今日は,久々のロードバイク。我が家の「ピナレロ号」を紹介します。このピナレロ号が我が家に来て5年が過ぎた。
そのきっかけは,シクロと同じくレースにある。「けいはんなロードレース」にあのマウンテンバイクで参加した。シクロ以上に無謀であったが当時はさほど気にしていなかった。当然タイヤ細身のスリックに変えていた,マキシスのディトネイターはブロックタイヤから履きかえると劇的に軽く感じた。
これで何とかなると安易に考えたのが運のつき,ロードレースはそんなに甘くない。登りは重く,下りはギヤが足りない。必死で登っても横をシャーシャーとロードが抜いていく。下りではいくらペダルを回してもジュニアの選手が抜き去っていく。「次はロードバイクで再チャレンジ」と心に誓った。
それから,ロードバイク選びが始まった。雑誌や店頭で最新のバイクをチェックした。高校生のころランドナーを乗りまわし,自転車にはそこそこ詳しかった。しかし,その頃のロードバイクはクロモリフレームのダウンチューブにシフトレバーが付き,フロントは2枚であるがリアは5枚であった。ビンディングなどもなくトークリップをベルトで締める。そんな時代から比べれば今のバイクは画期的。
その中で,一目ぼれしたのが「ピナレロ」だった。ピナレロに魅かれる人は皆一様に「一目惚れ」という人が多い。他車と比べてどうこうではないのだろう。
オンダのカーボンフォークのあの曲がりは,芸術的。なんとか手が届くのは,「ピナレロ・ガリレオ」だったが,すでに人気が高く,売り切れで来季待ちだった。予約を入れ入荷を待った。
今までのマットなイタリアンカラーを一新,アルミのポリッシュ仕上げになっていた。その頃のフラッグシップモデルは,アルミのプリンス,そしてマグネシウムのドグマ,ともにカーボンフォークにカーボンバック。ツールドフランスでもマグネシウムのドグマが話題を集め,金属フレームが輝きを見せていた。
その後,金属フレームにこだわりを見せていたピナレロも「パリカーボン」をレースに投入し,今やロードバイクといえばカーボンフレームと感じるほどにまでなった。
ガロレオもFP2と名前を変え,今やデュオとなりフルカーボンとなっている。
パーツを一新し,オリジナルはフレームにフォークとシートピラーのみとなったが,レースの相棒として鈴鹿や美山を戦ってきた相棒は,まだまだ現役バリバリのロードレーサーである。
美山ロードに向け,この冬も足鍛えなければ。
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そのきっかけは,シクロと同じくレースにある。「けいはんなロードレース」にあのマウンテンバイクで参加した。シクロ以上に無謀であったが当時はさほど気にしていなかった。当然タイヤ細身のスリックに変えていた,マキシスのディトネイターはブロックタイヤから履きかえると劇的に軽く感じた。
これで何とかなると安易に考えたのが運のつき,ロードレースはそんなに甘くない。登りは重く,下りはギヤが足りない。必死で登っても横をシャーシャーとロードが抜いていく。下りではいくらペダルを回してもジュニアの選手が抜き去っていく。「次はロードバイクで再チャレンジ」と心に誓った。
それから,ロードバイク選びが始まった。雑誌や店頭で最新のバイクをチェックした。高校生のころランドナーを乗りまわし,自転車にはそこそこ詳しかった。しかし,その頃のロードバイクはクロモリフレームのダウンチューブにシフトレバーが付き,フロントは2枚であるがリアは5枚であった。ビンディングなどもなくトークリップをベルトで締める。そんな時代から比べれば今のバイクは画期的。
その中で,一目ぼれしたのが「ピナレロ」だった。ピナレロに魅かれる人は皆一様に「一目惚れ」という人が多い。他車と比べてどうこうではないのだろう。
オンダのカーボンフォークのあの曲がりは,芸術的。なんとか手が届くのは,「ピナレロ・ガリレオ」だったが,すでに人気が高く,売り切れで来季待ちだった。予約を入れ入荷を待った。
今までのマットなイタリアンカラーを一新,アルミのポリッシュ仕上げになっていた。その頃のフラッグシップモデルは,アルミのプリンス,そしてマグネシウムのドグマ,ともにカーボンフォークにカーボンバック。ツールドフランスでもマグネシウムのドグマが話題を集め,金属フレームが輝きを見せていた。
その後,金属フレームにこだわりを見せていたピナレロも「パリカーボン」をレースに投入し,今やロードバイクといえばカーボンフレームと感じるほどにまでなった。
ガロレオもFP2と名前を変え,今やデュオとなりフルカーボンとなっている。
パーツを一新し,オリジナルはフレームにフォークとシートピラーのみとなったが,レースの相棒として鈴鹿や美山を戦ってきた相棒は,まだまだ現役バリバリのロードレーサーである。
美山ロードに向け,この冬も足鍛えなければ。
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