稽古始め

2010年01月20日 | 日記
 平静22年の薩摩琵琶稽古始めを行った。昼はいつも神戸から熱心に通ってくる女性が稽古に訪れた。かつての自分を見ているようで、奇妙な感じだが熱心に来られる分、こちらもついついエキサイトして教えてしまう。夜になっていつもの琵琶の稽古に通う人達が集ってくれた。「春の調」「蓬莱山」「松囃」など皆、新年にふさわしく春の歌を奏でた。古老より聴かされていた、琵琶会の最後は必ず「蓬莱山」で詠いあげ、世界の恒久の平和と、民族、国境を越えて世の人々の共存共栄を願うのだということにのっとり、最後は自分が「蓬莱山」を弾奏することにした。
 鹿児島市内からも兄弟弟子のY氏がわざわざ電車に乗って駆けつけてくれた。嬉しいことである。稽古始めの後はすき焼き大会と、お弟子さん達が持ち寄ってくれたお寿司や御菓子で「良か晩」であった。今年はかつての「門琵琶」の合奏復活を志したい。

少し一息

2010年01月14日 | 日記
 七草を終え、東京のとある新年年始会に招かれて、上京。当日は今まさに渦中の人、I会長を迎えたため、景気付けに一発薩摩琵琶の戦記物を放った。喜んで頂けて何よりであった。思い返せば、この二十年あまり、必ず政権が変わる時や、世の中が一変するときにトップの人達が薩摩琵琶を聴く会を鹿児島で行い、リーダー達は東京からわざわざ集まってくるという事が何度もあった事を思い起こした。今回もしかり。
 天気の良い連休にガッつりと新機軸たる仕事をどっさり抱え、行き詰まると居合を抜いてはパソコンに向かう毎日であった。結局東京では何処へも行かず、ただし夜は新年会と称し、美味い軍鶏料理を肴に日本酒をどっぷりと飲んだ。ようやくイベントのチラシと地元広報誌への投げ込み原稿を作り終え、飛行機に飛び乗った。
 約一週間ぶりの鹿児島はめずらしい残雪の姿が。桜島も寒そうであった。
その足でMBC学園へ向かう。また新たに見学者の方が来られた。ぜひ薩摩琵琶の世界に足を踏み入れて頂きたいと思う。

七草明け

2010年01月08日 | 日記
 正月の諸行事も恙なく終了し、鹿児島独特の風習である「七草」(数え年七歳の男女児が晴れ着を着て神社参りしたあと、七軒の家をまわって粥を椀に頂くもの。)の祈願も終え、逃げるように鹿児島を脱出した。
 最近は家々をまわる子供の姿を見なくなった。失いたくない正月の風景であったが残念である。
 今年は年末年始の祈願参拝者が激増し、てんてこ舞いしていた。体はぼろぼろで腰も背中もパンパンに張っている。おまけに年末クリスマス明けから忘年会続きで正月明けは不景気にもかかわらず新年会続きであった。やっとつらい腰を治しにマッサージに行くことができたが、本当にトイレへ行く時間もなかなか無いくらい忙しかった。暫く東京で静養して帰ることとする。

謹賀新年

2010年01月01日 | 日記
 新しい年が始まった。激変した昨年、生活は厳しく、世相に振り回されまいと己の生き様を保つのが精一杯であった。経済不況という名の「得体の知れない化け物」によって、何かにつけせちが無い世の中になりつつあるが、今年は特に、意識して思いやりと感謝の気持ちを持ち続けたいと思う。
 いかに忙しくとも、祖先の御霊に感謝し、五穀豊穣と、国民の幸福、皇室の弥栄を天神地神に祈るのが本日全国の神社で催行された「歳旦祭」である。まだまだ己の力量が及ばず、昨年は厳しい世の中となってしまった。今年こそはと願う。
 そして国民一人一人が、天の恵みと祖先の恩とに感謝する気持ちをもち、「困っている時は、お互い様」「もったいない」「睦び」「和らぎ」などといった日本人が元々持っている気持ちを再確認する時ではなかろうか。
 かつて聖徳太子が唱えた「和をもって貴しとなす」を忘れてはならないと思う。