今日6月23日は「慰霊の日」。県内の学校はお休みです。
今から64年前の4月1日に米軍は本島に上陸しました。そして、第32軍の司令部が陥落したあとも軍部は住民を巻き込みながら南部に撤退をし、6月22日未明に牛島中将と長参謀長が自害するまで組織的抵抗を続けました。本土の捨て石として、ただ時間稼ぎのために行われた地上戦です。
摩文仁の平和祈念公園では戦没者追悼式が麻生首相、仲井真知事らが参加し行われました。20万人を超える人々が亡くなった沖縄戦。二度と戦争は繰り返さないということを、心新たに誓いました。
ところで、6月22日に組織的戦闘が終了したのに、慰霊の日はなぜ6月23日なのでしょうか?
それは、1960年に日米安保条約の改定があり、批准書が交換されて新条約の効力が発生した日が6月23日なのです。この時60年安保闘争が日本全国で展開されました。この批准の日に反対するプロバガンダとして、この日を慰霊の日としてしまったのです。
まあいずれにしても、自害する司令官の最後の命令が「…爾後各部隊は各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」であったため戦闘は引き続き行われ、9月7日に嘉手納で行われた沖縄守備軍の降伏調印まで続くことになりました。
慰霊の日の日取りまで、政治的な理由で決められてきたことに、不条理さを感じます。
今から64年前の4月1日に米軍は本島に上陸しました。そして、第32軍の司令部が陥落したあとも軍部は住民を巻き込みながら南部に撤退をし、6月22日未明に牛島中将と長参謀長が自害するまで組織的抵抗を続けました。本土の捨て石として、ただ時間稼ぎのために行われた地上戦です。
摩文仁の平和祈念公園では戦没者追悼式が麻生首相、仲井真知事らが参加し行われました。20万人を超える人々が亡くなった沖縄戦。二度と戦争は繰り返さないということを、心新たに誓いました。
ところで、6月22日に組織的戦闘が終了したのに、慰霊の日はなぜ6月23日なのでしょうか?
それは、1960年に日米安保条約の改定があり、批准書が交換されて新条約の効力が発生した日が6月23日なのです。この時60年安保闘争が日本全国で展開されました。この批准の日に反対するプロバガンダとして、この日を慰霊の日としてしまったのです。
まあいずれにしても、自害する司令官の最後の命令が「…爾後各部隊は各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」であったため戦闘は引き続き行われ、9月7日に嘉手納で行われた沖縄守備軍の降伏調印まで続くことになりました。
慰霊の日の日取りまで、政治的な理由で決められてきたことに、不条理さを感じます。
今も尚、戦争敗北者の日本の自由はいつ来るのでしょうε-(´Å`*)
県議会の答弁の時と同じだった・・・ 残念。