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響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

久しぶりに読むイソップ寓話集

2010-06-25 | コレクション
イソップ寓話集 (岩波文庫)
イソップ
岩波書店

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イソップのお話を最初に編纂して、後世の人々が読めるようにしたのは、パレロンのデメトリオスという人物であります。この人はアリストテレスの門下「逍遙学派」の知識人。紀元前の話です。

でもってこのデメトリオスさんが、古代エジプトのファラオに、世界中の本を集めた図書館を建設するよう、進言したことから、古代最大の図書館、アレキサンドリア図書館が生まれたと言われています。ちなみに現在のエジプトにも、新アレキサンドリア図書館がある、という次第であります。

このあたりは、以下に書いたのでよかったら読んでみてください。
からくりインターネット アレクサンドリア図書館から次世代ウェブ技術まで [丸善ライブラリー]
相澤 彰子,内山 清子,池谷 瑠絵
丸善

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というこのイソップ寓話でありますが、今はとても気軽にインターネットで読むことができます。インターネットで読めばタダだし、ちなみに英訳版は新品でも500円未満。

Aesop\'s Fables (Signet Classics)

Signet Classics

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まさにネットとハサミは使いよう、という感じですが、イソップのほうも、なかなか不思議な知恵のつまったお話ぞろいでございます。

しがみつかない踊り方。

2010-06-24 | コレクション
クラシックイタチ(私のことです)は、ほぼ1ヵ月ぶりに、クラシックバレエに復帰。復帰なんて大げさに言っても、まあ近所の体育館に集まって、ってなレッスンなのですが。

クラシックバレエでは、「バー・レッスン」といって、鏡の前にある棒を使って行う練習と、「センター・レッスン」と呼ばれているフロアで踊るものとが、レッスンの中に編み込まれている。初心者の多い私たちのレッスンでは、このバーレッスンがほとんどで、踊るというよりもまあ、柔軟体操をしに行っているようなもの、といってもさしつかえない。

そのバーに、ひさしぶりだとつい、気づくとしがみついているからおそろしい。しがみつかない、が肝心ですよ、みなさま。

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
香山 リカ
幻冬舎

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しがみつかない死に方 孤独死時代を豊かに生きるヒント (角川oneテーマ21)
香山 リカ
角川書店(角川グループパブリッシング)

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食べ過ぎについちゃ、アメリカが上、という話。

2010-06-14 | コレクション
そういえば、入院中に、こんなことがあった、という話。

その前の入院のときは初めて──部屋がないという理由で──個室というのに入ってみたが、あれはほんとにすごいプライベートが確保できて、なんというか、人類として進化してしまいそうな時間が流れた。しかし翌日あっけなくベッドが空いて、さっさとベッドごと移動されてしまい、進化の機会は永遠に失われてしまったのだが。

というわけで、今回はやはりグループ部屋で、これで隣合った人同士、それとなく会話がはずんだり、ま、場合によってはごく少ない挨拶にとどまったり、いろいろするわけだが、そんな中で、孫が生まれたというので、その写真をみせてくれる方があった。

またその人が樋口可南子さんのように美しい人で、一方、孫はカリフォルニアで生まれたのだという。

で、私が反応したのは、そこではなくて、ぜんぜんそこではなくて、その生まれた赤ちゃんのおかあさんとおとうさんが食べていた病院食、のこと。

なんでおとうさんまで病院食なのかというと、妊婦のためのふつうの家みたいな病室があって、そこに家族ごと滞在して子供を産むのだそうだ。

でもって問題の病院食は、チキンかビーフかが選べて、おかあさんはチキン、おとうさんはビーフだった。

のだが、これが、いかに病気での入院ではなく、妊婦とはいえ、日本ではあり得ない肉の量とボリュームなのだ。あー、まったく、病院であんなに肉を食べるなんて絶対ありえない。私の脳裏にとっさに浮かんだことばも「わらじ」だったほどだ。

しかしね、冷静に考えると、そんなに食べる必要はありませんね、きっと。しかし、それでも病院食というのは集団食であるのだから、アメリカ人のふだんの食事というのはいったいどうなっているのだろうか、と恐れおののく気もするのであります。

シェフどの、食べ過ぎにはほんとご用心、でございますよ。

コックと泥棒、その妻と愛人 (ユニバーサル・セレクション2008年第9弾) 【初回生産限定】 [DVD]

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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不動産情報こそ、1点モノだなあ。

2010-06-12 | コレクション
フローリングの家をみつけて、そこへ引っ越したら、せきなんかも収まるのではないか、入院も減らせるのではないか、というわけで、いろいろ物件を物色中。

しかし不動産情報はカカクコムのようにはなかなかいかない。もう何年も前にそうなればいいと思ったけれども、結局いまだにできない。その理由はやっぱり、それぞれが一点物だからじゃないだろうか。規格がないものを、比べることは難しい。

そこで今日はネットを離れて、リアルの不動産やさんへ出かけてみたが、そのトークが、まったくもって「アンチ規格」なことを語り続けるのであった。アンチ規格とは、「事情」である。

そうなると、ユーザ、つまり家を借りようと探す人にとってありがたい潮流というものがあるとすれば、たぶん住宅というものがもっと規格化されて、同じような仕様の、基準の、家が量産されることかもしれない。それがきっとかつては公団ということだったのかもしれないけれども、現在の公団のようなものではなくて、もっとユニット化されていて、それを組み合わせる発想のもの。材質や工法などにもグレードがあって、クオリティがわかるようなしくみとか。

いつから家がユニークであることが、なにやら粋なことになったのだろうか。

私たちは食べ過ぎじゃないのか?

2010-06-10 | コレクション
入院してから太った、という話はあまり聞かない。
もちろん病気だから入院しているのであって、そのせいでやせ衰えていく、というのはつい納得のいく話ではある。

また、もちろん入院患者の中には、太っていて一向にやせる気配のない人もいって、ただしそういう人はほとんどの場合、なにかしら持ち込んだ品物をせっせと食べていることが多いのも事実である。

私の場合も、たいした病気ではないせいか(今回は肺炎)、あるいは、日頃が異常に食べ過ぎなのかもしれないけれども、入院していれば、たいがいやせる。ほとんど毎日何もしないに近い、何も動かないに近い生活をしていて、である。

じゃあ、この病院食というのは、「食べ足りない」のかといえば、たぶん栄養価などの基準にのっとって、足りたる食事であるのに違いない。

病院食というのは、まずいの代名詞というぐらいに、簡素で脂っ気のないのが身上である。その病院食を、看護婦さんがひとりひとり回って、食事は食べられましたか? と毎回聞いてチェックする。すると、これがまたほとんどの人が「完食!」と答えている。私もだ。だってね、食事というのは、それがいかにそっけなくても、入院患者にとってはたいへんな楽しみなのであります。

あれだけ動かずにいて、それでも私たちは、病院食をまだなんとなくもの足りないと感じ、もっと何か食べたいと思う、それはつまり、ふだんはもっと食べているし、もっと何でも好きな物を追加できるのだと思う。

そう思うと、私たちはふだん食べ過ぎであり、もう少し体重が少なくても一向に構わないのかもしれない、と思えてくる。

それと、がまんの本質は、食べることをがまんする、というところにあったんだなあ、とも思えてくる。

思い出したように、古い本。

2010-06-08 | コレクション
デザインすること、考えること
五十嵐 威暢
朝日出版社

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アマゾンでも新しい本の取り扱いはないが、中古ならばあるようだ。
先日思い出して、読み直してみた。

これは建築の本などのによくあるつくりで、文字が少ない。
それで、2500円というのだから、昔はずいぶん本に投資したものだと思う。

人類を代表して、親知らず2本抜歯。

2010-06-04 | コレクション
コドモの時にテレビでネアンデルタール人だったか、北京原人だったか、クロマニョン人だったか忘れたが、何かの骨が出てきて、これは現生人類に比して大きいとか小さいとか、たしかそんな番組だったと思う。

「考古学好き」の母が、感心してみておいて
「でもこういうのいつも思うんだけど、あの発掘された人が、現代人でいえばジャイアント馬場みたいな人かもしれないじゃない? もしそうだったらどうするの?」

これがもしヒビキだったら
「確かにィ~」で終わりそうだけれども、その頃の私とか妹とかは、唖然として二の句が継げなかった。ママさ、そういうこと言われても、そりゃ誰もそうでないとはいえないし、だからといってそうだと考えて研究してもしょうがないでしょう。

しかし人は不覚にも人類を代表したりしてしまうものである。

先日のビッキーズの練習のときに、ベースの岩ちゃんがきてくれて、相変わらず、左右対称にしっかり張った骨格にたっぷりした筋肉をつけて、めちゃめちゃベースが軽そうである。この人は骨格標本だなあ~と思っていたら、親知らずを2本抜くという。2本って……

「右の下の奥と、左の下の奥」

なんと、親知らずまで左右対称か。人類を代表するには、やはりこのくらい明白な特徴を備えていてくれると、のちのちのみなさんにも、はては宇宙のみなさんにも、人類の特徴が捉えやすくなるだろう。

病院のとなりは児童館なり。なう。

2010-06-03 | コレクション
そうなのだ、このまえからずっと気になっていた「なう」だが、
やっとすっきりしたぞ。
……この音が「なり」に通じてしまうのである。

以前お笑い詩吟の人の「あると思います」というのが流行ったが、
あれも「ありだと思います」が元のかたちだろう。

いやいや、「なう」の元のかたちは「NOW」であります。
もちろん。

だけれども、「なう」とくれば「縄」というセンもあるし、
「男もすなる日記といふもの……」の「すなる」というセンもあるし、
元のかたちと想定できるものはいくつかある。

しかしこのあたらしい「なう」を埋め込むのには
「なり」の代わりに、というのがインプリメントしやすい。
音だけでなく、そもそも文章としては「NOW」を付けることでさほど意味に変化がない。事情から付けているだけである。
そういう「助詞」的なものだとわかれば使いやすいといういうわけだ。

以上はまだまだ仮説。しばらく検証してみよう。っと。

いま病院だが、辞任のニュースが飛び交い続けている。

2010-06-02 | コレクション
久しぶりに見るような「インパクト」のニュースだ。
ものすごいくいつきがある。
入院患者を目覚めさせている。

それで?とおもうけれども、この段階ではもうまず
「知っているか?」ということに主眼が置かれている。
知って驚いたから、驚いていたい。
聞いた、見た、知ったのステージ、のようであります。

しかしこの驚きはどこへ行くのか、きっとどこかで
何らかの納得をしないと収まらないだろう……と耳を澄ましていると、
次にきこえてくるのは「内部対立」のようであった。

内部対立なう、であります。

どうせこういう情報はマスコミからしかながれてこないので、マスコミから人へと流れてくるしかない。けれども、人が知りたいからマスコミが発しているという点を重視して逆のながれにして見るようにすると風景が違って見えて、よい訓練になります。

参考書↓
世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー (よりみちパン!セ)
森 達也
理論社

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