がんばれっ日本!!!!!

2011年03月17日 | 日記
 大地震、津波、火災、放射性物質漏洩、寒波、雪.........
 神主の自分が言うのも変だが、本音で「神様、もういい。このへんで助けてあげてください!」と祈る毎日。
 ここ鹿児島は、鳥インフルエンザが終結したかと思えば、新燃岳だの桜島だの降灰で悩んでいる。
しかし、これほどひどい状況ではないだろう。せめてこの温暖な気温だけでも半分分けてあげてくださいと思う。
 被災者の皆さんの想像を絶する日々の暮らしの中で、皆、歯を食いしばって生きている。
 降る雪すらトイレなどの生活の水に使うというアイデアは、素晴らしいと思った。

 当社では、月曜日から始めている神社での義援金はまだまだ全然集まっていない。皆、人ごとではないはずだ。もしかすると将来、日向沖の地震が起こりうる可能性がある。我々だっていつ被災する立場になるかわからないのだ。
神社界も早急に対応を起こすべきである。昨日電話で確認を入れてみたが立ち上げが遅い。
 
 かつて日本人は寺社仏閣を崇めると同時に、その場所、空間は地域のコミュニティーの現場であり人々の心のよりどころであった。
以前にも書いたように、日本にはまだ地域のコミュニティーは残っている。「コミュニティーの崩壊」などという事は、世間知らずの人間が言う事だ。否、過去形ではなく、ここ鹿児島を始め地方の多くはまだそのような現状がある。今回の震災の後の人々の行動がそれを示しているではないか。

全国8万社の内、何社が今回の被災を受けたかわからないが、被災を免れた神職は心を結集して、「神社界の」などという狭い了見ではなく、「すべての國民のために」今こそ尽力すべきである。さらに、神社界はあらゆる宗教界のオピニオンリーダーたる地位を発揮し世界の模範を示していくべきである。

それが、日頃唱えし「精神生活の綱領」にある「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世を作り固めなす事。大御心をいただきて睦び和らぎ、國の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。」であるはずだ。
加えて、薩摩の教えに「情けは人のためならず、めぐりめぐりて小車の後は我が身の為となる」という薩摩琵琶の一節がある。文字通りの意味。
決して燃料や生活用品の買いだめをしてはいけない。被災を受けていない我々が、いまこそしっかりと心をたて、未曾有の災害に見舞われた我が国を、一刻も早く建て直すためにそれぞれの立場で自分たちの生活をきちっと営みながら、援助の策を立ち上げればよい。どんな小さな事でも必ず思いは届く。

一昨日、空港で偶然に大阪のロータリークラブの旧友と出会った。出発までのほんの一時で交わした言葉に納得した。
「我々は今回被災を免れたんやから、被災した人たちと一緒に心がなえてしまったらあかんのや。無事やったからこそ、我々が他のそれぞれの所で大いに稼ぎまくって、再建に向けての経済の支えにならんと。いま、我々が経済活動を停止していたら、どうにもならんようになる。」
全くその通りだと思う。

 ミュージシャン達が、あらゆるイベントの開催中止という憂き目にあっている。
主催者側に言いたい。直接被災していない地区での公演は出来るだけ開催していただきたい。彼らの歌が、演奏が世の中の人々の心を和らげ、勇気を与え、心を一つにする方向へ導く事があるのだから。

チェスト!!






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