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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

「桿木風に弱し!」

2005年09月24日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

以前、20年くらい前でしょうか、西武VS東急戦国史という本を読んだことがあります。
なかなか、あの!西武東急が成立していく過程を講談本的に描いた、なかなか、面白い本だったのですが、その中で、20年近く経った今でも、大変、印象に残っていることがあります。

先日、平太郎独白録 「総理大臣になれなかった自民党総裁が見たエライ親父!」の中でも申し上げましたように、河野一郎元農水大臣同様、西武の創業者にして先代であるピストル堤こと、堤康次氏や、東急の創業者、強盗慶太こと五島慶太氏もまた然りで、あの時代の、いわゆる明治生まれ大物というのは、まあ、時代的な背景もあったのでしょうが、現代のホリエモンこと堀江氏や楽天の三木谷氏のように、決してスマートではない・・・、むしろ、そういったきれい事に身を包むという必要もなかったのでしょうが、本音という核の部分がむき出しの家長的雰囲気を持っていた人が多かったように思えます。
(「ピストル堤」は、右翼に銃で威嚇射撃されても、まるでひるまなかったというエピソードから・・・、「強盗慶太」といのは、余りにも強引な企業合併・・・つまり、乗っ取りを次々としかけることからそう呼ばれたのだと。)

で、私が印象に残っている部分というのは、堤康次と西武がその拠点である、東京池袋に対する姿勢です。
昭和22年公職追放中の身であった堤康次は、東京池袋東口の土地、一万六千坪のうちの一万坪を「地元復興のためぜひ売っていただきたい」と懇願された際、本来、ヒューマニズムなどというものとは、まったく縁遠いはずの彼が、なぜか、それに応じて、放出しようとしたそうです。
折から、坪千円だった地価三千円に高騰していたことで、重役や株主の中には、「近い将来、武蔵野百貨店の焼跡に西武百貨店を建設しなければなりません。三倍に値上りしたのだから、一万坪では三千万円になりますが、しかしその土地にたくさんの商店が開店されるのは西武百貨店のためにはなりますまい。あくまでも独占しておくべきです」と、反対する者もいたと言います。
一見、至極もっともな意見に聞こえますが、これに対する堤康次の答えこそが、まさしく卓見だったと思います。
「それでは発想が逆だ。西武百貨店のためになるからこそ売るんだ。喬木は風に弱し、というではないか。たくさんの商店や飲食店ができれば、それも発展するだけ群衆が多く集まる。ひとりでに街になる。そうさせておいてそのまん中に、わが西武百貨店をでーんと建てれば、なお効果的になるではないか」

一本でぽつんと立っている木は風に弱い・・・。
思わず、卓見だと思いました。

周辺にさまざまな雑木が繁っていてこそ、それらが防風林の役割を果してくれる。
一店だけで独占していると地域に広がりが出ないと言う意味もあるでしょうが、それだけでなく、一店だけでやっていると、一見、独占収入のようにも見えますが、何かあった場合、一店だけで陳情などの活動をするのと、業界団体として活動するのとでは重みが違ってくるのではないでしょうか?

また、西武百貨店が、東急の地元、渋谷に店を出したときに様々な妨害にあったのに対し、東急が西武の地元、池袋にデパートを出そうとしたとき、当然、反対すべきだという社内の意見を抑え、堤康次はこれを容認したと言います。
そのときの、堤康次の発想こそ、まさしく、「桿木(喬木)風に弱し!」でしょう。

堤康次という人物は、衆議院議長を務める一方で、ピストル堤と呼ばれたような、あくの強い経営者で、「社員は皆、明智光秀だから、信用するな!」などと言ったという、その意味では、今の西武の凋落ぶりの根本を作ったという点で、功罪半ばする人だったのかもしれませんが、この「桿木風に弱し!」という一点に於いては、経営者として、素晴らしい資質を持っていた人だと思わざるを得ないように思います。

ちなみに、表題の「桿木」と文中の「喬木」ですが、同書の中では「喬木」と表示されていますが、私は同書の中に、なぜか、「桿木」とわざわざ、走り書きを入れております。
もう、20年も前のことで、なぜ、そういう書き込みを入れたのかは覚えておりませんが、(あるいは、別の本などでそう表示されていたのかも。)わざわざ、入れているということで、当時の私を尊重し(笑)、表題のみは敢えて、この表示にしました。
誤り等、有りましたら、どうぞ、遠慮無くご指摘下さい。

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「もったいない」は罪悪である!

2005年09月20日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨今、「もったいない」という言葉を国際語にするとか何とかで新聞でよくみかけますが、これは私のように食い物を残したら親から死ぬほど殴られた世代には心情的には理解できるのですが、こと、現代日本ではこの言葉は「罪悪」だと思います。

昨今のコンビニにしても、リサイクルショップにしてもそれを強く感じます。
リサイクルショップの「お売り下さい」のチラシには、「春夏物衣類は1-6月、秋冬物は7-12月しか買い取りません」と書いてありました。
彼らは古本でもそうですが、すぐに売れる物しか買わないようですね。
今日仕入れて、今日のうちに売れる物が彼らにとって引き取りの対象なんです。
これ即ち、以前、平太郎独白録 アレキサンダー大王の強さの秘密、「時間差攻撃!」でも申しましたように、結局、「スピード」なんですよね。

つまり、彼らにとって、いつか高値で売れるかもしれないような名品はもう必要ないということのようです。
これは、即ち、倉庫に大量の在庫を抱えることはしないということであり、結局まあ、あらゆる業界でコンビニ化が進んでいると言うことでしょうが、即ち即ち、これを支えている前提・・・、つまりは、「もったいない」罪悪にしている大前提というのは、技術革新サイクルの早さと、大量消費社会だと思います。

「もったいない」と言って、物を大事にしていたら、技術革新が進んで、結果、「もう、今時、こんな物使わないし。」ということになってしまうし、商店にしても、結局、使うアテのない大量の在庫が残る事になるだけのことであり、となれば、挙げ句が高いお金を払って、処分することになる・・・。
技術革新を否定することは、今更、出来るはずもなく、社会が後戻りすることも考えられない以上、「もったいない」は、かつて、仏教がその発祥の地、インドで根付かなかったように、必ずや、その言葉の母国によって否定されるでしょう。

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日本振興銀行にみる融資という名のせめぎ合い。

2005年09月10日 | 思想・哲学
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いよいよ、小泉改革の集大成、「郵政民営化」を占う選挙が明日に迫ってきましたね。
「与党が過半数を維持するのではないか・・・」という声があると同時に、「台風@の影響が心配・・・」という声もあるようです。
ただ、この点では、今回、期日前投票という制度が出来たことは、選管の大ヒットではないでしょうか?
これにより、今までみたいに、その日の天候イベントなどに左右されることは少なくなると思います。
もっとも、郵便局の民営化以前に、銀行も宅急便提携していいと思うんですけどね・・・。
少なくとも窓口業務は引き受けていいでしょう。

ところで、銀行と言えば、東京青年会議所が出資主体となり、木村 剛氏が仕掛け人になって立ち上げた銀行に日本振興銀行 というものがあります。
[業務領域を中小新興企業へのご融資と一般の方々からお預かりする定期預金のみに特化する]ことをうたい文句に。新たに銀行業務を立ち上げたことで、一時期、かなり、マスコミにも取り上げられました。
今では、TOP人事でごたごたしたとかで、仕掛け人のハズの木村氏が代表に躍り出てしまうアクシデントがあったようですが、私としては、それ以前に、当初から、この銀行には、少々、?マークを付けておりました。
無論、専門的なことは、私ごとき門外漢に到底わかるはずもないのですが、敢えて私がそう思った論拠のひとつに、銀行立ち上げ直後に読んだ木村氏のインタビュー記事がありました。
その中に、「この銀行は、借り手が出資してできた銀行だから、借り手の気持ちがわかる銀行だ。」という一言があったのです。

しかし、本来、借り手と貸し手は利害が相反するものであり、
(貸し手は少しでも金利は高く、借り手は少しでも金利を低く・・・。
貸し手は少しでも担保を取ろうとし、借り手は少しでも担保余力を確保したい・・・。
貸し手は少しでもリスクを抑えようとし、借り手は少しでもリスクを冒させようとする・・・。)
融資とは借り手と貸し手のせめぎ合いの中から生まれるものではないでしょうか?
その意味では、貸し手と借り手が、お互いの気持ちなどわかる必要はなく、また、わかってはいけないものだと思うのです。
で、「こんなことを言っているようでは、先行きは・・・」と思った次第です。
木村氏の話は、もちろん、こういった抽象的なことばかりではありませんでしたが、私には、銀行自体が、どうしても痛みがわかるがゆえに、理想論が先走っているように思えました・・・。

当時、こういった救済的な銀行を作るよりも、潰すべきところを潰すことが本質論なのではないか・・・と思うと同時に、もっとも、それが出来ないから、こういう措置をせざるを得ないのでだろうけども・・・とは思いましたが・・・。

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総理大臣になれなかった自民党総裁が見たエライ親父!

2005年09月09日 | 思想・哲学
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選挙戦、追い込みのようですね。
私は先日から、ちょっとした所用があり、秋田まで行っておりましたが、昨日、早速、不在者投票・・・じゃなかった「期日前投票」ってやつに行ってきました。
その辺のことは、また、後日述べるとして、秋田へは羽田経由の飛行機で行ったのですが、その際、普通席の手前、スーパーシートに、ちょこんと小さな女の子が座っているのが目に付きました。
(もちろん、私は普通席でしたが(笑)。)
シートが大きい分、その女の子(2~3歳くらいでしょうか。)が、余計、目に付いたのですが、その子の横の同じくスーパーシートには、いかにも気位が高そうなキャリア風の母親がひとり座ってました。
まあ、それは、その方が自分の収入の中からされておられることですから、別に他人がどうこう言うことではないのですが、この点で、私にはひとつ、印象に残っている話があります。

河野洋平という政治家をご存じでしょうか?
衆議院議長ですが、むしろ、自民党総裁でありながら、只独り、総理大臣になれなかった総裁・・・として、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
彼の父、河野一郎氏は、佐藤栄作、池田勇人といった人たちと総理の椅子を争った政界の大物にして、ソ連フルシチョフを向こうに回し、大立ち回りを演じた強気の政治家であり、吉田茂をして、「嫌いな物はスカルノと河野一郎」と言わしめた豪腕政治家として知られた戦後政界の大実力者でした。

その洋平氏が以前、何かに書いておられたことなのですが、河野一郎という人物は、そういう精力的な政治家であったこともあり、生前は多忙で、息子と旅行などしたことはなかったと言います。
それが、あるとき、何かの関係で父と二人っきりで旅行することになったそうですが、そのとき、河野一郎という人は、自分だけ、さっさとグリーン車に乗り込むも、学生服姿の洋平氏には「親父がエライのと、おまえとは何の関係もない!」と言って、独り普通席に座らせたそうです。
フツー、日頃、多忙な父が我が子と水入らずで旅行するときに、別々に乗りますかー?

厳父・・・。
付けるべきけじめはきちんと付ける・・・。
多忙な父の、息子への訓導・・・。
子供への愛情などに流されることはない・・・。
河野一郎と言う人物の、ただ傲慢なだけの人ではない一面を見せつけられたような気がしました。
以来、私には忘れられない話の一つとなっています。

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貯水率100%のダムに見る「泥魚」の徹底消極策

2005年09月08日 | 思想・哲学
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先日からの台風で渇水に苦しんでいた四国のダムが0%から一夜にして、100%・・・つまり、満杯になったそうですね。
MSN-Mainichi INTERACTIVE 早明浦ダム
被害に遭われた方々には、謹んでお見舞い申し上げますが、それとは別に、このニュースで思い出したことがあります。

中国の古典の中に出てくる魚に泥魚というのがいるそうです。
泥魚とは、もちろん魚ですから、水中に棲息するわけですが、一旦、早魅(かんばつ)になると、他の魚は右往左往して水さがしに狂奔する中、この魚はにまみれてジーっとしたまま、二カ月でも三カ月でも動かないそうです。
他の魚が、結局は水分を失って干物になってしまうのに対し、泥魚は泥にまみれている為、体の水分は蒸発せず、動かないからエネルギーも消耗しない
そして、数ヶ月後、雨が降り、河川の水が満々と流れるようになると、泥魚はおもむろに泥の中から這い出し、さっそうと泳ぎまわるのだそうです。
他の魚は皆、死んでしまっているから、競争相手は少ないことから、エサ豊富であり、これによってこの魚は急速に繁殖する・・・という話でした。

だが、この泥魚の単純な戦略も口で言うほど簡単ではないでしょう。
つまり、消極策というものは口で言うほど簡単ではないということです。
これはたとえ旱魃になっても、いつかは必ず雨が降るということが、何よりの前提だからです。

デフレの時代というのは、全くおかしな時代です。
やればやっただけ損をする。何もやらない方が損が少ない。
まったくおかしな時代です。
つまり、栄養をつけるよりも、エネルギー消費最低限に押さえる方が有効なのですから。
無論、この泥魚の論理には、言わずもがなの、大きな盲点があります。
即ち、人間は泥魚のように、何ヶ月も飲まず食わずでは生きられないということです。
日々、霞を食って生きるわけにはいかない人間というもののの深さを思わず恨みたくもなりますが、これこそがこのデフレの時代に生きる現代人のジレンマでしょう。
誰もが、この矛盾の中で、ジリ貧になるとわかりながらも、日々のを求め、結局、討って出なければならない・・・。
ひょっとすると、雨が降る前にこちらが先に干物になってしまうかもしれない・・・。
まず、多くの人が途中で、「このまま、雨が降らなかったらどうしよう。」「雨が降る前に干物になってしまうんじゃないだろうか?。」「討って出るなら、体力に余裕がある今のうちだ・・・。」等々と考え、やがて中途半端で討って出る。
あるいは、泥の中の暮らしに耐えきれず、清流恋しさに飛び出していく者もいるのかもしれない。
しかし、体力があるうちならともかく、弱りきった体ではいくらも続かない。
結局、自滅・・・。

つまり、どっち付かずこそが、もっとも、良くない・・。
積極策をとるか、消極策をとるかよりも、どちらかに徹底しない弊害の方が大きいのだと私は愚考致す次第です。
もちろん、結果がどうなるかはです。
あるいは、水探しに狂奔した魚は、先に満々と清流溢れる大河を見つけるかもしれません。
やがて、雨が降ったとき、その魚は泥の中で干物になっている泥魚の姿を見つけ、したり顔で嘲り笑うでしょう。
「彼には、討って出る勇気がなかったことが敗因だね。」と。
しかし、泥魚はそれでもなお、愚鈍なまでに泥の中にいるでしょう。
即ち、泥の中に在り、泥と共に干物になる「覚悟」が大事なのだと思います。

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異端児・今東光に見る、優等生・川端康成という男

2005年09月07日 | 思想・哲学
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今東光和尚シリーズ第三弾です。

前回、校長に見送られて後、彼は東京に出るも、その年のうちに実父に勘当されてしまいます。
当時の勘当は、今の形ばかりの勘当とは違い、戸籍上も強い権限を持つ「戸主」による勘当ですから、本当に勘当なのでしょう。
そんな折り、捨てる神あれば拾う神ありで、彼は生涯の親友となる人物に出会います。
意外や意外、あの、日本初のノーベル文学賞作家、川端康成です。
川端康成年譜
今東光略年譜
極道和尚と呼ばれた異端児と、正統派の優等生作家という組み合わせは、どうにも「意外」以外の言葉で形容し難いものがありますが、二人は互いに自分にない物を相手の中に見つけたということなのでしょうか・・・。
しかし、そうは言っても、今東光はともかく、当時から将来を嘱望されていた川端が、とかくの風評のあった今に対し、よくぞ胸襟を開いたものだと、私はそちらの方に驚きを隠し切れません。
やはり、それには、川端康成という人物の生い立ちが関係しているように思えます。
まじめで、繊細そうな印象を受ける川端ですが、彼は物心付くかどうかの時に両親を失い、祖父母に養育されたものの、ついには姉も含めて15歳にして天涯孤独となってしまいます。
以後、彼は、他人に養育されてきたわけで、そんなもの悲しい育ちが、じっと相手を冷徹なまでに観察するという目を養わせたのかもしれません。
その人間心理に透徹した目は、意外に、その人を過去風聞などだけで見ることをせず、瞬く間に相手を丸裸にしたのでしょう。

ともあれ、大正9年22歳の今東光と21歳の川端康成は出会い、そして、どこをどう認め合ったかはともかく、二人は大いに意気投合し、毎日のように互いの家を行き来したと言います。
その後、今東光は川端康成が一高に行けば一緒に付いていって一高の授業を受け、東大に行けば東大の授業を受けたと言います。
ただ、別に今東光が品行方正になったわけではないため、川端は日本作家連盟(ペンクラブ?)への加入を持ちかけられた際、「評判の悪い今東光と縁を切ることが条件・・・。」と言われたそうです。
それに対し、川端は、しばらく考えた後、「それでは、連盟入りをお断り致します。」と言ったといいます。
これこそが、まじめで、おとなしそうで、優等生の川端は、思慮深さの中に、はっきりと自分という物を持っていた証だと思います。
ここまで考えてくると、川端という人物の人格が透けて見えるような気がするのですが如何でしょうか・・・。

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今 東光に校長が与えた言葉、「絶望することなかれ」。

2005年08月31日 | 思想・哲学
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先日も平太郎独白録 「昭和の怪僧、今東光にみるアメリカとの関わり方心得。」の中で紹介しました今 東光という人物についての続編なのですが、この人物は、その豪放磊落な人柄もあり、まあ、良いにつけ悪いに付けエピソードには事欠かない人ですが、中でも私が忘れられない話に、「絶望するなかれ」というものがあります。

大正三年16歳の今東光は、女性問題を咎められたことで教師を殴り、学校を二度目の退学処分になったそうです。
これにより、町にいられなくなった彼は、上京すべく、独り、駅のホームに立ちます。
当然、一人の見送りもなく、他には人もまばらで、がらーんとしたホームなのに、誰かが隣に立つ・・・。
フロックコートに山高帽という当時の正装に身を固めたその人物は、よく見れば、それは何と!退学になった学校の校長先生だったそうです。
校長と言っても、当時の校長は今とは比べものにならないくらいステイタスが高い時代の校長です。
驚きながらも、たまたま、誰かを迎えにでも来たのかな・・・などと思っていたら、その校長先生が突然、「絶望するなかれ。」と一言、口にしたそうです。
きょとんとしている16歳の今に対し、校長は前を見つめたまま、「君にこの言葉を贈ろう。」と言い、もう一度、「絶望するなかれ。」と言った後で、こう続けたと言います。
「絶望したときがすべての終わりである。絶望さえしていなければ、まだ、事は終わったわけではない。決して絶望するなかれ。」
参考記事: はてなダイアリー -今東光とは
うろ覚えで書いてますので、言葉の詳細は違うかもしれませんが、ニュアンス的には大筋はこのようなものだったと思います。

戦場において、敗戦とは、どの段階で決まるものなのか?という定義がありますが、それは「司令官負けた!と認めた瞬間に敗戦決定する。」ものなのだそうです。
司令官が負けを認めてないうちは、当然、撤退命令も出ないわけですし、まだ、負けてない・・・ということで、この校長が言ったのも、そういう意味のことだったのでしょう。
けだし名言ですね。
絶望して、投げやりになったときに終わりが始まる・・・。

しかし、この言葉の意味もながら、さらにこの言葉を効果的にしているのが、このシチュエーションでしょう。
地域の名士としての地位が高い時代の校長が、これまた、退学処分になるということは、とんでもない烙印を押されたようなことであったその時代に、問題の生徒を、只独り、正装を持って見送りに来た・・・。
おそらく、この校長は、駅まで来て、もし、見送りの生徒が数人でもいたら、一言も声をかけず、その場を立ち去ったのではないでしょうか?
すでに名士としての地位が確立されている以上、人気取りなどする必要がなかった・・・という背景もあったでしょう。
そんな気がします。

校長と言えば、これより、少しさかのぼった頃、ほぼ同時代と言っていいと思いますが、あの坂本龍馬の姪が教師となった際、生徒に対し、当時としては先進的な人権教育を試みたそうです。
それを視察に来た県の幹部は、その人権感覚に行き過ぎた左翼性を感じたようで、校長に対し、「ただちに中止するように!」と申し入れたところ、その校長はやんわりとながら、これをはねつけたという話もあります。
今の教育委員会PTAに縛られた校長先生とは違い、当時の校長は、多くが士族の出であったこともあるのでしょう、その威、重厚にして、明確に己というものを持っていた人がいた・・・ということでしょうか。

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不況と経営者

2005年08月05日 | 思想・哲学
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宿題を戴いておりました「不況と経営者」という問題ですが、ようやく、少し時間が出来ましたので考えてみました。
まず、不況期で成功する経営者のパターンとしては、3つあると思います。
一つが、不況を逆手にとって発展するタイプ。
二つめが、不況があまり関係無いタイプ。
そして、3つ目が、不況を凌ぎきるタイプです。

まず一つ目ですが、これはかなり超人的な例であり、ある意味、山師的な要素も抱えているともいます。
したがって、このタイプ自体が非常に珍しいのに加え、同時に大きなリスクも抱えている為、本当に本物tp呼べるのは、一時代に一人程度では無いでしょうか?
次に、二番目のタイプですが、これは例えて言うなら、世界恐慌の時のロッキードがいい例だと思います。
航空郵便という、一旦この便利さを知ってしまったら、誰もが不況だからと言っても使わずにおれない分野。
現代で言うならば、まさしくNTTドコモがこれだと思います。
ただ、これは、経営者の能力と言うより、事業の特殊性にあると思います。
ロッキードは確かに魅力的な経営者でしたけど・・・。
そして、第三のタイプが、世界恐慌の時の松下幸之助のように、何とか凌ぎきるタイプではないかと思います。
そして、やはり消去法で見て行く時、やはり、1,2のタイプは、あまり我々の参考にはならないのではないでしょうか?
そう考えると、誰もが抗いようの無い大津波が来た時は、良寛じゃないですけど、「災難を受ける時は受ける」しかないんじゃないでしょうか?

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空海はなぜ空海なのか?

2005年08月03日 | 思想・哲学
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貴方は海外に行かれるとき、どうやって行かれますか?
現代日本では、まず大半の方が飛行機で行かれるのではないかと思います。
私は以前、博多港から韓国の釜山までで行ったことがあるのですが(ちなみに、博多港日本一国際旅客港だそうです。まあ、そりゃそうでしょうね。東京や大阪に船で出入りする人も少ないでしょうから・・・。)、その間、窓外に拡がる景色は、驚くことに突起物は壱岐対馬(の付近)だけで、そこ以外では、島影はおろか、しがみつく岩すらなく、そこには、ひたすら海と空の二種類の色しか存在しないのです。
「陸海空と言いながら、ひたすら、陸がない空と海だけ・・・。」
そう考えたときに、私はハッとしました。
「あ、弘法大師「空海」の「空海」とは、ここから来たんだ・・・。」



空海は実際、留学僧として大陸に渡る際、同様に船上の人となった経歴があります。
私が乗った、この、わずか数時間の船旅でも、その見渡す限り「空」「海」という風景は、地面という「依って立つ足場」が必ずしも絶対では無いということを思い知らしめると同時に、自らの無力さ、非力さを改めて感じさせてくれました。
ましてや、空海の当時は、私が乗ったようなジェットホイールなどあるはずもなく、彼は何日もこの「空と海」だけの寄る辺ない風景を眺めていたに相違有りません。
そう考えると、彼が自らを空海と名乗ったのが、わからないでもないように思えました。
秀才と呼ばれ、留学僧にまで選ばれたこれまでのことなど、何の根拠もない儚い夢物語のように思えたのではないでしょうか?
彼が、いつの時代から空海と名乗っていたのか、宗教などにはとんと理解のない私には、知るよしもないことですが、なぜか、そう強く実感しました。

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小野田という人格

2005年07月20日 | 思想・哲学
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小野田という人物がいます。
いつまでも、元日本兵という呼称で呼ぶのも如何なものかと思いますが、言うまでもなく、あの市川雷蔵主演で有名な「陸軍中野学校」を経て、フィリピンのルバング島に赴任し、そのまま、終戦を知ることなく30年近く、戦い続けていた人物です。
http://www.andec.com/onoda/ryakureki.html
昭和49年、この人が日本に帰還したとき、国内の反響は、まさしく、昨今の拉致被害者の帰国の時と同じく、熱烈なものがあり、当時、子供だった私には、その少し前に出てきた横井さんと同じく、なぜ、大人たちがそんなに騒いでいるのか理解できませんでした。

で、先日、この人のインタビュー番組がテレビであってましたが、私が見るところ、この小野田という人物を構成している要素は二つあるように感じました。
即ち、ひとつは、「激しさ」であり、もうひとつが「プラス思考」だと。
このインタビューの中でも、度々出てきた言葉が「過ぎたことは振り返らない。」でした。
フィリピンでのゲリラ活動中、フィリピン軍との交戦により、戦友を次々と亡くし、遂に一人になったときに、彼がやったことは、「二人の時にうまく活動できなかったこと」という二人の時のデメリットを書き出すことであり、「一人の方が支障なく活動できること」を挙げることだったと言います。
また、「もし、もう一度、人生をやり直せるとしたら?」というインタビュアーの問いにも、「やり直すって言ったって、人間、先天的なもの、後天的なもの、そして、時代で、そう思い通りになるわけでもないから・・・。」と答え、帰国して後、全国から彼に送られた見舞金を全額、靖国神社に寄付したところ、一部の人から軍国主義と非難されたことに対しても、「何も私一人が戦争に行ったわけじゃないんだから、帰国したら、人と同じように働けばいいんであって・・・。」と述べるなど、そこには、徹底的なまでに、卑屈被害者意識など微塵も見られませんでした。
小野田さんは、83歳の今も、ブラジル牧場経営の傍ら、日本でも小野田自然塾なるものを手がけ、両国を度々、往復する日々を過ごしているそうですが、いつも日本を発って飛行機がブラジルに到着するときになって初めて、「あ、俺はブラジルで牧場やってたんだ。」と思い出すそうです(笑)。
おそるべき、プラス思考集中力だと思います。

一方で、彼は物心ついてより、両親と反りが合わず、17歳にして、上海に渡り、貿易業に従事する傍ら、思い切り、青春を謳歌したそうですが、小野田自然塾を作ったきっかけも、川崎市で17歳少年金属バット殴り殺した事件をブラジルの邦字紙が報じたことだったそうで、加害者の少年に対しても、「どうして、家を出なかったかなー。僕は17歳の時には家を出ていたんだけどなー。」と呟いている姿が印象的でした。
彼のこの気性の激しさと、この徹底したプラス思考があったからこそ、今も充実した人生を歩んでおられると共に、同時に彼をしてルバング島で戦い続けさせることになったものと思われます。

そのインタビューの中で最も印象に残った一言が、「子供たちにもよく言うことだけど、『目的がなかったら、くじけるよ。』と。目標を持たずに、悩み出すと網に絡まっちゃって抜け出せなくなる。」というものでした。
まさしく、これこそ、私が度々述べております方向性ということであり、即ち、「自分は何の為に、今、これをやっているのか?」ではないでしょうか?

多くの自殺者を出している現代日本
本来は、「あれをやる為に、今、これをやっている」でないといけないわけですが、残念ながら、そういう人はあまり多いようには感じられません。
人は、ふと、自分のやっていることの意義を自分に問うてみたとき、網に絡まってしまうものかもしれません。
『目的がなかったら、くじけるよ。』
小野田さんのこの一言は、子供たちにではなく、今の迷走日本に語りかけていることのように思えて成りません・・・。

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請負契約書に見る論理と力のパラドックス

2005年07月16日 | 思想・哲学
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先日から何度かこの手の話について述べておりますが、豊臣秀吉太閤記にも、こういう記述があります。
どちらの国境にも属さないからと国境を流れる川のの真ん中で寝ていた日吉丸(後の秀吉)を、蜂須賀小六らの荒くれ者が通りかかり、「おい、どけ!」と誰何。
日吉丸曰く、「ここはどちらの領土でもないから、おまえたちの指図は受けない。」
すると、蜂須賀一党、「何だと!やっちまえ!」で、一斉に襲いかかり、日吉丸の抗議になど構うことなく、そのまま、殴る蹴るでボコボコにしてしまう・・・。

まあ、この話は作り話でしょうが、先般から何度か述べていますように、我々の周りでもこういう話はややもすれば見受けられるようです。
以前、私がある仕事を受けたところ、発注側の担当者にかなり、泣かされたことがあります。
その折、担当者のあまりの理不尽ぶりに、つい、同業者の方にこぼしたところ、その人に言われた言葉があります。
「請負契約書というのは『請け負い』ではなく、あれは『請け負け』と読むんだ。」と。
つまり、請けたら負けるんだと。
わかっていて、負ける契約書にハンコ押したんだからと。

で、知人にその話をしたところ、「あなた達は契約書があるからまだいい。私たちの業界は契約書さえないんだよ・・・。」と言われました。
しかし、契約書がある・・・と言ったところで、そのとき、一回こっきりの仕事ならともかく、多くの場合がもそうでしょうが、誰しも継続的な取引を希望するはずです。
となれば、契約書にどう書いてあろうとも、実際には、発注者の心証を悪くするようなことは出来るはずもなく・・・。
これが、契約書という論理世間という実際の何とも言えないねじれでしょうか・・・。

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人間とは他者を差別せずに生きてはいけない生き物

2005年07月08日 | 思想・哲学
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唐突ですが、「人間とは他者を差別せずに生きてはいけない生き物である。」そう思われませんか?

先日、明治時代が舞台の映画を見ていたら、ある老婆が、「世が世なら・・・」と言い出したので、「?」と思ってみていたら、続いて出来た言葉は「我が家は殿様からを拝領した家なるぞ!」というものでした。
「は?瓦~?」とちょっと、ガクッと来ましたが、よくよく考えてみれば、これって、川幕藩体制というもの凄いピラミッドの一角なんですよね・・・。
まあ、江戸時代というのは瓦だの門だのと事細かに身分により仕様を規定されていましたから、瓦の使用を許されるということは、この老婆にとっては、それなりにステイタスなんでしょうが、身分ピラミッド全体からしたら、「瓦の拝領」なんて、ものすごーく低い次元の自慢話以外の何物でもなく、それゆえに、かなり滑稽な話に思えるのです。

思えば、アメリカの黒人差別を例に挙げるまでもなく、日本でも古くは魏志倭人伝にも邪馬台国を指して、きちんと身分制度がある秩序ある国・・・という記述があるくらいで、人間とは、古今東西、他者を差別すること無しには生きていけないもののようですね。
低い身分の者はそれに反発するかと思いきや、人間とは、より低い身分の者を差別することで、自分の存在意義を確かめたいもののようです。

その意味では、田舎者という言葉も万国共通のようです。
田舎とは田舎の中でも、より田舎を見つけ出し、バカにすることで優越感を保っているようですね・・・。
一方で、都会から来た人を差別しながらも強いコンプレックスを持つ・・・。
 「みやこおち すめばみやこの みやこどり 」  平太郎
逆もまた真なり・・・。

そう言えば、以前、アルバイトで雇っていた女性が、二言目には「私は前の会社(大手食品メーカー)では・・・。」と連発するのに辟易したことがあります。
その女性は、別にその会社の重役だったわけでも何でもなく、単に独身寮の中では「鬼の先輩」って呼ばれていたらしいという、それだけのことだったのですが・・・。
いやはや何とも、人間とは業の深い生き物ですね・・・。

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神は自らの領域に近づこうとする者を愛さないⅡ

2005年07月05日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

 「神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない。」 by平太郎
芸術家、思想家など、神の領域へ近づこうとする者の末路は悲劇であることが多い・・・。

いつだったか、日本シリーズを見ていると、何を考えたか興奮したアナウンサーが、「まさに、『世間は生きている。理屈は死んでいる!』・・・。勝海舟の江戸無血開城の時の言葉です。」と言っていました。
私も初めて聞きましたが、こういった場面で的確な表現かどうかは別にして(笑)、言葉自体は何故か心に残りました。
私的には、「理屈は死んでいる。しかし、世間は生きている。」の方がぴったりくるように思えますが、要は 「この期に及んでは、もうおまえさんらの理屈は通じないよ。 おまえさん達に関わりなく、世間は動いてるんだ。理屈じゃねーんだ!世間は生きてるんだよ!」というところでしょうか?
「理屈通りには世の中は動かない。」
確かに思い当たる節もあります。
しかし、同時に、私には「世界恐慌が来ようが、国が滅ぼうが、そこに人々がいる限り、人の営みというものは(形は変わっても)無くなることはない。」というふうにも聞こえました・・・。

ところで、昔、テレビで「人生とは?」などとゲストに問うていく番組があっていたのですが、私はそう問われれば、「人生とは生まれて生きて死ぬ。ただ、それだけのことである。そんな、大仰なものではない。」と答えます。
人生などと言うのは現代人の驕りである。」と。
違いますか?
江戸時代の百姓の権兵衛さんに、果たして人生などあったのでしょうか?
縄文、弥生時代の庶民に「なぜ、生きているのか?」と問うたならば、「死にたくないから。」と答えるのではないでしょうか・・・。

戦前までは、人々にとって「死」とは今よりもっと身近なものだったように思います。
寿命自体も人間五十年だったわけですし、ましてや、廃刀令以前は腰には人斬り包丁を持っていた人も多かったわけですし、また、医学栄養のバランスという観念以前に、衛生上の問題、貧困などの社会制度上の諸問題を考えれば、昔の人たちにとっては死というものは、今の人たちよりも、もっと、身近なものだったと言えなくはないでしょうか?

ちなみに、その番組で「親友とは?」という問いもあっていましたが、こちらは答えるなら、「自分の心の凹凸により最もぴったりとフィットする人」というのが、私の解答です。
如何でしょうか・・・?御同輩!

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体育会系の論理と終身雇用

2005年07月02日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

巷間、よく「体育会系」という言葉を耳にします。
この「体育会系の論理」・・・、即ち、「生年月日を年度で区切り、一年でも後の年度に生まれた者は、一年でも先の年度に生まれた者に対し、絶対服従しなければならない。」というもの。
この手の人たちは、自分が体育会系であることを誇りにしている人が多く、中には社会に出てからも、自分が体育会だからと言って、まったく関係ない人にも「先輩が先!」などと、当然のように、この論理を強制する者さえあり、別に体育会系ではない私などは、時々、辟易させられることも少なくないのですが、(別に頼んで先に生まれて貰ったわけではないし、そもそも、先に生まれたから偉いってどういうこと?一級上で先輩って言ったって、3月生まれと4月生まれでは、極端な話、一日違いってこともあるわけで、これで先輩だって言われても・・・。)そう言うと、いつも、ある体育会系の友人などは、「それは違う。体育会系と言っても、すべて上級生が偉いわけではない。最後は実力なんだ。」と少々、訳のわからない理論を展開することがあります。
「じゃあ、その実力とはどうやって測定するんだ?俺のように柔道などやってない者まで柔道での実力で差を付けられるのか?そんなの迷惑な話だし、かといって、対象者全員にペーパーテストを受けさせるというわけにもいかんだろう。」と言うのが、そのたびに、彼の主張に対して答える、私の答えです。
つまり、彼の言うことは、その学校のその運動部の中でだけで比較可能なことであり、あるいは実社会でも、その会社の中の営業成績などで比較可能ならばいいでしょうが、所属も違う、運動部でもなかった人間を、実力と言っても、一体、どういう基準で比較すると言うのか・・・。

話を元に戻すなら、体育会系の論理とは、その根底にあるのは、「今は辛くても、いずれ自分も先輩になったら、下の者に対して同じ事ができるんだ。」ということであり、これこそは、行き着く先が終身雇用制という村社会であるということが前提の制度だったのではないでしょうか?
威張っていた先輩も、卒業して、社会人一年生となれば、また、一兵卒からのスタートであり、最終的には80歳、90歳の人たちが巾を利かせる村の長老社会を構成する一角にはめ込まれる。
「今は辛いけど、我慢さえしていれば、いつか自分たちも余程のことがない限り、年が経てばその地位になれる・・・。」というものがあったのでしょうが、ご承知の通り、今や、終身雇用制という村社会は崩壊し、その世代は、突然、実力本位などと言われ、ひとりバカをみるような形になっています。
それでもなお、体育会系の論理は永遠なんでしょうか・・・?

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改革者に必要な資質

2005年06月30日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

日本の改革者にとって、もっとも必要な要素、それは「辛抱」である。
改革とは快刀乱麻のように一刀両断にやることと思いがちだが、日本社会では、そうあるのは難しいし、うまくいっても多大な反発・・・ひいては、反動を招く。
その為、必要な粛正は極力最小限に抑え、かつ、少しでも多くの人に納得させる必要がある。
それゆえにこそ、改革者に必要な資質は辛抱なのである。
小泉総理はよく辛抱してあると思いますが、如何ですしょうか・・・?

小泉総理に限らず、地方自治体の首長もよく辛抱している方も決して少なくないように見受けます。
自治体の中には、赤字にあえぐところも決して少なくないようですが、自治体も倒産状態になると自治省(今何でしたっけ?国土交通省ですよね・・・。)の管理下に置かれるんでしょう?
と言うことは、当然、議会停止に追い込まれ、議員身分、特権、歳費などといったことも停止されるんでしょうね?
それなくしては、旧自治省の管理というのも意味ないんじゃないですか!
どこかの自治体では議員たちが「自力再建を目指すよりも倒産した方がよかった。」などと言ってました。
本末転倒ではないですか・・・。
自治体が倒産したら、議員も失業すると思うから、初めて、倒産だけは食い止めようと、改革に協力するんじゃないですか?
自治体は倒産しても、議員の身分だけは残るのであれば、自治体予算削減など、出来た話じゃないでしょう?

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