前回の記事では,「合意がないのに合意の効果が発生すると認めたこと」のおかしさについて説明しました。
今回の記事は,「当事者双方ともに主張していないことを認定したこと」についてです。
当事者のいずれもが主張していない事実を判決の基礎としてはならない,というルールが民事訴訟法にあります。
「弁論主義」と呼ばれるルールです。
つまり,当事者双方ともに主張していない事実であるにもかかわらず,裁判所がそういう事実があったということを前提に判断してはいけないのです。つまり,裁判所は,当事者が言ってもいないことを作話して判決の根拠とするのは,弁論主義というルールに反するのです。
こんなことを許してしまうと,不利な判決を受けた方の当事者にとって,反論をする機会を奪われてしまうことになるので,手続保障や手続的正義という民事訴訟という手続法において最も大切にしている価値観をないがしろにしてしまうからです。
にもかかわらず,大阪高裁13民判決は,双方の当事者がいずれも主張していない事実を前提に判決を下したのです。
具体的に見てみましょう。
本件では,「信用金庫取引約定書」と「金銭消費貸借証書」の作成経緯が問題になりました。
この点について,中信側は,「当時の担当者I他担当者は退職していて所在不明であり」,これらの書面の「作成が具体的に何時何処でなされたか不明である。」と主張していました。
また,原告側も「融資の合意があったからこそ,Hは,Aを通じて,回覧板方式で,内容白紙の金銭消費貸借証書などに署名押印したのである」と主張していまた。
つまり,中信側も,原告側も,担当者の説明があったことや,その説明を了解していたということなどは,いずれも主張していなかったのです。
にも,かかわらず,大阪高裁13民判決は,このような判断をしました。
つまり,「控訴人A及び控訴人Mが,…本件貸付け実行当日には,確定した本件貸付けの金利及び元利均等返済方式による分割弁済額等の説明を受け,その内容を了解の上,本件貸付けの実行を受けたと認めるのが合理的であって」という判断をしたのです。
繰り返しますが,中信側も,原告側も,担当者の説明があったことや,その説明を了解していたということなどは,いずれも主張していません。
にもかかわらず,大阪高裁13民判決は,担当者の説明があったこと,その説明を了解していたことを認定したのです。
こんな判断が許されるなら,裁判官は「弁論の全趣旨」に名を借りて,当事者が主張してもいない事実を作話して,それに基づき一方当事者に偏った差別的な判決が許されることになってしまいます。
実際,私たちは,このような差別的な判決を受けてしまいました。
もし,大阪高裁13民判決のようなやり方が許されるなら,今後は,裁判官の裁量の権限がさらに大きくなってしまうことになります。いわば,独断と偏見で,弁論主義という民事訴訟のルールに違反した判決が生み出されることになってしまいます。
こんなことでは,金融機関という巨大権力が行った不正について,一般国民が提訴すると,逆に,裁判官の作話によって責任を負わされることになってしまいます。
そんな状況では,誰も裁判所に権利救済を求める者はいなくなってしまいます。不正は,暴かれないまま闇に葬り去られてしまいます。
こんなことが許されていいのでしょうか?