秋祭り始まる。

2009年11月09日 | 日記
 毎年の事であるが、いよいよ秋祭りが始まった。
 秋祭りとは神社で行われる新嘗祭のことである。春のお祭りである祈年祭を二月にして、1年間の五穀豊穣を願う事に対し、収穫の無事に感謝するお祭りである。したがって本来は、このときに新米が奉納されたり、穫れたての野菜果物などが奉納される。
 以前、伊勢神宮では新米が備えられた後、お下がりはどうなるのかと尋ねた事があった。新米をお供えした後は、神職で分け合うのではなく、蔵にストックするのだそうだ。昔は飢饉などが絶えなかったため、1年間備蓄して、次の新米が備わる頃には、また別の蔵に移され、人間の口に入るのは古々米の段階であったとか。なるほど日本人の知恵であると同時に、我々現代の人間が失いつつある美徳だなあとつくづく感じた。(新米がとれると真っ先に食べていませんか!?)
 数年前に米の収穫高が激減した際、我々は外国米を食するという選択肢に悩んだではないか。そして今、あての無い未曾有の経済不況に突入している。この神宮のスタイルは現代に様々な形で活かせるのではあるまいか。
 
 昔、ある先輩が語ってくれた。高度経済成長以降、バブルを経て我々は、財や富は、努力すれば無限に生み出す事が出来ると勘違いしていないか。実は器の大きさ、容量には限りがある箱のようなものだという。その箱の中身を、力の強い者から取っていってしまったら、皆には行き渡らない。しかし少しずつ、譲り合っていけば、広く皆に分け与えられる事になるのだ。この箱を「地球」に置き換えてみても分かる気がする。

 島津日新公いろは歌に曰く、
   「理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 
           心の駒の行くにまかすな」
 また、
   「少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 
           月もほどなき十六夜のそら」

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