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写真にチャレンジ

広島県や近県をバイクや車で巡って、風景や花の写真を撮っています。

岡山県 鬼ノ城

2024年07月15日 | 岡山県

中国地方は大雨が続いています。

大雨でJRが止まると、通勤時間が倍増します。

車の中に1時間もいると、出社した時点で疲れ果ててしまいますね。


 

以前から行ってみたいと思っていた「鬼ノ城」に行ってきました。

鬼ノ城は、解明されていないことも多いのですが、7世紀頃建てられた古代山城で、広さは東京ドームの6倍を超えます。

城門が4か所、水門6か所、角楼1か所を配し、城内に必要な水を得るため貯水池もあります。

築城した人物も諸説ありますが、天武天皇のもとで吉備太宰を務め、吉備国一帯を治めていた「石川王」(いしかわのおおきみ)が建てたというのが有力です。

 

広島市からは山陽道で2時間半くらい。

事前に調べた通り、近くの砂川公園からの3kmが道が細くて運転しずらいです。

離合する場所はあるのですが、カーブミラーが適切に配置されてないため、対向車の発見が遅れて離合できずにバックする場面が何回かありました。

 

駐車場は広くて、トイレやビジターセンターがあります。

 

ビジターセンター。ここで事前学習をします。

 

山城の全体図。

 

さて、どのように見て回るかを考えるんですが、どのルートも距離が長い。

梅雨のさなか、7月の蒸し暑さの中で、1時間以上歩く気が起こりません。

なので、西門と角楼だけを見に行くことにしました。

 

結構急なんだけど。えっ、これを登るの?

 

7~8分も歩くと、西門跡に着きました。西門跡までは、車いす対応の道が一応あります。

 

この門は復元されたものですが、こんなものがこんな場所に千年以上前に作られていたと思うと、人の力ってすごいなあと感じます。

 

 

門が1階だとして、2階、3階には上がることが出来ません。

 

門をくぐって表に出ました。

上部に飾られているのは盾の復元。

 

中央の盾は、鬼の絵が描かれています。

 

この壁は土塁といって、土を何層も突き固めたりして作られたものです。

 

角楼跡(すみやぐらあと)。敵を素早く発見するための場所。

この上に建物があったかどうかは不明。

 

岡山市内が見渡せます。

ここから新羅や唐が攻めてくるのを見張っていたのでしょうか。

 

散策ルートは、このような道を歩くことになります。

 

所々に休憩所があります。

 

ビジターセンターで歴史を学習しても小一時間で見学を終えました。

ここは、城跡を見ながらのウォーキングコースという感じですね。

城が残っている訳じゃなく、建物を見て楽しむのではなく、遺跡を見ながら当時に思いを馳せるものですね。

実際、ここを訪れる人の9割は、私のように西門近辺を見るだけに終わると聞きます。

公共の交通機関でのアクセスも無く道幅が狭いため、トレッキングの準備をしてまで再訪するかと聞かれると考えてしまいます。

気候の良い時期に訪れるのがいいでしょう。

 

ご覧いただきありがとうございます。

                            夕菅(ゆうすげ)

 

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岡山県 石火矢町ふるさと村

2024年06月09日 | 岡山県

ニュースで九州南部が梅雨入りしたと報じていました。

いよいよジメジメのシーズンが訪れそうですね。


 

備中松山城を訪れた足で、ふもとの石火矢町ふるさと村を見て歩きました。

 

城の登り口にあるもので、主に武家屋敷と紺屋川沿いの町並みがあります。

 

駐車場はいくつかありますが、武家屋敷前の駐車場(無料)に停めました。

ここで、散策マップをゲット。

 

通りはこんな感じで、白壁が何か所か見られます。

 

武家屋敷は2つあり、いずれも入場料500円のため、外から写真に収めることにしました。

武家屋敷(旧 埴原家)

 

武家屋敷(旧 折井家)

 

通りを歩いて行くと、分岐点に案内板があります。

 

とりあえず左に行って頼久寺に行きました。

ここは庭園が見られるお寺です。

 

次に高梁キリスト教会堂に行きました。

明治22(1889)年に建てられた岡山県内最古の教会堂です。

 

ここから紺屋川美観地区が始まります。

 

川に沿って古い建物が、当時の面影を残しつつ建っています。

 

倉敷の美観地区などとは違って規模は小さいので、小一時間もあれば、見て回ることができるので、高梁市に行くのなら備中松山城とセットで訪れるのが良いでしょう。

 

ご覧いただきありがとうございます。

                            夕菅(ゆうすげ)

 

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岡山県 備中松山城

2024年06月02日 | 岡山県

久しぶりに岡山県に行ってきました。 

GoogleMapの「行きたい場所」には、岡山県も何か所か登録してあるんですが、日帰りするにはちょっと距離が遠くて、なかなか行けていませんでした。


 

今回は備中松山城を撮りに出かけました。

広島市からは山陽道→岡山道で約3時間。高速料金は休日割引で3000円弱。

普段下道ばかり利用してる身からすると、高速道路は退屈で仕方ない。

ACCを90km/hにセットしてると、ほぼすることがない。

 

ナビで「城まちステーション」を目指して進むが、国道からは結構狭い道が続く。

駐車場係の方が案内をしてくれて、二輪用駐車場の奥の車用の駐車場に停めました。

ここには土産物屋やトイレがあり、シャトルバスの乗降場所になっています。

 

往復500円を払い、バスで7~8分登ると「ふいご峠」の駐車場に着きます。

平日はここまで車で登ってくることができますが、駐車台数は十数台分しかありません。

自販機がここより上にはないので、ここで飲み物を準備しておくのが良いでしょう。

 

登り口には杖になる棒が置いてあり、レンタルすることができます。

ここから、大手門→三の丸→二の丸→本丸→天守 とひたすら登っていきます。

 

道は、まるで「登山」という感じで、このような道が続きます。

 

途中の案内板を見ながら、自分を励まします。

 

途中、「あわてず、ゆっくり進むべし」とか「この先 足元悪しきにつき 気を付けて歩むべし」など城主からのアドバイスが書かれた立札がありました。

大手門が見えてきました。

 

三の丸。

敵から身を守りながら、鉄砲や弓矢を使うための穴。

 

二の丸。

ベンチがあり、城下を見下ろせるため、弁当を食べたりするのに良い。

 

これは飾り物のネコ。

 

本丸に入ると迎えてくれるネコ城主「さんじゅーろー」。

定位置の座布団の上は暑いので、日よけの下にいた。

 

ここまで来るのに、約30分。もっとかかったような気もするが、こんな山道では敵も疲れ果てるであろう。

 

500円を払って、天守へ。

築城は鎌倉時代(1240年ころ)。

城までの道があまりにも過酷なため、平時、城主はふもとに居住していたようです。

その後いろいろと城主が変わり、明治6(1873)年に廃城令が出され、全国の多くの城で天守や建物が取り壊されました。御根小屋(藩主の居宅)は破壊されましたが、天守や櫓(やぐら)、門などは不便な山の上にあったことが幸いし、そのまま放置されたということです。

 

「石落し」。攻め来る敵に石を落として応戦。

 

「武者窓」。正方形の角材の角を外側に向けて並べることにより、外からは内が見えにくく、内からは広角に敵を見ることができる。

 

食事や暖房用の「囲炉裏」。天守閣の中に囲炉裏があるのは、全国でも珍しい。

 

「装束の間」。天守の最上階にあり、城主一家の居室で床下に石が敷かれており、忍びの者でも侵入が困難とされています。

戦に敗れ落城の折には、城主一家の死に場所になるそうな。

 

廃城令や先の大戦から逃れたこの城も、昭和、平成と修復や復元をされています。

昭和14年の復元時には、地元の小中学生や女学生が2万枚の瓦を山頂まで担いで登ったらしい。

 


若い頃には城なんて興味すらなかったのですが、年を取ると、築城からの変遷や当時の人々のを思いを想像するのが楽しくもあります。

 

ご覧いただきありがとうございます。

                            夕菅(ゆうすげ)

 

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