6月に入って

2020年06月03日 | 日記
ここ鹿児島では新たな新型肺炎感染者も出ずに平穏な日々を送っていますが、ワクチンがまだ開発されていないため、コロナが撲滅したわけではありません。
まだまだ、気を抜くことができない日々です。
神社の境内は、日々、親子連れの方や読書に来られたり、グランドゴルフをされたりいろいろな方が訪れ、ウグイスや野鳥の声の中で過ごされています。
感染対策のため、手水や拝殿の鈴緒は使用しないようにしていましたが、6月1日からは手水の使用ができるようにしました。ただし、直接柄杓から口に含まないようにと注意書を貼っています。


祝、MBC学園創立50周年記念

2012年05月15日 | 日記
 本日5月15日は私がお世話になっている鹿児島市内にあるカルチャーセンターの草分け、MBC学園が創立されて50周年を迎える日だそうである。
手元に当時の第1号学園だよりがあるが当時は「南日本芸術学園」と称していたらしい。650名の受講生がいたという。
 
 主旨は、当時のパンフレットによると、
「鹿児島は地理的関係上中央の文化の浸透が鈍く近代人としての深い教養を身につける期間にとぼしいので、市民の日常生活を豊かにするために一般教養を幅広くし、なお芸術の鑑賞眼を高めることを目的として」開講したとある。
まさに、鹿児島に於ける成人情操教育の場、第一号であった訳である。
ちなみに名誉学園長は佐土原島津家の久子女史。しかも今日がご命日だとか・・・

 予々考えていたこと、例えば「薩摩琵琶」。
なぜ鹿児島県の宝である県無形文化財指定をうけているにも関わらず、大学やこういった文化芸術コースで取り扱わないのであろう。
しかし、昭和51年まではこの学園にはれっきとした薩摩琵琶のコースがあったのである。
 
 時代は変わり、今、さまざまな生涯学習システムが立ち上がっては消えていく中で、、いまだに鹿児島の大学教育の中には「文化財継承者教育コース」的なものが設けられていないのははなはだ残念な事である。(東京の音楽系大学にはいくつか薩摩琵琶のコースがあるらしい)
が、私はここの学園が続く限り、薩摩琵琶とできれば天吹のコースを設けて、後継者が育っていただける一助をになうべくご奉仕していきたいと思っている。

いずれにしても、50年も前に立ち上げた先人達の意志を、今日改めて学び直し、その志が今日まで続いてきたという事に敬意を表したい。
お祝いの気持ちを込めて、さらに肝に銘じておきたいと思った。


久しぶりに大阪

2012年05月15日 | 日記
久々に大阪の実業界の方々からお声がけを頂き、西郷さんの末裔の隆文先生とともに、大阪へ。
「指導者のあり方を明治維新に学ぶ」というテーマで、西郷隆盛の事を西郷さんが講演し、後を承けて
シンポジウムでパネルディスカッションに加わらせていただきました。
楽器を持たない、しかも数人で舞台上でディスカッションするというのはかなり緊張しました。
僕の願いは、天下の台所たる大阪が元気を出してもらわなければ日本の経済の復興には拍車がかからない
との思いから、いかに皆さんに元気を出してもらうかという事に集中しました。
みんながんばってやー!

雑感

2011年04月15日 | 日記
震災以降、世間では様々な動きが展開された。鹿児島は幸い、震源地からは遠く、また懸念されている原発の影響も今のところはない。しかし、当初は、店頭からミネラルウォーターが消えたり、トイレットペーパーが品薄になるなど、という事があった。当方も半月程の間は、東北地方の知人数名の消息が掴めず、大変に気を揉んだ。
何か自分で出来る事は無いかと、神社の社頭に震災募金の小さな賽銭箱を置き、神社のオリジナル携帯ストラップを並べてその頒布代を全部義援金にまわすようにした。震災復興祈願も何度か行っている。三月末で一旦締め、募金を神社本庁へ振り込んだ。しばらく設置する。
しかし、外国人観光客の相次ぐキャンセルは観光立県鹿児島にとっては大変なダメージである。県外からの集客も減少し、学会や研修会もキャンセルが相次いだ。それら向けの講演会や琵琶の弾奏の仕事が全て吹っ飛んだ。まるまる一ヶ月近く、失職状態が続く。二次災害という言葉が頭をよぎる。我々は今回は幸いに被災していない。連日の被災地のニュースをテレビがどのチャンネルをまわしてもやっているのを一日中視ていると、次第にこちらもあたかも被災したかの如く気が滅入って来る。大好きな音楽すら聴く気にもなれず、楽器を触る気にもなれなかった。
このままではいけない。自粛ばかりしていたら日本は再生なんて出来なくなるのではないか。むしろ動ける人が動けるところで経済活動を、最低限今まで通り営む事が大事であると思う…一刻も早い復興を祈る。

無事確認!!

2011年03月20日 | 日記
本日、消息不明だった宮城県岩沼市のおそば屋さん「庄内藩」の店主さんと電話が繋がった!皆無事との事。
津波が出た時、あわやという所で高速道路が防波堤の役割をして、全く浸水しなかったとの事。まずはホッとした。
しかし、未だに石油、ガソリン、水道は復旧していないため家からは歩ける範囲しか移動できないとの事。
宅配便も遠くの営業所留りなため、取りにいけないという事であった。