平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」

2008年02月12日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

「唐王朝」というのは変わった王朝です。
「大唐」と呼ばれ、中国の歴史上、「牡丹の花」にも例えられるほどの繁栄を誇ったほどでありながら、創業者よりも二代目の方が有名な王朝なのです。
普通、二代目というのは、どうしても、創業者・徳川家康に置ける二代将軍秀忠のように、あくの強い創業者の陰に隠れてしまいがちなのですが、この唐王朝に限っては、その限りではありません。
二代目である太宗皇帝・李世民は、兄を殺し、初代皇帝である父を軟禁して、帝位についたほどにあくの強い人物であり、この点は、父にして鎌倉幕府初代執権、北条時政を追放し権力を掌握した二代目・北条義時を想起するでしょうか。

ただ、その李世民の治世は、「貞観の治」と呼ばれ、徳川家康も参考にしたほどに治世の理想とされています。
で、それほどの治世を補佐した重臣に魏徴という人物がいるのですが、この人は、元々、世民が殺した兄皇太子の側近だった人物であり、当時、皇太子に対し、たびたび、「早く李世民を殺すように」と進言していたとのことで、皇太子死去後、A級戦犯として断罪される立場となったものの、その能力を見込まれ、逆に、太宗皇帝の重臣として重用され、癇癪を起こした太宗を諫めたこと数多であったと言われています。
で、本日の表題は、その魏徴が詠んだ歌の一部です。

「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」

この話で思い出すのが、春秋時代の中国の故事です。
王を囲んでの宴の席で、余興として、灯りを消して飲もう・・・ということになったとき、暗闇に紛れて、誰かが王の寵姫の唇を盗んだ・・・と。
このとき、寵姫は機転を利かせて、その者のを付け、すぐに、王の側に駆け寄り、王に灯りを付けてくれるように注進したところ、事情を聞いた王は、「いや、皆、今宵は無礼講と言ったはず。これが、つまらぬ事を言ったようだが、皆、今宵は冠を外して飲むことにしよう」と言い、宴席は灯りを付けないまま、お開きとなった・・・と。
後年、王は大国・との戦いに大敗し、命からがら敗走を重ねる身となったところ、このとき、一人の戦士が現れ、全身に針鼠の如く、を受けながらも、王を安全なところまで逃がし、「なぜ、おまえはここまで・・・」と聞く王に対し、その戦士は、「実はあのとき、寵姫にいたずらをしたのは私でした。王の配慮のおかげで、満座の前でさらし者にならなくて済みました。私はいつか、この恩義に報いねばならないと思っていました」と言い残し、ついに息絶えたと・・・。

何かの浪曲でもありましたよね。
親分が祝儀の席に行かないものだから、やむなく、子分が代理として出席したものの、そうそうたる親分衆が集まる中で、肩身が狭い思いをし、さらに、続々と高額の祝儀金が発表されていくと、自腹なけなしの金1両を包んだのみだったその子分は、何ともいたたまれない気持ちに・・・。
ところが、自分の番で、読み上げれたのは「OO親分!金100両!」のコール・・・。
満座のどよめきに面目を施したこの子分は、同時に、心中、「いつか、この人の為に働かなきゃなるまい」と思う・・・と。

人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん・・・
(「人生なんてのは意気に感じるもの。功績や手柄などというのは誰か人が語ってくれ」:平太意訳)・・・と。
最近、こういうのを聞くと涙もろくなりました・・・。

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ふと気づけば夜も明るい日本と自ら光を発する星

2008年02月09日 | 社会全般
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昨今、保険会社JAFなどが、無料健康相談サービスなどを始めましたが、JAFはともかく保険会社なんかは、当然、病気にならない方がいいわけですから、支払ケチるよりも、こういうのをもっと充実させるべきで、その意味では、大変いい試みだとは思います。
ところが、私も過去に何度かこういうのを利用したことがあるのですが、何を言っても、結局は、「心配でしたら病院に行かれて下さい」決まり文句・・・。
「だったら、最初から、おまえがいる意味無いじゃないか!」って・・・(笑)。
何をやってるんだか・・・。

さておき、子供の頃、確か、私が少年マンガで読んだと思うのですが、「夜中にトイレに行ったとき、電気を付けると眩しすぎるが、終わって帰るときは、今度は目が明るいところに慣れてしまい真っ暗で見えない。こんなとき、どうすればいいか・・・?」という記事が書いてありました。
で、記事曰く、そういうときは、「起きたときから、片方をつぶったまま用を足し、終わって帰る時は、今度は、もう片方の目を開け、逆に開けていた方を瞑って帰るといい」と。
爾来、私はそれを励行してきたのですが(笑)、最近、思うことがあります。
片目を瞑らなくても、それほど暗くないのです。
思えば、私が子供の頃は、夜はもっと、真っ暗でしたよ。
電気を付けなければ、歩けないほどに・・・。

でも、ふと気づけば、ビデオDVDなどのタイマーの灯り、トイレのウォシュレットのランプの灯り、電子ジャーの灯り、電気ポットの灯り・・・、家中、小さな灯りだらけなんですよ。
さらに、屋外には街灯があり(もちろん、私が子供の頃から街灯くらいありましたが、おそらく、明るさがまるで違うんでしょうね。)、今はそれに加え、マンション共用灯の灯り、さらには、昔と違い、生活時間帯種々多様で、夜中でも灯りがこぼれる家庭も珍しくもなく・・・。

気づかないうちに、夜は随分と明るくなっていたんですね・・・。
どうやら、もう、片目を瞑る必要はないみたいです・・・。

で、夜の灯りで思い出しましたが、以前、私が夕方の便で羽田を発つときに、すっかり暗くなっていたモノですから、窓から下を見ると夜景がきれいに拡がっていました。
で、ふと、この地球を、遠くの星にいる宇宙人たちが見て、「この星は恒星の光が当たっていないところでは逆に光を発している。これは何か生物がいるのか?それともこの星自らが光っているのか?」と、ケンケンガクガクの論争を呼んでいるかも・・・と思いました。
思わず、「自ら光を発する星、地球か・・・」と苦笑いしてました(笑)。
案外、宇宙ってこんなものかもしれませんね。

あれ、この話、しましたっけ?
当ブログも、丸三年近くとなり、本当に、最近、わからなくなってきました・・・。
頭も、結構、呆けてきてますので、どうぞ、遠慮無く、ご指摘下さい(笑)。

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スナック・ドーベル閉店に想うは池永氏のジャンボ尾崎評

2008年02月08日 | スポーツ
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西鉄ライオンズ投手の池永正明氏のスナック「ドーベル」が昨年末の12月29日に閉店したと耳にしました。
閉店する・・・とは聞いていましたので、一度、足を運ぼうかな・・・とも思っていたのですが、ずーっと行ってなかったので、何か今更・・・って感じもあり、結局、行きませんでしたね。

ちなみに、池永正明という人物は、以前からたびたび、平太郎独白録 : CM契約にみる毀誉褒貶、その2 伝説の名投手 池永正明。、及び、平太郎独白録 : CM契約に見る毀誉褒貶その3 伝説の名投手 池永正明などでも述べておりますとおり、昨年亡くなった稲尾和久氏とは違う意味での西鉄ライオンズの伝説的名投手です。
特に、福岡市昭和40年代少年時代を送った子供たちにとって、この人の名前は、少々、複雑回想と同時に思い出される名前であり、この人が中洲で店をやっているということは耳にしていましたので、機会が有れば、是非、伺いたいと思っておりました。
で、今から20年くらい前でしょうか、バブル真っ盛りの頃に、縁在って、池永氏がやっていた店に行き、以来、何度か足を運んだことがありました。

で、当時、同氏に、聞いたことがあります。
「(投手として、西鉄ライオンズ同期入団だった)ジャンボ尾崎(プロゴルファー・尾崎将司)は野球選手としてはどうだったんですか?打者としては、なかなかの素質を持っていたと聞きましたが?」と・・・。
すると、普段、余計なことは言わない池永氏が、カウンターの中から、「いやいや!投手としても素晴らしかったですよ」ときっぱりと一言・・・。

この点は、少し、意外でした。
尾崎氏は、元々、高校時代には徳島県立海南高校の投手として、昭和39年(1964年)春の選抜高校野球大会初出場初優勝を成し遂げたほどの投手で、(ちなみに、前年春の選抜高校野球優勝投手が、当時、下関商業の2年生投手だった池永氏。)、尾崎氏は、翌昭和40年に、池永氏と二人同時に西鉄ライオンズ入りしたものの(当時は、ドラフト制施行前)、入団後、ことごとく、池永氏と比べられたことで、同じ甲子園の優勝投手と言っても、そのあまりの才能の差に愕然とし、「こんな凄い投手がいたんじゃ、俺なんかが飯が食える訳が無い」と思い、打者に転向した・・・と聞いていたからです。

ただ、投手として・・・といえば、確かに思い当たるところもあります。
入団間もなくからゴルフに目覚めた尾崎氏は、昭和43年(1968年)に正式に西鉄を退団し、二年後の昭和45年プロテスト合格、正式にプロゴルファーとしてデビューするわけですが、西鉄球団在籍当時、大した成績も残していないにも関わらず、ゴルフ三昧の尾崎氏に、周囲の視線は冷たく、風当たりも相当強かったと聞いています。
その点では、やはり、その辺を気にもしない・・・、よく言えば、強靱な精神力、悪く言えば、傲岸不遜な性格があったればこそ・・・の今日の成功だったでしょうか。
この辺は、よく、ラウンド中にたばこを吸うなどと、マナーを批判されながらも、平然とどこ吹く風で成績を残し続けたことが想起されますが、この辺などは、確かに投手向きだったのでしょうか・・・。

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「絶版宣言」と、文字に見る表現者としての資質

2008年02月07日 | 文学芸術
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本日は、哀しいお知らせがあります。
数年前に、最初に出版した拙著、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」完売してしまったようで、このたび、目出度く、「絶版」ということに相成りました。
同書は、全部で二千冊刷られたのですが、丸4年を待たずして、完全に売り切れてしまったようです。
出版社に「増刷の予定はないのか?」と問い合わせたら、「書店からの注文状況により検討いたしますが、残念ながら、現状での増刷の予定はありません」とのことでした。
ほぼ、絶版になることは決定でしょう・・・。
実は、私も、手元には数冊しか持っておりませんので、「しまった!こんなことなら自分でも買っておけば良かった・・・」と今更ながらにほぞをかんでいるところです。
結構、自信作だっただけに残念なんですが・・・。
どこか、出してくれませんかねぇ・・・。



(↑ 何か、私の人生象徴しているような・・・。道は未だ遠い・・・。)

で、表現者という意味で、少し、思うことがありました。
まず、ワンドラフトという福岡出身の歌手をご存じでしょうか?
あいにく、私はそのグループ(?)のことは知らなかったのですが、その人の中学時代の恩師が、今は、うちの息子の学校の先生らしく、かねてより、色々と話を聞かせてもらっているようで、先日、その人から先生宛てに来た手紙を見せてもらったと言ってました。
「どうだった?」と聞くと、意外・・・と言っては、大変失礼かもしれませんが、大変に達筆だったとか。
私は見てませんから、達筆と言っても、どういう達筆だったのかはわかりませんが、この点で、思い出したことがあります。

以前、吉永小百合という人の12歳の時の作文というのを見たことがありますが、ここで、私が印象に残ったのは、内容よりも、その字体でした。
原稿用紙の升目一杯一杯に、線一本一本が力強く、 そして、きちっと刻み込まれていました。
それを見た瞬間、私は、「ああ、これがこの人の本来の気質であり、持って生まれた表現者としての資質なんだろうな」と思いました。
女優という職業は、自らの体を使って表現する職業であることを考えれば、美貌よりも、そこに必要とされるのは、むしろ、表現力では無かろうかと・・・。
吉永小百合という人は、昭和を代表する美人女優であると言い切っていいのでしょうが、あまりにも「美しすぎた」という点で、美貌とばかりが注目されてきたきらいがありますが、実際に、彼女をここまでにしたのは、むしろ、美貌の影に隠れ、見過ごされがちな表現者としての資質だったように思います。

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ブルーレイにみる消費者の嗜好と抵抗と性向と傾向

2008年02月06日 | 経済・マネジメント
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先般、日本の映画翻訳の第一人者、戸田奈津子さんがテレビに出ておられましたが、曰く、「日本語は流行り廃りが激しい」ということを言っておられました。
曰く、ちょっと前に流行していた言葉が、あっという間に、死語になってしまう・・・と。
その意味で、私が思う、今の日本で、「一番、死語になってしまった言葉」こそ、「ひもじい」ではないかと思っています。

この点で、以前、2003年に、友人に送ったメールの中で、私は、当時話題になっていた次世代DVDとしての、「ブルーレイ・ディスク」「HD DVD」規格分裂について、「ブルーレイの一人勝ちになる」と述べたことがあります。
どうしてそう思ったかというと、これは当時、両者の言い分を特集した番組があり、それを聞いていると、ブルーレイ陣営は、「ディスクの一枚当たりの容量が大きい」という利点を上げるのに対し、HD DVD陣営は、「既存のDVDとの互換性」ということを前面に押し出し、「ディスクに入りきらない大きな容量の物はハードディスクへ入れればいい」ということを言っていました。
私が、HD DVD陣営の苦戦を予想したのは、「既存の機械を捨て、新しい機械を導入するのに、消費者はそれほど、抵抗を持っていない」ということと、「二枚組ソフトの場合、入れ替えるのが面倒くさいという現代の消費者の性向」という点でした。

思えば、レコード・プレイヤーから、CDになるときに、互換性は一切ありませんでしたが、消費者は、「より、音質が良い物」、「より、使い勝手が良い物」を求めはしても、その為には、既存のレコード盤が使えなくなることにはあまり、抵抗はなかったように感じました。
まあ、この辺は、すべての人がそうだとは言いませんが、瞬く間に、レコードが市場から淘汰されてしまったことを考えれば、多かれ少なかれ、そういう傾向にあったといえるのではないでしょうか。
この辺は、日本人の新しい物好きの特性だったのかもしれませんが、やはり、時代が豊かになって、捨てる事への抵抗感が薄れていたともいえるのではないでしょうか。
(おそらく、昭和三十年代頃であれば、「これまでのレコード盤が使えない」・・・なんてことになると、消費者からの支持どころか、メーカーは焼き討ちさえあったかもしれませんよ。)

さらに、私自身が感じていたことですが、もし、買い換えによるソフトの廃棄に抵抗が少ないのであれば、ディスクは「より、大容量」の方が好ましいと思います。
二枚組、三枚組になっている物は、一々、入れ替えないといけないので、それが、面倒くさいんですよ。
「何だ、そのくらい!」と言われるのは、消費者というものの非勤勉性をご存じない方だと思います。
元々、私なども、子供の頃、リモコンが普及していなかった時代は、誰かに、「チャンネル変えて」などと言うことも少なくありませんでしたから・・・。
それを考えれば、消費者とは、本質的にそういう「なまぐさ」なものを追求していく生き物なのだろうと思います。

その点で、まだ、勝負が付いたわけではないにしても、HD DVD陣営は消費者の嗜好・・・というよりも、「ひもじい」という言葉を忘れた日本人の心証の変化・・・、つまり、「抵抗と性向」傾向を見誤ったのだと思います。

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経済知識の普及を怠ってきた日本の経済立国 その2

2008年02月05日 | 政治システム
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昨日の続きです。

であれば、かつて、ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人たちが、その地位を確立するために「富」を築くことを「民是」とし、そのために子弟には、交易に欠かせない色々な国の言語を学ぶことを義務づけたように、経済立国国是とする日本は、もっと国民全体に当然のように経済の知識を付けさせることに積極的になるべきではないでしょうか?
(同様に、独立当時、インドのネール首相は「インドは技術立国すべきである」という方針を掲げ、これを元に、弁護士や会計士などを育成するよりも、技術者の養成に力を入れてきた・・・と。そして、それが、今日のインドの躍進に繋がっているわけで、そう考えれば、改めて、国家指導者が掲げる方向性というものの大切さがわかってくると思います。)

ところが、証券、金融、市場、財政、経済・・・etc、少なくとも私は、これらのことについて、殆ど、学校で習った記憶はありません。
一部の、商学部経済学部に行かれた方は別として、おそらく、一般の国民は、私と似たり寄ったりのレベルではないでしょうか。
その証拠に、最近では、社会人になった後、自分には経済の知識が不足していることを痛感し、経済を学び直しに、大学や専門学校に入学する人が増えていると耳にしました。
(この辺が、どちらへ進むのか・・・という国家としての方向性不在と、国民のコンセンサス欠如ということに繋がってくるのだと思います。)

で、この点では、バブル崩壊後株価低迷局面以来、「日本人はもっと、投資に親しむべきだ。アメリカでは、子供でも投資している」・・・などという無責任なキャンペーンを展開してきましたよね。
その結果、普通の主婦などが外貨などに投資するようになりましたが、その人たちは、一体、どの程度、それらに必要な知識を持って、経済の仕組みを理解した上で、それを行っているのでしょうか・・・。
この点は、私には、大変、疑問に思えるところでした。
安易に、「ちょっと投資をしただけで幾ら儲けた」という人を、カリスマ主婦などと書き立て、それを煽ってきたのだとしたら、これは罪ですよ。

株式投資にしろ、外貨取引にしろ、「やる!」となった以上は、鮎川義介氏や田中角栄さんのように、やり方は各人各様としても、自分で、納得のいくまで勉強して、理解して、それで、初めて取り組むべきなのではないでしょうか。
その意味では、日本は、国民教育の中に、もっと積極的に、それら経済関係のカリキュラムを取り入れていくべきであり、必要であれば、義務教育の中ででも、もっと、早い段階から取り入れて良いと思うのです。
できれば、申し訳程度についている、社会科の中の「公民」の中の一部という位置づけではなく、国語、算数、理科、社会と並んで主要な科目の一つとして組み入れることも検討するべきではないでしょうか。

今の中学生などには、「職場体験」というものもあるようですが、これはこれで、大変、素晴らしい取り組みだと思うのですが、できれば、現場、実践を知る前に、「仕事をするとはどういうことなのか?」、「金を稼ぐとはどういう意味を持っているのか?」といったことをある程度理解させた上で取り入れたほうが効果的だと思います。

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経済知識の普及を怠ってきた日本の経済立国 その1

2008年02月04日 | 政治システム
親愛なるアッティクスへ

日産コンツェルンの創始者である鮎川義介という人は、絵画を嗜もうと思いたったときに、絵の先生などにつくことをせず、ひたすら、来る日も来る日もだけを引き続けたといいます。
その後、改めて、定規を使って、寸分違わない直線がひけるようになったことを確認して、初めて、キャンパスに向かったといいますが、確かに、私なども、いくら、頭の中に良いイメージが浮かんでも、それを指先に活かせないという点で、「俺は絵が下手だ」と漠然と思ってましたが、よく考えれば、それ以前に、「線が思い通りに引ける練習をしたのか」と・・・。
結局、指先に伝える練習をすることなく、ただやみくもに、画用紙に向かっていただけなんですよね。

また、田中角栄元首相は、当初、ゴルフはしなかったそうですが、周囲の勧めもあって、ようやく、ゴルフをやることを承諾したとか・・・。
ところが、一旦、「やる!」と宣言した後は、まず、大量にゴルフの指導書を買ってこさせて一心不乱に熟読し、それらをすべて読破し終えると、次に、庭に出て、これまた、一心不乱にひたすら素振りを繰り返したとか・・・。
秘書が、いくら、「親父さん、ゴルフというのはそういうものじゃないんですよ。そんなことばかりしてないで、ちゃんと、レッスンプロに習わないとだめですよ・・・」と言っても頑として耳を貸さなかった・・・と。
で、その状態で、いざ、本コースに出たところ、いきなり、初めてのラウンドで80台で廻ったといいます。

・・・私には、この人たちの考えは、決して、間違っているとは思えません。
無論、私は、絵やゴルフなどはお世辞にも決して得意ではありませんし、この人たちのやり方を実践していたわけでもありませんが、何かやるときには、結構、同じような取り組み方をしますよ。
で、これらのことを踏まえた上で、この点で、最近、思うことがあります。

今の日本を見ていると、戦後、現体制になってから、一体、どの方向を目指して進んできて、この先、どの方向を目指して進んでいくのか・・・ということが見えてこない気がします。
つまり、漠然と、そこに存在している・・・と。
この点は、以前から、平太郎独白録 : 目的はパリ、目標はフランス軍!や、平太郎独白録 : 信長が西向きゃ家康は東!などでも述べてきたとおりなのですが、国家としての「方向性」不在こそが、政治・外交に限らず、国民生活教育現場を始めとする今日の日本の様々な迷走の一因となっているように思います。
その上で、「では、日本の方向性とは何か?」と言えば、かつてのように、軍事立国という選択肢がないということを前提に考えれば、もはや経済立国しかないのではないでしょうか?
(その意味でいえば、まず、必要なのは国民のコンセンサスを形成することであり、一度、国民投票でもやって、そこをはっきりさせるべきだと思います。)

明日に続きます。

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教師も中途採用を奨励すべき論

2008年02月02日 | 教育
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今、NHK「フルスイング」というドラマをやってますよね。
プロ野球コーチ学校の教師になるという実話に基づいたドラマだそうですが、このドラマ自体は、また、後日、述べるとして、この点で思うことがあります。

以前、テレビの「100万円が欲しい」とか何とかいう番組で、ある教員が、「学校で、地理を教えているのに、自分がその地域に行ったことが無くて教えていることに矛盾を感じている。だから、100万円当てて、世界中ではないにしても、海外旅行に行きたい。」と言って出場されてきたことがありました。
番組のコメンテーターなどからは、失笑が漏れてましたが、私には彼が言っていることが、それほど、おかしなことだとは思えませんでした。

無論、すべての地理教員だけを公費世界一周旅行に行かせてやる・・・というのは、到底、現実的なことではないでしょう。
しかし、いくらマスメディアが発達しようとも、とにかく、現地に行ってみないとわからないことがあるのも、また事実です。
そういう意味では、やはり、教師の側も、行ったこともなくて教えているのであれば、教科書に書いてあること以上のことは教えられないでしょうし、生徒の突飛な質問にも答えられず、ひいては、授業にを拡げてあげることもできないでしょう。
で、私が言いたいのは、「教員も、もっと、中途採用増やすべきだ。」と言うことです・・・。

そう言うと、以前、校長民間から採用したものの、うまくいかずに、その方が自殺したという事件を持ち出されるかもしれませんが、それって、校長を採用するからだめなんですよ。
校長を民間から採用すると言うことは、一般教員(特に教頭)にとっては、自分たちのポスト一つ減るということでもあり、だとすれば、こんなのがもし、「評判!」ということなれば、「やはり、校長は民間から・・・」ということにも成りかねず、何より、これまでの校長が否定されることになるわけで、到底、歓迎される要素を見つけ出すことはできないでしょう。
だから、そうではなく、一般教員をもっと、積極的に民間から採用すべきだと思うのです。

私の友人にも学校の先生がいますが、「あれはあれで大変そうだな・・・。」とは思うのですが、彼に限らず、新卒から、そのまま教員になった方が圧倒的に多いようで、私の見るところ、教員以外の経験というモノが、余りにも不足しているように思えるのです。
「先生だけを専一にやってきたプロの先生でないと、学力低下心配だ!」というPTAの声もあると伺いましたが、小学校、中学校程度の勉強であれば、基本的に先生だけをやってきた人間でないと教えられてない・・・というレベルでもないでしょうし、何より、教えるのはうまくても、それ以外の人生経験がないと、生徒の相談にのってやることにも限界があるのではないでしょうか?

教員とは、宗教人同様、生徒をただ、良い学校に送り込むことだけが本来の姿ではないはずですから、わずかでも、教員というものに「聖職」という意識をもたれる方があれば、こういった葛藤に悩まされることも十分に考えられると思います。
そんなときに、「銀行員時代に、営業成績が上がらないと机の上に正座させられた。」、「マンションの販売で、成績が上がらなかったとき、夜中に消防署警察署などに飛び込みで営業に行った。」、「自分ばかりが悪いわけではないのに、顧客から、罵詈雑言の限りを浴びせられた。」などなどの経験がないと、生徒の痛みなどわかってやれないでしょう。
また、「商社マンとして世界中を渡り歩いてきた。」、「旅行代理店の添乗員として色々な国に行った。」から、果ては、「商談に行ったら、あと少しでギャングに殺されるところだった。」、「北極海の海に転落したときは、もうだめだと思った・・・。」などの経験がある人を雇えば、地理の先生も助かるし、生徒にとっても、貴重な記憶となるのではないでしょうか?

少なくとも、教員の殆どが教員経験しかないという現状は、もう少し、変えてもいいのではないかと思いますし、むしろ、教員を新卒で採用する枠を半分と、色々な経験をしてきた人を優先的に雇うべき枠を半分、設けてもいいのではないかと思うんですけどね・・・。

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レインボーマン的日本人考察

2008年02月01日 | 文学芸術
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年末に大掃除していたら、昔、友人に送ったメールをプリントアウトした物が出てきました。
どういう意図でプリントアウトしたのかはわかりませんが、少し面白かったので、以下に開陳してみたいと思います。

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昨日、昭和47年放送の特撮テレビ番組・レインボーマンを見てしまいました。
で、レインボーマンのあまりの「あほか!」という馬鹿さ加減にうんざりしたのですが、そのうち、ふと思ったことがあります。
この馬鹿さ加減はどこかで見たような・・・と。
で、気づきました。
レインボーマンの馬鹿さ加減は日本人そのものなんです(笑)。

で、以下考察。

1、警戒心ゼロ
 用心深さまるでなし。
 敵に攻撃を受け、辛うじて、危地を脱した後でも、普通に帰宅していて敵に発見される。
 家にそのまま帰ったら、家族が襲われるなんて考ない。
 未だ自分たちが拉致されるなんて、全く考ていない日本人・・・。

2、学習能力ゼロ
 毎回、戦っている最中にエネルギーが切れてピンチになる。
 ペース配分考るとか、逃げ場所確保してから戦うとか、何も対策を打たない。
 拉致が表面化しても、未だそれに備える対策有事法制無し。

3、計算力ゼロ
 すぐにカーッ!となって飛び出して毎回ピンチを招く。
 おまけに人質を見捨てるほどの非情さもないときている。
 今だ、有事における優先と犠牲の国民的合意無し。
 
4、危機感ゼロ
 あの当時としては、かなり予算をかけていたんでしょうか、マカオ・ロケなどがありましたが、レインボーマンは、マカオで日本人を激しく憎む秘密結社「死ね死ね団」と戦って、結果、死ね死ね団をマカオから追い出すことに成功したものの、まさかそれが日本には行かないだろうと考えて安心して帰ってくる。
 死ね死ね団というのは、東南アジアだけでの反日本人団体と、決め付けているが、これも、まさか自分たちがテロになんかあうはずがないという、日本人の根拠の無い思いこみと一緒では?

5、洞察力ゼロ
 日本に帰ってきて、おかしいと思っても、まさかと思って、何の警戒もとらない以前に、密かに内偵を続けてみようなどという考えがまったくない。
 結果、先に相手に見つかって、奇襲をかけられてしまう始末。
 日本人は情報戦、諜報組織を悪い事だと思っているような・・・。

6、決定力不足
 敵を追い詰めながらも、とどめをささないレインボーマン。
 結局、敵が復活して、自分が窮地に追い込まれる。
 非情さは即ち、覚悟なり。
 その程度の覚悟も無いから、四国に三本も橋をかけてしまうのでは・・・。

P.S ちなみに、平田昭彦扮する死ね死ね団のボス・ミスターKリモコンでテレビを消していたのには、ちょっと驚き。
当時としては、「夢の技術」だったんでしょうね。
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ちなみに、レインボーマンって、森進一の代表曲、「おふくろさん」の作詞で有名な川内康範氏の原作だったんですね・・・。
知りませんでした・・・。

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