伊江村字東江上75の伊江村公民館(かつての村役場)の敷地内に被弾した建物が保存されています。昭和4年12月に村役場が経営する庶民の金融機関として設立された公益質屋跡で、島内に残る唯一の戦前の建築物です。質物の管理・保存のため強固なコンクリート製の建物となっていました。
1945年4月16日に伊江島に上陸した米軍は日本軍との激しい戦いを繰り広げましたが、島南部の上陸地点から侵攻する方向にこの公設質屋があったために、多くの砲弾が打ち込まれました。
おびただしい弾痕が壁一面に残されています。
上陸してくる米軍と、激しい市街戦が行われました。
内部も開放されており、見学が可能です。外見もさることながら、室内に足を踏み入れると、そのすさまじさに思わず身がすくみます。
どのように永久に保存するかですね。
屋根が崩落しないように、内部に鉄骨で補強してあります。
永久保存しなければならない建物ですね。
真黒に焼けただれてる感じですな~
広島長崎だけでなく全国のこのような場所をTVで放送してもらいたいですね
当時の市街戦の様子は
想像を絶するものだったのですね。
確かに原爆ドームに比べればマイナーですな。
保存には費用もかかるでしょうが、行政がきちんとやってもらいたいですねえ。
アルファさん、
一面焼け野原になったようです。
当時は鉄筋コンクリートの建物は少なかったのでしょうね。
この建物が唯一残りました。
稗島さん、
いやぁー、確かにこの建物は戦跡の中でもすさまじいものですね。
中に入ると身がすくみます。
戦場となった当時の島民は本当に怖かったでしょうねえ。
どれだけの激しい戦闘だったかと 怖いです。