つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

昭島市

2019-08-27 16:59:00 | 晴れた日は仕事を休んで

とうとう「東京日帰りツーリング」も都下編に突入。

てか、都下ってなんか差別的というか、変な言葉だよね。
そう思うの、俺だけ?
「下」っていうのがさ。なんとなくさ。
そもそも地図的には「下」じゃなくて「西」あるいは「左」だし。
 
都下都下言うけど、東京は23区より都下の総面積の方が大きいわけで、てことは都下こそが東京で、23区なんてオマケみたいなもんだとも・・・言えんな。
よしわかった。
このブログの読者諸兄は今後は「都下」じゃなくて「都左」(とさ)と言うことにしよう。
 
坂本龍馬みたいですな。
音だけ聞くと四国なんだか関東なんだか。
紛らわしいのでやっぱりやめましょう。
 
で、都下編第1回は昭島市(23区編同様、五十音順なので)。
 
うーん、何処?
 
30年以上、東京に住んでますが、昭島市が何処にあるかよく分かってない私でござる。
 
ここだ(※赤いトコね)↓


よっしゃあ。場所は分かった。
んで。
昭島市って何があるんだ?
 
いや、ホント。
バカにしてるとかじゃなくて。
 
Google MAPは便利だけれど、なんというか、全体を俯瞰してフワッと眺めるのには向いていない気がする。
なので数十年ぶりに地図本買いました。
 


昭島市のページ↓


あぁ、くじら運動公園ね。
内陸の昭島市だしね。
 
 
・・・くじら?
 
 
これは行ってみねばなるまい。
 
練馬区在住の私が他の22区に行こうと思ったら、基本的に目白通りを東に向かって走り出したのだが、これからは都下編。
バイクは西へ。
おお、なんだか非常に新鮮だ。
 
直前の曲がり角の案内看板見落として散々、迷った挙句、ようやく辿り着いたぞ。くじら運動公園。
見落とした案内看板はこれ↓


情報、多過ぎるわ!
 
ここ、くじら運動公園↓


昭和36年にこの河川敷の200万年前の地層からほぼ全身のくじらの化石が見つかった。
それにちなんで「くじら運動公園」。
見つかったくじら(の化石)は大昔に絶滅してしまって今はもういないんだそうで、アキシマクジラと命名されてます。
太古のロマンですな。

 
アキシマクジラの化石の発掘風景↓


同じあたりから同じ構図で写メ撮ってみました。
こんな感じ↓


この鉄橋はJR八高線。
ちゃんと今でも電車走ってます。


川沿いの土手の上の線路↓


低過ぎるだろ!
 
ちなみに、アキシマクジラの化石が発見される16年前の昭和20年。この橋では105名の犠牲者を出した列車衝突事故が起きてます。


近くの川底から回収された事故列車の車輪が今も土手の上に置かれてます↓


今は家族連れが川遊びをする長閑(のどか)な風景ですが↓


次回は(思い出の)あきる野市。

目黒区

2019-08-25 15:55:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第23回。つまりこれで東京23区制覇。
最後は目黒区。

前回の港区編で落語「芝浜」の舞台を紹介しましたが、「芝浜」と来れば、次は「目黒のさんま」ですね。当然の流れですね。

というわけで、今回は古典落語の名作、「目黒のさんま」でお殿様にさんまの塩焼きを献上した茶屋のモデル、「爺々が茶屋」(じじがぢゃや)があったと言われている茶屋坂です。

渋谷区編で紹介したアメリカ橋を南西に少し行ったとこにあります。
ここ↓


坂はけっこうな急勾配で、途中に由来を説明する案内看板もあります↓



ほら、これ↓

この案内看板のある辺りから西を望むと、昔は富士山が見えたそうです。
こんな感じ↓


(安藤広重「名所江戸百景」八十四景「目黒爺々が茶屋」)

広重の絵から推測すると、通りを挟んで案内看板の向かい側に爺々が茶屋はあったみたいですな。

20%のきつい坂ですが、頂上まで登ってみましょう。


きっつー!
何故なら坂は下り方向に一方通行なのでバイクで登れないのです。

やったー!
頂上!


って、見事になんにもないですね(笑)

以下、「目黒のさんま」を知らない人にはさっぱり意味がわからない話なので適当に読み飛ばしてください。

「目黒のさんま」に出てくる、(爺々が)茶屋で焼かれていたさんま。
これを茶屋の主人がどこから買ってきたのかについては諸説ありますが、「芝浜の雑魚場(ざこば)ではないか」というのがその一つです。
江戸時代、目黒は芋の産地で、目黒の農家は朝早く収穫した芋を東海道の品川宿と芝に売りに行っていたらしい。
で、芋を売った代金で、帰りに芝の雑魚場でさんまを買って昼過ぎに家に帰ってきた、というわけですね。古今亭志ん好師匠なんかがこの説を取られてます。

ね、芝の雑魚場から爺々が茶屋(のあった茶屋坂)。見事につながるじゃあーりませんか。
うーん、アカデミックでためになるブログだ(自画じーさん。爺々が茶屋だけに。)

兎にも角にも、これでようやく23区制覇!
みなさん、これまで私の駄文に23回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
東京日帰りツーリング、最後の1ピースをはめ込む時が参りましたぁ!


おお、この目黒区の位置に最後の1ピースを。

最後の1ピース・・・




なんじゃ、こりゃあ!
(「太陽にほえろ!」の松田優作風に)


えーっと、次回は・・・昭島市?


港区

2019-08-12 09:42:00 | 晴れた日は仕事を休んで
22回。港区です。
 
港区といえば、やっぱりここ。
東京スカイツリーができてからは、なんだか「古き良き昭和の遺跡」みたいな立ち位置になっちゃってますが。
どーです、この地上から天空に伸びる曲線の美しさ!
これは増上寺の三解脱門前から
これは東京プリンスホテル前から
うーむ、やっぱり東京タワーといえば夜景ですな。
 
ちょっと足を延ばして田町駅近くの本芝公園へ。
ここ
 
古典落語の名作、「芝浜」で呑んだくれの魚屋が早朝、革財布を拾った浜がここ。
今ではビルに囲まれ、脇を山手線が走る小さな公園ですが、江戸時代はこの辺りまでが海岸線だったそうで、「芝浜」に出てくる雑魚場(ざこば)の跡も公園内にあります。
ほら、これ
 
「芝浜」といえば脳梗塞を患った5代目三遊亭圓楽師匠が復帰を賭けた国立名人会(2007225日)で演じた演目。
結果的に圓楽師匠は自らの「芝浜」の出来に満足できず、直後に引退を表明。
落語家の退き際の潔さといえば、「大仏餅」の主人公、神谷幸右衛門の名前が出てこなくなった8代目桂文楽師匠が有名だが(しばらく沈黙した後、「申し訳ありません。勉強し直して参ります。」と頭を下げて高座を降り、その後、二度と高座に上がらなかった)、圓楽師匠の幕の引き方もまた、文楽師匠に引けを取らない。
職人の矜持を持った名人の退き際は、あたかも夜の東京タワーの如く美しい。
 
「芝浜」は多くの名人が演じているが、興味のある方には圓楽師匠か立川談志師匠の「芝浜」がおススメ。どちらもDVDになってるはずだ。ちなみに今回のブログ記事のオチは「芝浜」を知らないと意味が分かりませんぜ。
 
さて、本芝公園からは目と鼻の先なので、一応、我が母校の慶應義塾大学にも行ってきました。
はい、これ正門
あらまぁ。
東京タワーや本芝公園に比べると、なんて味も素っ気もない建物だこと。
 
「我が母校」とか言っても、私の場合、社会人になってから入った法学部の通信教育課程なので、ここに来たのは夏冬のスクーリングと卒論指導を受けた時くらい。
なので「慶應生」とか言われてもくすぐられる母校愛はまったくないが。
 
ただ、ほとんど独学の通信教育課程で法学部を4年で卒業するのは筆舌尽し難く大変で、もしかしたら司法試験に合格するまでより、慶應の通信教育課程4年間の勉強の方がキツかったかもしれない。
卒論指導のK教授から、「卒論、通したぞ」と言ってもらえた時は夢じゃないかと思い、同棲してた彼女に逃げられた練馬区南大泉のアパートで、一人、祝杯をあげた。
 
東京日帰りツーリングも23区は残りあと一つ。
こりゃあ、祝杯あげないと。
 
いや、よそう。また夢になるといけねぇ。

文京区

2019-08-11 12:41:00 | 晴れた日は仕事を休んで
21回目。文京区。
 
今回はお盆なのでお墓を巡ってみた。
 
夏目漱石の「坊っちゃん」を初めて読んだのはたしか小学5年の時だった。
軽快で流れるような文章。
爽快なまでに単純で真っ直ぐな主人公。
分かりやすい勧善懲悪のストーリー。
世の中にはこんなに面白い小説があるのか、と仰け反るほど感動した。
 
随所にユーモアが散りばめられ、一気にラストまで読み進められる名作だが、最後の一文で涙が止まらなくなる。
そう。あの井上ひさしさんが「日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続語」(「自家製文章読本」より)と評した「だから」に続く一文。
 
「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
 
である。
 
実際の養源寺は小日向ではなく千駄木にある臨済宗妙心寺派のお寺(ちなみに我が家も臨済宗妙心寺派)。
絶対、裏路地にしか見えない(ばちあたり?)参道を抜けると養源寺。
境内の自販機まで渋い
本堂裏の墓所に続く道の脇には江戸時代の石仏群が
その先に、あの清の墓
清のモデルは漱石に文学の道に進むよう助言した米山保三郎氏の祖母だと言われている。
なので、現実の清さんのお墓は米山家の墓である。
これ
横の墓誌は米山保三郎氏のものだ。
米山保三郎氏の号は「天然」。
そう。「吾輩は猫である」に出てくる「天然居士」のモデルは他ならぬ米山保三郎氏だ。
 
ちなみに、坊っちゃんのラストで清はこう言った。
 
「坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんが来るのを楽しみに待っております」
 
坊っちゃんのモデルは漱石自身だから、臨終に際して清が入りたがったのは「坊っちゃんの家(=夏目家)の墓」ではなく、「坊っちゃん(=夏目家)のお寺」(の墓)である。
 
というわけで、当時、夏目家の墓があったお寺にも行ってみましょう。
養源寺からは直線で2.5kmほどの距離である。
 
東大赤門前を通って、
後楽園の横を抜け、
牛天神下を右に折れた先にある浄土真宗の本法寺。
そして、本法寺があるのは文京区「小日向」!
本法寺の境内には漱石の句碑
「梅の花 不肖なれども 梅の花」
もある。
本法寺境内の墓所を探してみたけど、残念、夏目家のお墓は見つからなかった(漱石自身の墓は雑司ヶ谷霊園にある)。
最後に養源寺で見つけた、スーパープリチーなお地蔵様(?)をどうぞ
 

練馬区

2019-08-04 22:58:00 | 晴れた日は仕事を休んで
いつの間にやら第20回。
我が町、練馬区。
 
ってか、暑過ぎるわ!
37度とか、もはや学校休んでいい発熱レベルだろ。
日中はとてもバイクに乗る気温じゃないので、品川区に続いて2度目のナイトツーリングだ。
「行ってきた」というより、バリバリの地元なので、「ご紹介する」のはここ
ウチからバイクで5分(信号待ち含む)の練馬区役所。
 
地下1階にはバイク駐輪場もある。
しかも無料だ。
いいぞ、練馬区。毎年毎年ふんだくられてる高い税金も納得の有効利用だな。
 
で、地下1階からエレベーターで20階の展望ロビーまで上がると、いまいち、パッとしないゆるキャラ「ねり丸」がお出迎え。
うわっ、パッとしねぇ〜
 
練馬区役所の20階の展望ロビーは入場無料な上に21時半まで開放されてます。
全方位を見渡せる夜景もなかなか。
これは浅間山方面(北西)。月が綺麗ですなぁ
これは横浜方面(南)
これは我が家方面(北)
これは東京スカイツリー方面(東)
で、最後に富士山方面(西)
うーむ、夜景だとどれもおんなじに見えますね。
 
ねり丸君に見送られて下りのエレベーターへ。
帰り道、としまえん(遊園地)と、わたくし御用達のユナイテッドシネマとしまえん(シネコン)にも寄ってきました。
そういや、今年のとしまえんのイメージキャラクターはトムとジェリー。個人的にはミッキー&ミニーよりトム・ジェリ派なので嬉しい限りです。
千葉のネズミ王国なんかに負けるな、としまえん!
 
今回の日帰りナイトツーリングの所要時間40分。
走行距離は3.5km
 
いやいや、暑いからって手抜きではござらん。
 
この調子だと次回の文京区もナイトツーリングになりそうなので、文京区のお勧め夜景スポット情報をお待ちしております。