親愛なるアッティクスへ

ここがどこか・・・、いや、これが何かおわかりになるでしょうか?
どうみても廃墟ですが、これは、私が物心付いたときにはすでにこんな状態でしたね。
ご覧の通りの不気味さで、夜は幽霊が出る・・・などという話もあるそうですが、私はなぜか、無性に懐かしいんですよ(笑)。
これは、福岡県糟屋郡志免町(と言っても、福岡空港から丘を一つ越えた辺り。福岡市って、本当に狭いんですよ。)にある石炭採掘の為の竪坑櫓(たてこうやぐら)です。
私たちは、これを勝手に「志免タワー」などと呼んでいました(笑)。
以前から、一度、この間近まで行ってみたかったのですが、先日、「この周囲に安全フェンスが完成した」というのを新聞で見て、近くまで行けるようになったことを知り、家族を近くにあるショッピング・モールに連れて行くとだまして、改めて、行ってきました(笑)。

私が子供の頃までは、この辺は石炭の町として有名でしたが、この志免鉱業所の開設は、明治21年(1889年)、旧日本海軍の直営鉱としての開抗にまで遡ります。
戦後、この炭坑は、旧運輸省から旧国鉄に引き継がれますが、その後、国のエネルギー政策の転換で昭和39年(1964年)に閉山。
で、この竪坑櫓ですが、私が物心付いたときから、こういう状態・・・というのも当然で、何と、作られたのは、昭和18年(1943年)、太平洋戦争の最中、帝国海軍の直営で建設されたと言いますから驚きです。
鉄筋コンクリート造で高さ53.6m。
単純に計算しても20階建てビルに相当します。
よくぞ、その当時にこんな物作ったな・・・と改めて感嘆。
だって、ポンプ車もミキサー車もクレーン車も無い時代ですよ。
おそらく、セメントも砂も、それから、水さえも、人間がバケツか何かに入れて抱えて持って上がって、その場で練って、流し込んだんでしょうね。

で、この櫓には、巻き上げ機1機が設置されているそうで、巻き上げ式として現存するのは国内唯一だそうですが、なにぶん、築63年・・・。
台風が相次いだ2004年には、脇の遊歩道や町総合福祉施設などにコンクリート片の落下が相次いだそうで、当時の所有者である新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、「はく離したコンクリート片が人に当たり、けがをする恐れがある」として町に解体の方針を示したと言いますが、町としては、「文化遺産を解体撤去するのは忍びない」として、保存を検討し始めたそうですが、そこで立ちはだかったのが、約3億6000万円と言われる巨額の保存費用・・・。
で、私もその後の先行きを注目していたのですが、結局、町は「歴史的遺産価値が高く、後世に引き継ぎたい」として費用を必要最小限に抑える「見守り保存」の方針を決定。
今年4月に、町はNEDOから竪抗櫓と土地(7,533㎡)の無償譲渡を受け、6月には、貴重な文化遺産であるということで、学術的、文化的に価値が高いと評価され、産業考古学会の推薦産業遺産に認定されたのだとか・・・。
で、行ったら、フェンスの外周に並行して遊歩道も新設され、子供も遊べる遊具施設もありましたが、でも、台風の時なんか、その辺までコンクリート片が飛んできたと言うのであれば、台風でなくとも、突風なんかがあった場合、ここまで飛んでくる可能性もあるんじゃないんですか?
こんなところに、遊歩道はまだしも、遊具なんか設置していいのかな・・・と言う気もしなくもないのですが・・・。

(↑最後に、敢えて、竪坑櫓を横にしてみました。この方が、なぜか、この建物が持つ危うさというか、凄みが感じられるのは私だけでしょうか・・・。)
ちなみに、周囲に張り巡らされたフェンスはすべて金網製で、竪抗櫓の半径40mの周囲251mにぐるりと設置されています。
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ここがどこか・・・、いや、これが何かおわかりになるでしょうか?
どうみても廃墟ですが、これは、私が物心付いたときにはすでにこんな状態でしたね。
ご覧の通りの不気味さで、夜は幽霊が出る・・・などという話もあるそうですが、私はなぜか、無性に懐かしいんですよ(笑)。
これは、福岡県糟屋郡志免町(と言っても、福岡空港から丘を一つ越えた辺り。福岡市って、本当に狭いんですよ。)にある石炭採掘の為の竪坑櫓(たてこうやぐら)です。
私たちは、これを勝手に「志免タワー」などと呼んでいました(笑)。
以前から、一度、この間近まで行ってみたかったのですが、先日、「この周囲に安全フェンスが完成した」というのを新聞で見て、近くまで行けるようになったことを知り、家族を近くにあるショッピング・モールに連れて行くとだまして、改めて、行ってきました(笑)。

私が子供の頃までは、この辺は石炭の町として有名でしたが、この志免鉱業所の開設は、明治21年(1889年)、旧日本海軍の直営鉱としての開抗にまで遡ります。
戦後、この炭坑は、旧運輸省から旧国鉄に引き継がれますが、その後、国のエネルギー政策の転換で昭和39年(1964年)に閉山。
で、この竪坑櫓ですが、私が物心付いたときから、こういう状態・・・というのも当然で、何と、作られたのは、昭和18年(1943年)、太平洋戦争の最中、帝国海軍の直営で建設されたと言いますから驚きです。
鉄筋コンクリート造で高さ53.6m。
単純に計算しても20階建てビルに相当します。
よくぞ、その当時にこんな物作ったな・・・と改めて感嘆。
だって、ポンプ車もミキサー車もクレーン車も無い時代ですよ。
おそらく、セメントも砂も、それから、水さえも、人間がバケツか何かに入れて抱えて持って上がって、その場で練って、流し込んだんでしょうね。

で、この櫓には、巻き上げ機1機が設置されているそうで、巻き上げ式として現存するのは国内唯一だそうですが、なにぶん、築63年・・・。
台風が相次いだ2004年には、脇の遊歩道や町総合福祉施設などにコンクリート片の落下が相次いだそうで、当時の所有者である新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、「はく離したコンクリート片が人に当たり、けがをする恐れがある」として町に解体の方針を示したと言いますが、町としては、「文化遺産を解体撤去するのは忍びない」として、保存を検討し始めたそうですが、そこで立ちはだかったのが、約3億6000万円と言われる巨額の保存費用・・・。
で、私もその後の先行きを注目していたのですが、結局、町は「歴史的遺産価値が高く、後世に引き継ぎたい」として費用を必要最小限に抑える「見守り保存」の方針を決定。
今年4月に、町はNEDOから竪抗櫓と土地(7,533㎡)の無償譲渡を受け、6月には、貴重な文化遺産であるということで、学術的、文化的に価値が高いと評価され、産業考古学会の推薦産業遺産に認定されたのだとか・・・。
で、行ったら、フェンスの外周に並行して遊歩道も新設され、子供も遊べる遊具施設もありましたが、でも、台風の時なんか、その辺までコンクリート片が飛んできたと言うのであれば、台風でなくとも、突風なんかがあった場合、ここまで飛んでくる可能性もあるんじゃないんですか?
こんなところに、遊歩道はまだしも、遊具なんか設置していいのかな・・・と言う気もしなくもないのですが・・・。

(↑最後に、敢えて、竪坑櫓を横にしてみました。この方が、なぜか、この建物が持つ危うさというか、凄みが感じられるのは私だけでしょうか・・・。)
ちなみに、周囲に張り巡らされたフェンスはすべて金網製で、竪抗櫓の半径40mの周囲251mにぐるりと設置されています。
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