フローリングの家をみつけて、そこへ引っ越したら、せきなんかも収まるのではないか、入院も減らせるのではないか、というわけで、いろいろ物件を物色中。
しかし不動産情報はカカクコムのようにはなかなかいかない。もう何年も前にそうなればいいと思ったけれども、結局いまだにできない。その理由はやっぱり、それぞれが一点物だからじゃないだろうか。規格がないものを、比べることは難しい。
そこで今日はネットを離れて、リアルの不動産やさんへ出かけてみたが、そのトークが、まったくもって「アンチ規格」なことを語り続けるのであった。アンチ規格とは、「事情」である。
そうなると、ユーザ、つまり家を借りようと探す人にとってありがたい潮流というものがあるとすれば、たぶん住宅というものがもっと規格化されて、同じような仕様の、基準の、家が量産されることかもしれない。それがきっとかつては公団ということだったのかもしれないけれども、現在の公団のようなものではなくて、もっとユニット化されていて、それを組み合わせる発想のもの。材質や工法などにもグレードがあって、クオリティがわかるようなしくみとか。
いつから家がユニークであることが、なにやら粋なことになったのだろうか。
しかし不動産情報はカカクコムのようにはなかなかいかない。もう何年も前にそうなればいいと思ったけれども、結局いまだにできない。その理由はやっぱり、それぞれが一点物だからじゃないだろうか。規格がないものを、比べることは難しい。
そこで今日はネットを離れて、リアルの不動産やさんへ出かけてみたが、そのトークが、まったくもって「アンチ規格」なことを語り続けるのであった。アンチ規格とは、「事情」である。
そうなると、ユーザ、つまり家を借りようと探す人にとってありがたい潮流というものがあるとすれば、たぶん住宅というものがもっと規格化されて、同じような仕様の、基準の、家が量産されることかもしれない。それがきっとかつては公団ということだったのかもしれないけれども、現在の公団のようなものではなくて、もっとユニット化されていて、それを組み合わせる発想のもの。材質や工法などにもグレードがあって、クオリティがわかるようなしくみとか。
いつから家がユニークであることが、なにやら粋なことになったのだろうか。
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