言うなら『ステージ4に相当する』としか申し上げられません。

余命については、ステージ4と診断された患者さんでも上手にがんと付き合いながら何年も生きていらっしゃる方もいますし、数か月で亡くなる方もいますから、『あと何年です』『あと何ヶ月です』とは一概に言えないんです。ホルモン剤治療で非常に効果の出る方もいらっしゃいますし。」

 

S先生はとてもお若い先生です。

だから、まだ余命宣告というものに慣れていないのかもしれない。

「ステージ4の乳がん患者についての一般論」はS先生の言うとおりだけど、S先生自身が認めたように、摂子には抗がん剤治療はできない(しない)。

ホルモン剤治療も残された選択肢は2種類だけ。

S先生はあえて触れなかったんだと思うけど、乳がんはそもそも他のがんと比べても骨転移しやすいタイプのがんだ。

乳がん患者で骨転移に至った患者の5年生存率は、骨転移が認められない乳がん患者のそれが75.8%なのに対して、わずか8.3%(デンマークの国立患者登録データベース)。

さらに言えば、骨転移のみの乳がん患者と、骨転移に加えて他臓器への転移のある乳がん患者では、前者の生存期間は2.3年なのに対して、後者の生存期間(中央値)は1年未満(イギリスにおける7064人の乳がん患者(うち589人が骨転移)を対象とした研究)。

※以上、いずれも「あきらめない!癌が自然に治る生き方」(http://sotonorihiro.xyz/post-3210/)より引用させていただきました。

 

摂子は、「骨転移に加えて他臓器への転移のある乳がん患者」です。

彼女に残された時間は1年あるかないかだと思う。

その間に、俺は、摂子に何をしてやれるんだろう?

何をしてやればいいんだろう?

 

とりあえず、摂子を病院まで連れてきてくださった施設のスタッフさんと、

「旅行とか、ドライブとか、摂ちゃんが喜ぶこと、楽しんでくれる行事にはこれまで以上に参加させてあげよう。」

と決める。

 

 

その後、名古屋市内のホテルまでどうやって行きついたのか、いつの間に親父が眠っている墓に線香あげに行ったのか、まったく覚えていない。

親父は摂子を可愛がっていた。

最後まで摂子の将来を心配していた。

肺腺がんが進んで体力が落ちた身体に鞭打って摂子の面会に片道2時間かけて通っていた。

3回忌が終わって、天国でも摂子のことが心配で心配で、とうとう、摂子を天国に呼び寄せることにしたのか?

そうなのか、親父?