つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

サンタが逝きました(3)

2013-02-23 02:17:40 | 日記

2013年2月22日(金)

サンタがいない世界の第2日目。

 

今日は車で通勤しました。

駐車場代とかもったいないけど、気を抜くと、歩いていても、電車に乗っていても、不意に涙が止まらなくなるので。

 

以下、「頭おかしんじゃね?」とか「猫バカ男、ここに極まれり」と言われるのを覚悟で書きます。

 

事務所に向かう車の中、突然、「にゃあ」とサンタの鳴き声が聞こえました。

1度だけだったけど。

はっきりと。

17年間聞き続けたサンタの鳴き声を聞き間違えることなんかない。

 

思わず、「サンタか?」と叫んでしまいました。

いるわけないのに。

流れていたカーステレオの演奏を聞き間違えたのかと思って、3回同じ曲を聴き返してみたけど、もう、二度と「にゃあ」は聞こえませんでした。

聞き間違えじゃなかった。

幻聴でもなかった。

そっか、男のくせにいつまでもメソメソしている私に呆れて、天国に行く前に最後にお別れを言いに来てくれたんだ。

と思います。

お前に酷いことばっかりしたのに。

俺なんかもっともっと苦しめばいいのに。

サンタ、お前は最後まで優しいな。

 

(また泣いちゃうかもしれないけど)もう、泣かないよ。

ありがとな。

17年間「室内飼」の「完全家猫」だったから、家の外に行くのは苦手かもしれないけど、ちゃんと天国まで迷わずに行けよ。

 

帰りの車の中で、声が外に漏れないように窓を閉め切って、思いっきり、

「サンタ、ばいばい!! ありがと!! 絶対、忘れないよ。心配しなくても、もう、泣かないよ。」

と叫びました。

声が漏れたのかもしれません。

信号待ちで隣に停まったタクシーの運ちゃんが、怪訝そうな顔でこちらを見ていました。

 

 

サンタのお墓は、私の家の東側の庭(といっても、まさに「猫の額」ですが)にあります。

私の寝室の窓のすぐ下です。

だから、サンタのお墓に近い窓のカーテンは閉めません。

寝室にいる私の姿が見えなくなってサンタが寂しがらないように。

朝、出かけるときには、窓からサンタのお墓に「行ってくるよ」と声をかけます。

夜、帰ってきたら、窓からサンタのお墓に「ただいま」と声をかけます。

寝るときに、窓からサンタのお墓に「おやすみ」と声をかけます。

 

まだ、悲しくて、苦しくて、ちょっと油断すると涙が止まらなくなるけど、サンタが心配するので、もう、泣くのは(なるべく)止めよう、と思います。

 

たくさんの励ましメール、ありがとうございました。

 

また、サンタのこと、話したくなったらブログに書きます。

 

 

 

 


サンタが逝きました(2)

2013-02-23 01:42:43 | 日記

2013年2月21日(木)

サンタがいない世界の第1日目。

昨日と同じように電車も車も走ってるし、昨日と同じように人は働いてるし、昨日と同じように世の中は動いてました。

 

サンタは亡くなる1年くらい前から甲状腺機能亢進症にかかっていたので、サイエンスダイエットの「yd」という特別食で治療を始めるまでは、毎日毎日、私のベッドにゲロを吐いて、仕事で疲れ切って帰宅した私に向かって異常に鳴き叫んでました。

仕事で疲れて、イライラして、ゲロまみれのベッドを見て、何度もサンタを叩きました。

「いい加減、早く死んでくれ!」

と怒鳴りつけたことも何度もありました。

「サンタが死んだら、きっと肩の荷が下りるんだろうな」

と本気で思ってました。

 

サンタは逝ってしまったけど、肩の荷なんか、全然下りない。

そもそも私の肩にサンタの「荷」なんか乗っていなかった。

心の狭い私が一人でイライラしていただけだった。

馬鹿な私は、サンタを失って初めて、そのことに気づきました。

私には、サンタと一緒に暮らす資格なんてなかったのだと、今にして思います。

サンタがいなくなって、とんでもない喪失感に襲われて、心にポッカリ穴が空くかと思ったら、そうじゃなかった。

心の中にサンタの思い出が次から次に溢れてきて、胸が張り裂けそうに痛いです。

 

病院に連れて行く車の中で、一緒に寝ていたベッドの中で、何度も何度もサンタに「ごめんな」「ありがとな」「サンタがいてくれて、ホントに楽しい17年間だったよ」「生まれ変わったら、また俺の所においで」と話しかけ続けたけど、サンタには伝わっていなかったかもしれません。

私を恨んで、恨まないまでも理不尽に自分に怒鳴る私を恐れて、嫌って、死んでいったのかもしれません。

 

サンタがいなくなって、必要なくなった「yd」と猫用のトイレ砂を、お世話になった獣医さんに今日、届けに行きました。

サンタと同じ病気の子にあげて欲しいと思って。

家に帰ってきて、サンタが使っていたトイレやご飯の器を綺麗に洗って片づけました。

壊れていた移動用のバスケットは処分することにしました。これだって、騒ぎ続けるサンタに私が癇癪を起こして壊してしまったものでした。

部屋の掃除をしている時、猫砂が散らばっているのを見て、泣きそうになりました。

サンタの毛玉が残っているのを見て、涙が止まらなくなりました。

こんなに切なくて、悲しくて、苦しい掃除があるなんて、思ってもみなかった。

 

夜、一人の寝室で、布団をかぶって、声を押し殺して、サンタの名前を呼びながら、また泣きました。

 

 


サンタが逝きました

2013-02-21 11:10:03 | 日記

平成25年2月20日夕方

17年間一緒に暮らしていた猫のサンタが逝きました。正確には17年と2ヶ月と17日。

ここ10日ほどは全く食事を取らなくなり、2~3日前からは水すら飲めなくなっていました。

 

18日(月)に動物病院に点滴に連れて行ったのが最後の治療になりました。

昔5kg以上もあった体重は1.7kgまで落ちていました。

いつ逝ってしまってもおかしくない状態だったので、先週から日中は2階のリビングのコタツの中で家族と一緒にいられるようにして、夜、私が帰宅したら、1階の私の寝室までトイレや水や食事(食べないけど)を下ろしてきて、朝まで一緒にベッドで寝るようにしていました。

18日(月)の夜(というか19日の明け方)、一緒に寝ていたとき、腕枕してやっていた私の指をそっと噛んできました。

朝起きてみると、一緒に寝ていたベッドに粗相(おしっこ)をしていました。

もう、トイレに行く力も残っていなかったんだと思います。

最後に何か伝えたかったのかな。

「おしっこ出ちゃった。ごめんね。怒らないでね」

って言いたかったのかな。

「もうすぐお別れだよ」

と教えてくれたのかな。

 

20日(水)の夕方、私以外の家族に抱かれて、撫でられて、見守られて、最期は苦しまずに眠るように逝ったそうです。

 

来週、私は沖縄なので、「その間にサンタが逝っちゃったらどうしよう」とずっと心配していましたが、そんな私の気持ちが分かって「心配しなくてもいいでござるよ」とでも言うみたいに、旅行前に静かに先に逝ってしまいました。

 

今朝、最後にサンタを抱いて、大泣きして、ありがとうとごめんねを言って、自宅の庭の陽当たりのいい場所にお墓を作って埋めてやりました。

自宅から駅まで歩く道の途中で空を見上げたら、びっくりするくらいに綺麗な青空でした。

「きっと、サンタは、今、あそこにいるんだ。」

と思ったら、歩きながら涙がドバドバ出てきて困りました。

 

司法試験になかなか受からなかった時も、合格した時も、子供が生まれた時も、弁護士になった時も、独立して事務所を開いた時も、いつもそばにいてくれたのに、私は仕事で最期の時には立ち会えませんでした。

私がサンタに怒ってばっかりいたから、時には叩いちゃったり酷い言葉を投げつけちゃったりと、辛く当たったことも多かったから、神様が私に罰を与えたんだと思います。

 

もっと優しくしてあげれば、最期のお別れの時もそばにいてやれたかな、と思います。

もっともっと、「大好きだよ」「一緒にいて楽しかったよ」「ありがとう」「生まれ変わったら、また、私の所に来てね」「叩いてごめんな」「酷いこと言ってごめんな」と伝えておけば良かった。

小さな小さな命なのに、何も言わなかったのに、私のダメなところ、直さなきゃいけないところを教えてくれて、そして逝ってしまいました。

私のように短気ですぐ怒る人間は、きっと物言えぬ動物と暮らす資格はないんだと思います。

サンタを失って心底、そう思います。

「猫の最期の時に、レスキュー・レメディを数滴、口に含ませてやると苦しまない」というHPを見つけたので、ネット販売で取り寄せたのですが、間に合いませんでした。

私は何一つ、サンタにしてあげられなかった。

辛い思いばかりさせたのかもしれない。

 

秘書さんが、

「これからはお留守番じゃなくて、どこに行くにもサンタちゃんと一緒に行けますよね」

と言ってくれたのが救いでした。

友人が、

「それでもサンタは平岩の胸の中に、平岩が死ぬまでいるんだよな。そうだよな」

とメールをくれたのが救いでした。

 

けれど、やっぱり胸が張り裂けそうです。

 


来週は沖縄

2013-02-21 10:58:42 | 親父の肺癌

2013年2月1日(金)~21日(木)

引き続き毎週水曜日~木曜日、一泊で金沢のゴッドハンドに。

来月末頃に丸山ワクチンの次回40回分を郵送請求する際、同封するための腫瘍マーカー等の検査をする予定です。ガンが縮小しないまでも進行が止まってくれれば御の字だと思います。

 

来週は名護(沖縄)に住んでいる親父の従姉妹に会いに行きます。内地(名古屋・大阪)在住の親父の従兄弟たちと一緒だ。私が一番年下。老人ホームの慰安旅行の引率者の気分だ。

ちなみに私はT社長とN社長の3人で26日に喜瀬カントリークラブでゴルフの予定。

目標の100切りを達成できたら親父のガンも進行が止まるかもしれぬ。と信じてクラブを振ってくる所存である。


癌患者が早く逝くとは限らない

2013-02-01 19:06:47 | 親父の肺癌

2013年1月30日(水)~31日(木)

親父は金沢のゴッドハンドに。本来なら1月26日~27日に行く予定だったが大雪で断念。

30日の夕方に施術、31日の午前の部の最終でも施術。どうやら調子はいいようである。

というか、金沢に毎週行ってるくらいだから今のところ元気いっぱいだ。若干、暴走老人の様相を呈し始めてはおるが。

 

ちなみに、1月25日は私は山形に出張であった。帰りの飛行機は欠航し(もちろん雪で)、クライアントから「泊まっていけばいいじゃないか」と甘い誘惑の言葉を頂くも、翌日ゴルフの予定あり。

強行軍で羽越本線で新潟、新潟から上越新幹線で東京まで帰ってまいりました。

7時間半かかりました。

もちろん、翌日のゴルフはボロボロである。帰ってこなければ良かった・・・・

疲れが溜まって昨日あたりからは喘息の発作まで出てきやがったぜ。

親父より私の方が先に逝くかもしれぬ。明日をも知れぬ我が命だ。