国民への冒涜だ!!

2010年06月02日 | 日記
 鳩山首相辞任の会見をテレビを通じて視た。
 「またか」という思いと、何ら政権交代しても変わっていないではないか、否、引っかき回すだけ回しておいて途中で投げ出したという結果においては、今までの比ではないのではないかという憤りすら感じざるを得ないのは自分だけであろうか。
 児童手当の件にしても、多大なる赤字を抱えている国で、ただ単にバラまきをしているだけではないのかと首を傾げるどころか、もういいからやめてくれ、それより日々の国民の暮らしを少しでも楽にしてくれという悲鳴にも近い思いを抱いている人は少ないのであろうか?
いい加減にしてもらいたい。参院選を見越して云々だの党の本筋をどうのこうのだの言っている時間はとっくの昔に終わっている。この国は企業ならば倒産していておかしくないのだから。
正しく、戦後の軟弱な教育、風潮がここに来て噴出している感が否めない。事業を起こすにしても、個人個人ですら今年の抱負だの、理念だのコンセプトを置くのが普通である。
一体、我が国は大東亜戦争で敗戦を経験し、GHQの占領下政策で完全に骨抜きにされたとはいえ、「国体」を捨てる必要はなかったわけではないのか!?
「国体」即ち「この国のあり方」は未だに迷走中である。一体、この国はどこへ向かおうとしているのか?国民自身においても、国の象徴たる「国旗」「国家」を否定する者がいるという。誠に持っておかしな国である。
今朝の日経新聞に鳩山氏が西郷南洲遺訓の言葉を引用していたとあるが、我が薩摩においては、南洲遺訓の前に「日新公いろは歌」が存在している。今回辞任にいたった理由の一つに挙げられていた普天間の問題にしても、いろは歌によれば、
「もろもろの国や所の政道は、人にまずよく教え習わせ」と書いてある。政府がすることだから、首相がやることだからとあたかも最後通告のような今回の振る舞いや世間に対する思わせぶり、さらには報道のあり方はよろしくないと思う。それは奢り高ぶりではないか。まずそこの住民のみなさんと膝をつき合わせて話し合いをすることを十分してからでないと、施行してはいけないという教えを守っていれば、今回の様々な要因は7割方解決できたと思う。国民の目線に全然立っていない勘違い政府であった。まことにお粗末である。怒りを禁じ得ない。昨年の政権交代から、今回の辞任にいたる一連の動きをどう次の政権に引き継ぐのか?政治不信は確実なものとなった。国会議員の方々、年間一千万円以上の国民の血税を報酬にあてがっているとか?もしそれが本当なら、果たしてそんな働きをしているのかい!!??

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