京都中央信用金庫(中信)被害者の会

このブログは、京都中央信用金庫(中信)被害者の会を立ち上げるに当たり開きました。

6民訴訟の控訴審の第1回期日の経緯について④

2020年10月23日 13時44分14秒 | 日記

加えて,裁判長は,Hさん本人が法廷で,


「本訴が係属した平成23年から約9年間,不正が発覚した平成13年からすれば約20年近く争ってきたこと」

「多数の筆跡偽造された証拠があり,面前自署確認欄がねつ造されていた事実を金融機関が認め,契約をしていたAさんと中信職員が会うことも意思確認をすることもなく無断で印鑑や定期預金証書を持ち出して契約していた事実を認めているのに,本人と契約したと言い続けて,その後,Aさんから証拠提出されれば,誰と誰が契約したのかも一切言わず,証拠の認否も拒否し,今では,T一族一体化などと意味不明な主張をしている経緯である」

「本人と契約していないと認定し,偽装融資金が入金されたとされる控訴人名義の口座は控訴人が入出金できない口座である事実は,既に(別件の子供ら定期訴訟控訴審・上告審判決判で)判断が出ているとして文書提出命令申立は必要がないと却下した経緯がありながら,それを理由に敗訴判決がなされているのは法律家ではなくてもおかしいと思う」

などの意見を述べたことに対し,真摯に耳を傾けられた上で,

「控訴人の意見は十分理解している」
「筆跡が違う前提をきちんと整理して立派な証拠を提出していただいた」
「当審は証拠に基づいて判断する

と発言されたのです。

高裁の結論がどうなるかは,私たちには分かりません。

 

これまでに述べたように,私たちが望んでいるのは,裁判所による法と証拠に基づいた判決です。私たちは,裁判所が法と証拠に基づく判決をしてくれるのだということで,裁判制度を信頼しているのです。私たちの望みというのは,ある意味で当たり前のことかもしれません。

しかし,それまで,その当たり前だったはずの,法と証拠に基づた判決をもらえなかった,ということも事実です。

今回の裁判長の「当裁判所は証拠に基づいて判断する。」というお言葉からも,法と証拠に基づいた偏見のない判決が期待できると考えています。このようなやりとりから見ると,高裁が地裁判決のような考え方をしていないと考えています。

 

私たちは,高裁が法と証拠に基づいた適切な判断をしてくれるのだと期待をしています。


6民訴訟の控訴審の第1回期日の経緯について③

2020年10月22日 09時09分13秒 | 日記

また,裁判長は,「資金の流れ」,つまり,Hさんが資金に関与できたかどうかについても,

「これについて主張・立証しないのか」

と釈明を求められました。

これに対しても,中信側は,

「昔のことであるために主張立証しない」

と断言したため,裁判長は,さらに

「では,立証しないということで心証をとって良いですね

と念を押されたのです。


さらに,裁判長は,筆跡が偽造された多数の債権書類のことや,融資金をHさんが使用できたかどうかの問題(口座開設資料に関する問題のことです。)についても指摘されました。裁判長は,

証拠上,契約者本人の筆跡ではない書類がたくさんある

ことを指摘した上で,陳述書の作成者について

「S(エス)さんとお呼びするのか」

と質問したり,

そうした各陳述書等を前提に推認して判断することになる

と念押しし,

「それでも主張立証をしないのか」

と確認されても,中信側は,

「主張立証はしない」

と断言しました。

(つづく)


6民訴訟の控訴審の第1回期日の経緯について②

2020年10月21日 11時05分49秒 | 日記

その上で,次に,裁判長は,

「要件事実的には,もし代理とか使者であれば,誰が誰に代理権を与えたのかという授権行為についての具体的事実の主張がされるのが通常だが,記録を見てもそういう主張が具体的なく,原告側からその釈明を求められているが,その点について回答をしないという従前のスタンスには違いがないのか」

と,契約成立の具体的主張をするのかしないのかを質問しました。
すると,中信代理人は,

「書面でも申し上げたとおり,今回の契約は20何年前に行われているので,今となっては,誰が誰に代理権を与えたのかを明らかにするのが難しいと考えておりまして,我々としては求釈明には答えられない」

「それ以上の主張も立証もしない」

と言い,裁判所は,このやりとりを調書に残しました。

このやりとりからすると,この点について裁判長が最も関心を持っていたということが分かります。

 

もともと,この点について中信側が「主張立証しない」と回答することは,原審の記録からすると,当然に予想できたのです。

要するに,裁判長は,純粋な疑問から質問したのではなく,「高裁でも主張立証の機会を与えたのに,被控訴人は主張立証しなかった」という調書記載を残すことを目的にこのやり取りをしたのだと考えられます。

では,裁判長は,なぜ,この調書記載を残す必要があると思ったのでしょうか。

原審の判断を維持するのであれば,こんな調書記載を残す必要はありません。

なぜなら,あえて調書記載をしたということは,その点を裁判所が重要だと考えている意思表示だからです。

原判決を維持するのであれば,被控訴人を勝たせるためには「個々の契約成立の具体的な主張立証は必要ない」と書かなければなりませんが,もしそうだとすると,なぜ裁判所が必要もないことを被控訴人に釈明したのかという問題が生じてしまいます。

原判決を維持するつもりなら,このような釈明をする必要はありません。それどころか,かえってこの釈明が邪魔になってしまいます。

しかし,原審の判断を逆転させ,中信に不利な判決をするというのであれば,この調書の記載は使えます。

高裁がわざわざ主張立証の機会を与えているのに,そのチャンスを逃がしたのだから,不利な判決を受けてもやむを得ない,ということに使えるのです。

(つづく)


6民訴訟の控訴審の第1回期日の経緯について①

2020年10月20日 13時33分41秒 | 日記

先日,6民訴訟の控訴審の第1回期日が,大阪高裁2民事部で行われました。

その期日では,まず最初に,裁判長により「原審記録に基づいて」原審口頭弁論の結果を陳述するということが述べられました。

ポイントは,裁判長が「原判決記載のとおり」陳述すると述べられたのではない,という点です。

民事訴訟法296条2項は,「当事者は,第一審における口頭弁論の結果を陳述しなければならない。」とされています。

 

この結果陳述のやりかたには,2つのやり方があります。それが

「原判決記載のとおり原審口頭弁論の結果陳述」

という場合と,

「原審記録のとおり原審口頭弁論の結果陳述」

という場合です。

これらの2つのやり方には,実は,大きな違いがあります。

前者の「原判決記載のとおり原審口頭弁論の結果陳述」という場合は,原審で当事者が行っていた主張などについては,原審判決の事実摘示欄(当事者の主張などが書かれた箇所のことです。)に整理して記載されたとおりであったとして,控訴審でも扱われることになります。例えば,実際に当事者が原審で行った主張と,原審判決の事実摘示に記載された主張とに食い違いがあったとしても,控訴審では,原審判決の事実摘示中の主張が当事者の主張であったとして審理が行われてしまうということになります。

後者の「原審記録のとおり原審口頭弁論の結果陳述」という場合は,原審で当事者が行っていた主張などについては,原審で実際に当事者が行ったとおりであったとして,控訴審で扱われることになるのです。

実は,これまでに控訴審に移行した一連の関連訴訟では,原審口頭弁論の結果を「原判決記載のとおり」陳述となったことは,一度もありません。まさに,原判決で私たちの主張を正確に理解しなかったり,当事者が主張すらしていない事実を前提に不意打ち的な判断をしてきたことの現れだと思います。

(つづく)


Hさん定期預金訴訟について① ~Aさん個人や中信職員個人だけに責任を負わせることは正義に反する

2020年10月09日 15時31分09秒 | 日記

 

 これまでお話ししてきたように,得てはならない利得を最も多く得てきたのが,中信という組織です。そのことは,実際に違法な手続に手を染めてしまった個人からの自白や謝罪から明らかになってきました。

 しかし,被害者であるHさんは,マスコミから受けたインタビューに対して,以下のように答えています。

確かに違法な手続を行った者らの罪が,自白や謝罪で許されるものではない。しかし,真の悪は多額な利益を得たものである。それが仮に判決で許されたなら,この悪は,真の正義の判断が下されるまで,いつまでも続くでしょう。何らの利益も得られないAさんや中信職員らが,「トカゲの尻尾切り」の如くに責任を押し付けられるなど,社会通念に照らしても不合理極まりなく,全くの正義ではない。

 つまり,組織としての罪を問われないといけないのに,個人としての罪のみしか問われないというのであれば,不正義な結果となってしまうのです。

 

 

 どういうことか?少し詳しく説明していきましょう。

 

 すでにAさんは自らの違法行為を自白していますので,Aさん個人が責任を負うというのは当然です。

 

 そして,このことは,自らの違法行為を認めている中信職員についても同じことが言えます。彼らが法廷に来て証言したときのことを振り返ってみましょう。

 

【中信職員O1さん】

・M社のホテルがオープンした昭和63年4月から,中信東山支店に在籍していた平成7年7月までの間,Hさんとは会ったことも意思確認をしたこともなく,HさんやM社から融資申込を受けたこともなければ,契約書類にHさんから押印をもらったこともなく,全てAさんとだけで契約を行っており,AさんがHさんの代理人であるかどうかの確認をしたこともなければ委任状をもらったこともないと,違法な手続を行っていた事実を明確に証言しました。

【中信職員Tさん】

・契約内容白紙の債権書類に署名押印を徴求した後,その契約内容白紙で署名押印を徴求した状態のままで中信本部に決裁回付し,稟議決裁を受けて全てが揃った時点で,契約内容を改ざんして全く別の契約内容の書面にねつ造した事実を認めました。

 

 O1・Tさんは,おふたりとも,「知らない」とか「記憶にない」などと弁明して証言を拒否することも可能でした。にもかかわらず,自らが責任追及を受ける可能性があることをいとわず,自分たちが行った違法行為のことを認める証言を行われました。

 

 それだけではありません。その証人尋問が終わったあとのことです。

 

 中信の代理人らはもとより,私たちの代理人,裁判所書記官,傍聴人の方々が多数在廷する中で,O1とTさんは,中信の代理人の制止を振り切って,Hさんのいるほうに歩み寄ってこられました。そして,Hさんに対して,違法な手続によって損害を与えてしまったことについて謝罪し,許しを請われたのです。そして,中信代理人のK弁護士が,お二人の服を持って引き離そうとしたのですが,お二人ともHさんに対して謝罪を繰り返し,握ったHさんの手を放そうとしませんでした。まるで映画やテレビドラマのエンディングのようなシーンでした。

 

 他の中信行員のことについても,見てみましょう。

 

【中信職員O2さん】

・O2さんは,「7桁」の郵便番号が印字されていたM社代表者の肩書のあるHさんの名刺を根拠に,「平成4年」当時,Hさんと面談したと証言しました。みなさんもご存じのように,郵便番号が7桁になったのは「平成10年」のことです。これは明らかに偽証です。その上で,M社の取締役会議事録に手を加え,M社の取締役ではない者が取締役として記載したりなどの違法行為を犯していたということを自白しました。

【中信職員Mさん】

・Mさんは,証拠上平成7年1月以降でなければ作成し得ないことが明らかな資料を,平成6年7月の偽装融資以前にHさんから受け取ったなどと,嘘の証言をしました。また,中信が平成7年4月5日付「通達」で面前自署や意思確認を厳格化した後も,面前自署や電話での意思確認を行った事実がないにもかかわらず,面前自署確認欄・保証人意思確認票に契約者・預金者本人から面前自署を徴求したり電話での意思確認を行ったということを記入していたことも認めました。また,裁判では中信は「平成4年まではM社の決算報告書を徴求していなかった」という主張をしていたのですが,中信職員Mさんは,M社名義の融資を実行するに先立ち,M社の決算報告書を徴求していたはずであると述べて,中信の主張とは異なる証言をしました。

【中信職員O3さん】

・O3さんも,いつ,どの契約であったのかは一切特定しないまま,数回,Hさんと面談したという嘘の証言をしました。また,中信職員Mさんと同様,面前自署確認欄ねつ造の事実も認めました。そして,本来であれば親権者と利益相反関係にある小学生の子供らについて特別代理人選任の手続を経なければならないのですが,融資期間が短期間であるという理由で,その手続を行っていなかったという事実も認めました。さらに,口座開設資料は個別印鑑票が差し入れられても廃棄することはないとか,M社への融資に先立ってM社の決算報告書を徴求していたはずであるとか,着任及び転任の際にM社まで挨拶に行ったことはないとか,AさんがM社の資金繰りを任されているとの話を聞いたことはないなどと言って,中信側が主張する「谷本一族一体化論」を否定する証言も行いました。

 

 このように,Aさん及び中信職員らは,違法不正を繰り返してきた事実を自白しているのです。

 

 そうである以上,今回の中信という組織に対する訴訟において,預金は有効に払い戻されたという判決が,もし万が一,最高裁でも確定されることになってしまった場合,結果として,こうした違法行為や不正を行ってきた者個人によって,私たちに被害者に損害が発生したということになります。そうすると,これらの者は自らの違法行為や不正を自白しているのですから,彼ら個人が被害者の損害を賠償すべき責任を負うということになります。

 

 しかし,彼らに責任が認められるからといって,仮に次なる訴訟を起こして勝訴したとしても,その結果は,決して真実でもありませんし,正義でもありません。中信行員の中には,Oさんのように,長年,罪の意識に苛まれて,ようやく法定での証言で真実を述べた者もいます。Oさんは,その法定での証言の後,法廷で,中信側の代理人弁護士らの制止を振り切ってまで,Hさんに歩み寄り,自らと中信が行ってきた違法行為を謝罪までしてきたのです。このことは,裁判所書記官や多くの傍聴人も,ドラマのひとつのシーンとして映ったことでしょう。このように罪の意識に苛まれてようやく改心し,ついに自白した証言者に対しても,全ての罪を負わせるというのであれば,裁判という制度は正義に反すると言わざるを得ません。

 

 この点について,被害者であるHさんは,マスコミから受けたインタビューに対して,以下のように答えていることが報道されています。

 

「自ら違法不正を行っていた事実を自白した者らが,また,その自白した法廷で謝罪した者らが,賠償責任を負い,実際には,その違法不正によって莫大な利益を手中に収めている中信金融機関や中信理事である布垣豊らが責任を免れるなど,明らかに不正義である」。

 

「しかし,これ程の大量の筆跡偽造で作成された債権書類群や中信職員の「契約者(保証人・担保提供者)らと,一度として面談したことがない」との自白証言,資金の流れの虚偽が文書提出命令発令によって弾劾され,面前自署確認欄や保証人意思確認票のねつ造を認め,中信の立証放棄,最高裁の確定判決を無視してまで,主導,利得した中信やその理事らが判決で免罪されるならば,その結果も不正義と言える。」

 

 その上で,Hさんは,

 

「では,一つ目の不正義を敢えて行うことが,真の不正義を弾劾する可能性があるなら,敢えて,その一番目の不正義を行うことが真の正義かもしれない。結果,それは新たな訴訟の始まりかもしれません。」

 

と答えています。

 

 要するに,Aさんや中信職員らが被告として訴訟提起された場合,新たな自白証言や偽証などによって,しかも,今よりも更に新たな真実が明らかになる可能性もあり,仮に,Hさんたちが敗訴した場合でも,再審手続によって,判決の見直しがなされる可能性もあると述べています。

 

 もう一度,最初に触れたHさんのコメントを振り返ってみましょう。以下の言葉でインタビューが締めくくられています。

 

確かに違法な手続を行った者らの罪が,自白や謝罪で許されるものではない。しかし,真の悪は多額な利益を得たものである。それが仮に判決で許されたなら,この悪は,真の正義の判断が下されるまで,いつまでも続くでしょう。何らの利益も得られないAさんや中信職員らが,「トカゲの尻尾切り」の如くに責任を押し付けられるなど,社会通念に照らしても不合理極まりなく,全くの正義ではない。

 

 

 何度も繰り返しますが,この一連の訴訟で明らかになったのは,中信の「組織として」の違法です。たしかに,実際に違法行為を行ったのは,Aさんや中信行員らという個人ではあります。しかし,これらの一連の違法行為は,決して,彼ら個人が一人一人の手で行えるものではありません。中信が組織ぐるみになってはじめて,ようやく行えることなのです。

 したがって,本来,違法不正を繰り返し,多額の財産を収奪して利益を貪ってきた中信という組織とその理事らが責任を負うべきであり,それが真の正義であると考えていますが,読者のみなさんはどう思われるでしょうか?