ひぐらしの思い出

17年続くライフログ。
2020年2月から2022年12月まで毎日日記を書いていました。

経験は希望である、という考えなど

2019-02-24 12:32:41 | 日記


明日はいよいよライブである。
今年の初ライブ。(遅い)
そしてわたしの記念すべき2度目の成人式的お誕生日である。あえて年齢は書かない。

※まだこのブログでお知らせ出してなかったとは…なんたる不覚

ひと月前くらいに急に決まったライブである。

Facebookでわたしの誕生日に何かやりたい、ってなことを書いていたらお誘いを受けたんだった。
友人に集まってもらって、パーティーのようないわゆるお誕生日会をやろうかなとも思ってたんだけどせっかくなのでライブをすることにした。
やはり歌っていられるのは幸せなのである。

正直この歳になるまで歌をやってるとは思っていなかった。
始めたときにそんなに強い衝動があった訳ではないし、自分の才能を信じてもいなかったし。紆余曲折ありつつありがたいことになんとなくなラッキーが続いてやってこられたかなあという感じである。

もともとわたしは飽きっぽい性質なのでなにか始めても三日坊主で終わることが多い。糖質制限もジョギングもまったく続かなかった。
そのわたしが(一度辞めようとしたとはいえ)13年ほど?続けていられてる。
褒めてほしいところである。ぜひに。

続けることってとても大切なのでは、と最近色々なことで思うようになった。

たぶん年齢を重ねてきて「努力」とか「才能」とかそういうものと同列にある「経験」というスキル。それの凄さや力を知る機会が増えたのだ。

若い頃はなんとなくおっさんのひがみかなあ(ひどい)なんて思っていたんだけどな、経験なんて。
「才能」の前には太刀打ちできねえだろ、と思っていたコイツが。
なんだよ、おろそかに出来ねえぞ、と実感してきている。
経験はすごい。
長年続けている人にはその人にしかないものが必ずある。しかもそれが強い。ぽっと消えたりしない力強いものがビシッとその人の中に、ある。
わたしにもあるかなあ。

経験は希望だ。
もうすっかり若くないわたしにも、先になればなるほど満ち、輝くことが出来るかもしれないという希望の原動力だ。


そう言いつつ。歌は続けることはそんなに難しくないのかもしれない。
誰に求められずとも「わたし歌好きなの〜ららら〜」と歌っていればいいので、歌は続けようと思えばいつまででも続けられるんだと思う。

でもやはり人に聴いてもらえねばな、と思うわけである。
歌の価値、ということではなく歌の意味、というもの的に。
音楽は必ず人に対してあるものであってほしいのだ。時には自分のためであってもいいが、基本的には他人のために。

わたしはわたしの歌で人を楽しませたいんである。

求められているかは分からないけれど、まあどうにかこうにか、心が折れるまでは続けていこうと思っている。

ここ1年ほどがんばってきた弾き語り。
ここいらで少し本来のステージングに戻りたいなと考えている。
やってみてかなり沢山のことを知れたと思う。ありがとう弾き語り。
それでもやはりわたしは、全身全霊すべての感覚を使って歌を歌いたいのだ。この指も手も、歌にのみ使いたい。それでも足りない、本当に全然足りないくらいだから。

明日のライブでぜひ見ておいていただきたい。ひよせひとり弾き語りステージ。

つらつらと長くなってしまった。
思いつくままに書いてしまったので本当に支離滅裂である。
だいたいなぜ「である」文体なんだ。誰なんだわたしは。

こんな駄文を読んでいただいてありがとうございます。
ついでに明日の夜は下北沢ccoに来てわたしに1杯ビールでも奢ってくれたらうれしい。
かわりにわたしは音楽であなたを楽しくさせるのだ。

お誕生日ライブの詳細はこちらじゃよ