つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

府中市

2020-02-17 01:38:00 | 晴れた日は仕事を休んで
2週間、間が空いてしまいましたが、別にバイクに飽きたわけではありませぬ。

前回の檜原村の後、我が家の次男と事務所の秘書ちゃんの息子(リンリン。仮名)を連れて苗場に↓


大きい方が我が家の次男(小5)。
小さい方がリンリン(小4)。
この二人、年齢差は1歳。
ウチのチビってば、俺に内緒で何食ってるとここまでデカくなるんだ?

その翌週。
今度は一人でスノボの練習に行ったところ、コブにボードを乗り上げて、思いっきり着地した勢いで右足ふくらはぎが肉離れに↓


全治2週間。
元陸自の依頼者曰く、こういう肉離れの仕方を「スタンプ」と言うらしい。
大地に「バンッ!」とスタンプ押すみたいに足を着くからだろう。

それにしても痛ぇ!

しかし来週金曜の夜からは再び、リンリンと、ウチの事務所で弁護修習していた鈴木君(仮名)と、その友達の藪木君(仮名)の4人で苗場入りだ。
藪木君(仮名)は勤務先の事務所に「所用あり」と言い訳(ウソとも言う)して早退してくるという。
リンリンは2回目の苗場をメチャメチャ楽しみにしてるらしい。

これは意地でも肉離れを治さねばならぬ。
全治2週間だが気合いで10日で治す。
治らなけりゃ治らないで、足の一本くらいどうとでもなろう。
俺の足の肉離れなんかより、楽しみにしていたスキーに行けなくなるリンリンの心の痛みの方が重傷だ。

で、スタンプからちょうど1週間目の昨日。
リハビリも兼ねて府中市に行って参りました。

調布市編で鈴木さん(実名)が教えてくれた、「1964年東京五輪の50km競歩の折り返し地点」はここ↓


この先の小金井街道を左折すれば東京競馬場だ。


競馬と麻雀三昧の日々だった20代前半。
JRAに吸い上げられた額も半端ではない。
この豪華な鉄扉の片方くらいは、おそらく私の金だ。いや、両扉くらいやられてるか。

痛む足を引きずりながらパドックと馬券売り場とゴール前を行ったり来たりするのは辛いので、今回は第5レースと第6レースだけ買ってみることに。

かれこれ30年ぶりなので、そもそも今、どういう馬が強いのかさっぱり分からん
いや、それ以前に馬券の購入がほとんど自動化されていて、買いたい馬券すら満足に買えん。
発券機の前であたふたしていたら、後ろに並んでいたおっさんから、

「にいちゃん、慣れてないならおばさんの窓口で買った方がええ。当たる馬券も買えなきゃゴミじゃ」

と優しくアドバイスして頂いた。

おっしゃるとおりです。

ちなみに、わたくし、あなたと年齢、そんなに変わりません。たぶん。
てか、ちゃんと人間(のおばさん)が売ってくれる窓口も残ってたのか。

第5レースは3歳未勝利戦。
パドックで見て気に入った3頭を11-12、11-13、12-13でボックス買い。





1着は読み通り13番のネイジュだったが、2着に2番のフィオーレカフェが入った。
クビ差の3着で12番のデイトラインだ。
惜しかった。


ちなみにゴールの遥か向こうには、ユーミンが「中央フリーウェイ」で歌ったビール工場が見えてます。



次の第6レースは3番と7番と11番の複勝。


私事ですが、次男が小さかった頃は毎日、
「アルベルト・ベロベーロだよ〜ん」
と彼の顔をベロベロ舐めておりました。
変態?
まぁ、お好きに呼んでくだせい。

ところが最近、次男は誰に吹き込まれたんだか、ベロベロさせてくれなくなりやがった。
反抗期か?

父親が可愛い我が子の顔をベロベロ舐めるのは、親猫が子猫の毛繕いしてやるようなもんなのに。
冷たい奴だ。

で、第6レースの3番。
馬名は「アルベロベッロ」
俺の化身か?

馬体もいい感じだ。


同じく11番のタツオウカケンランもいい。
毛並みがしっとりと美しく、落ち着いていて、後ろ足の踏み込みも力強い。
ちなみに私は辰年。
タツオウカケンラン。
他人とは思えん。
買いだ。


で、最後に7番。マイネルロベルト。


いや、何が目を引いたって、
チンコ、めちゃでか!
俺の化身か?(※ミエはってます。すいません)
他人とは思えん(※うそです。ごめんなさい)

結果はタツオウカケンランが2着。
アルベロベッロは4着。
マイネルロベルト5着。


あぁ。
やっぱ、チンコでかいと走りにくいか。
うんうん、ロベルト。わかる、わかるぞ。その辛さ。

結局、600円使ってタツオウカケンランの複勝が270円に。
JRAのヤロー、まだ俺から金取るか?
今度は宮殿でも建てようってか?

たとえ330円でも負けた以上、オケラ街道を走らねばなりますまい。
東京競馬場のオケラ街道というと、普通は西門から府中本町駅までの道を指す。
ここ↓


道の脇には一杯飲み屋が軒を連ねている。


この上まだ、むしり取りますか! さすがです!

そういえば、あれはオークスの日だったか。
最終レースまで負けに負けて、ビール飲むどころか電車賃までなくなり、文字どおりオケラになって調布駅まで歩いたことがあったっけ。
そこから先はどうやって家まで帰ったのか、残念ながら記憶がない。
一緒に歩いたのはクリとサカイリとマメチャンと、あとはクボヤマだったかサエキだったかタツヒコだったか。

ところで。
バイクを停めていた駐輪場の脇には馬頭観音と、レースで故障し薬殺されていった馬たちの供養塔があった。




人気タレントたちをCMに使って、木村カエラさんにテーマソングを歌ってもらって、「本場英国では貴族のスポーツだ」なんだと言ったところで、競馬は所詮、ギャンブルである。
賢く、人間に従順な馬たちを命懸けで走らせて、それに金を賭けて熱狂する賭博だ。

私はギャンブル好きの、ドス黒い欲望にまみれた、どうしようもない人間だが、そういう自分を隠すことを是とはしない。
だから、ギャンブルとしての拭いがたいドス黒さを「健全」という薄っぺらなベールで覆い隠そうとするかのような今の競馬を好きにはなれない。

昔の競馬は、そのどうしようもない「賭博としての罪深さ」を、今よりはもう少しだけ正直に晒していたように思う。
馬たちの供養塔は、そういうどうしようもない人間たちの、せめてもの贖罪の形だ。

東京競馬場のゴール前にはたくさんの若者がいた。
高そうな一眼レフのカメラを構えて、ゴールに駆け込んでくる馬たちを狙っている「馬ガール」たちもいた。

けれど、死んでいった馬たちの供養塔を写真に納め、手を合わせる人の姿はついになかった。

サカイリたちと一文無しで笑いながら調布まで歩いたあの日から30年。
自分が競馬から距離を置いてしまった理由が、少しわかったような気がした。





檜原村

2020-02-02 08:58:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第46回は檜原村。
「ひのはらむら」と読む。
「はらほろひれはれ」ではない。

行ってきたのは日本の滝100選にも選ばれている払沢の滝。
たまに「ふっさわのたき」と読む人がいるが、「ほっさわのたき」

滝の名は流れ落ちる滝の様(さま)が、僧侶が手に持っている払子(ほっす)に似ていることに由来する。
ちなみにこれが払子↓


(写真は仏壇屋滝田商店さんのHPから)

道路の凍結がちょっと心配だったけど、暖冬のお陰で問題なく払沢の滝駐車場に到着。



よく見ると道路脇に雪が残っとる!
駐車場の案内係のおじさんに聞くと、今年は3回、雪が降ったそうだ。

「でも、最近はあんまり雪も積もらないし、滝が氷結することも少なくなったなぁ」

とのこと。
このおじさん、私が滝を見て帰ってくるまで
「カッコいいバイクでイタズラされたら大変だから」
と駐車場の誘導の仕事のかたわら、私のボルティの横にずっと立っていてくださった。

いい人過ぎる!


目指す払沢の滝までは駐車場からてくてく歩いて15分くらい。
滝に向かう山道の入口にこんなお店が↓


なんだ?YMBCって?
YMCAなら知っとるが。


あぁ、YaMaBiCoね。
・・・って、わかりにくいわ!

やまびこ、もといYMBCの建物の壁面は、ちょっとムーミンの家を彷彿(ほうふつ)とさせるぞ↓




はい。気づいた方は観察力抜群ですね。



顔です↓


YMBCの少し先には「じゃがバーガー」のお店が。
んが、しかし。
残念なお知らせが↓


貼り紙の文字の色褪せ具合からすると体調崩されてずいぶん経つようにも見えるが、まだご無事なら早くよくなってください。

滝に向かう山道はこんな感じ。
勾配はそれほど急でもなく、小さな子ども連れの家族も歩いておる。


ただ、途中、柵がない場所もあって、その向こうは北秋川の支流セト沢に転がり落ちていくけっこう急な崖。
いや、危ないだろ、これ。



途中にある水神宮を過ぎてしばらく行くと


払沢の滝〜



滝壺には大蛇が住んでいるという。

「だいじゃ〜、どこじゃ〜?
 おれじゃ〜!」


・・・呼んでみたが出てこなかった。
たぶん冬眠中なんだろう。
あるいは我輩のオヤジギャグに凍死したか。

払沢の滝はセト沢から北秋川に、北秋川は本宿(もとしゅく)あたりで南秋川と合流して秋川に。
秋川は以前、「あきる野市」編で行ったBBQ場のあるトコだ。
そして秋川は昭島市編で行った「くじら運動公園」の少し上流で多摩川に注ぎ込み東京湾に流れ込む。
東京湾の先はもちろん太平洋である。

滝を見ながら、中島みゆきさんの「小石のように」(1979年発表のアルバム「親愛なる者へ」に収録)を思い出した。
聞いたことのない方はYouTubeとかで検索してみてください。名曲です。
いろんなアーティストの方がカバーしているが、わたし的にはみゆきさんのオリジナルがいちばん好き。

「小石のように」を聞いたのは中学3年のときだったか。
思春期で反抗期真っ只中にいた自分への応援歌のような曲だった。
あれから40年。
何をやってもうまくいかず、嫌なことばかりで、何もかも投げ出して座り込みそうになるたび、みゆきさんの「小石のように」に励まされてここまでやって来た。

おまえ おまえ 
海まで百里
座り込むには まだ早い