何かが違う

2010年02月03日 | 日記
 正月から七草、厄払い等々怒濤のごとく一ヶ月が過ぎた。が相変わらず貧乏暇無し状態である。
 さて、本日は節分。巷では「恵方巻」なる巻き寿司が飛ぶように売れているという。「恵方巻」は大阪の船場の発祥で吉方に向かって巻き寿司を一本丸ごと黙って食べるという習慣が、コンビニを通じて全国に広がったという。
 大阪生まれの自分としては、そんな習慣は無かったので首を傾げる。泉州には無かったのか。巻き寿司と云えば、具は穴子、高野豆腐、椎茸の甘煮、卵焼きがスタンダードであった。
 一方、鹿児島では節分は何をしていたのであろうか。鹿児島では基本的に節分には年男、年女が神社へ参拝し、豆まきをする。また、厄年の人はこの日に厄払いをしたりする。しかし、世知が無い現代、人々は利益優先からか神事を後回しにしていないか。週末の土日にしようとする。先祖や親の命日も、当たり前のように引き寄せでといって前もって自分たちの都合の良い週末の休みにしようとする。今から20年程前、自分が社会人になった頃は法事という理由で会社の有給をとる事はごく当たり前であり、周りの社員も、ちゃんとお祀りをしている家だという認識があった。ながい悠久の歴史からみれば、刹那に生きる我々だが、我々が今生きていられるのは先祖のおかげである。その感謝の気持ちを我々生神達の都合で勝手にずらしていいものか。良い訳が無いではないか。七五三、七草も然りである。暦、年中行事というものは古人からの知恵であり、データーの蓄積結果である。小さな事だが、このような事が一つ一つ積み重なっていく結果、子が親を殺したりする事につながっていくのではあるまいか。2月1日付けの地元紙に、昨年の殺人事件の内訳で19件中13件が親族間であったという記事が出ていた。