京都中央信用金庫(中信)被害者の会

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平成7年当時の銀行融資の実態

2017年08月24日 00時13分35秒 | 日記
各裁判の中で,平成7年当時の銀行融資の実態がどのようなものであったのかが,1つの争点になっています。


こちらの主張は次のとおりです。


<A(AはT商会の社長)の主張>
① 赤字のT商会の資金にするため、中信の指示で一連の不正融資を繰り返した。
② Kや子供らの定期預金証書や印鑑を無断で持ち出して中信に提供した。

簡単にいうと

「融資の借主・債務者となる者の同意・了解がないのに,融資契約が締結された」

ということです。


さて,本当にこのような銀行融資の実態があったのかどうか。これまでの裁判の中で明らかになっていっています。


平成29年6月16日,一連の裁判の1つ(京都地方裁判所・第7民事部(平成26年(ワ)第3638号事件))で,中信東山支店元支店長代理Oさんの証人尋問が行われました。当時,融資などの銀行実務を担当していた人の証言です。


<支店長代理Oさんの証言内容の概要>
① 当時担当していたH(Hとは株式会社Mの社長)個人名義及びHが代表を務める株式会社M名義のすべての契約について「H自身が契約を行ったことはなく」「すべてAと行ってきた」
② 「Hから委任状を貰ったことがない」
③ 「Hに意思確認は行ったことはない」
④ 「Hは、ホテルがオープンした昭和63年4月以降に京都中央信用金庫東山支店へ訪問したことがない」
⑤ 「それ以降はHと面談したこともない」


この裁判で問題になっている契約(平成7年)について,当時の中信担当者が,H個人及び株式会社M名義の契約はHに面談や意思確認も行うことなく繰り返していた,ということを証言しました。
このことから,中信東山支店では,Hや株式会社Mへの融資について,「融資の借主・債務者となる者の同意・了解がないのに,融資契約が締結された」ものであったことがあきらかになりました。


では,この当時,このような方法による中信の融資方法は,Hや株式会社Mだけのことなのか。中信が行っていた融資全体のことなのか。それとも,中信のみならず,多くの金融機関が行っていたことなのか。
この疑問について,支店長代理Oさんの尋問で,次のやりとりがありました。


裁判官: ちょっと時代が変わるから、良い悪いは別にして、事実として教えていただくと、本件と同じように、本人と直接会わずに家族に署名押印を御願いしてとってきてもらう~というようなのは、当時多かったのですか。

支店長代理Oさん: ありましたね。今でこそ、面前自署というのがもう当たり前になっておりますが、当時はご家族の方、あるいは経理の方に御願いをして、署名捺印、要は署名判ですね、とハンコとを押してきていただいたということですね。T商会、株式会社Mだけじゃなくて、もうほとんどそう、ほとんどじゃ無いですがそういうことが多かったですね。


支店長代理Oさんの証言からすると,少なくとも中信では,Tや株式会社M以外にもこのような手法がされていたことになります。
他方,多くの金融機関でも行われていたのかどうかまでは,あきらかではありません。


そして,この点についての中信側の主張は次のとおりです。
<中信の主張>
「当時,AとHは,社長,専務として一体となって同族会社を運営しており,代筆も多かったと見受けられる。本件約束手形(丙4)については,控訴人Hの実父A(補助参加人)による代筆を求められ,以下で述べるとおり,貸付金入金口座がH本人名義口座であること等の事情もあって,当時の状況としては何ら問題が生じないことが明らかだったがゆえに,それに応じて融資実行したものと考えられる。」


この主張からすると,融資の借主・債務者自身の署名でなくとも,【当時の状況】としては問題がなかった,ということになります。
ただし,「当時の状況」が中信だけの状況なのか,金融機関全体のことなのかまでは明言されていません。しかし,一見すると金融機関全体のようにも読めます。


被害者の会としては,当時のこのような手法が,中信のみならず金融機関全体のことであれば,多くの中小零細企業の経営者が,知らない間に融資契約を締結され,定期預金や不動産を担保に取られ,資産を奪われている可能性があると考えます。

そのため,このような手法が金融機関全体で行われていたのかどうかについては,引き続きあきらかにしていきたいと思っています。

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