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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

夢なき航海は北極星無き航海に等しい

2005年06月11日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

自殺者が遂に3万人を超えたそうです。
その数、交通事故の四倍に上り、その多くが私と同世代だといいます。
時節柄、私の廻りでも精神病になったという話を二、三、耳にしました。
ある人に聞いた話では、そうならない為には「夢」「目標」を持つことが有効なのだそうです。
やはり、夢を持つのは必要なんでしょうね。
言うなれば、「夢なき航海は北極星なき航海に等しく、大海原で迷子になるようなものだ。」ではないでしょうか?
ただ、そうは言っても、なかなか、夢が持てない年代に入ってきたとは思います。
この年代で自殺者が多いのもそれでしょう。

私は恥ずかしながら、40歳近くなって、突然、小説を書き始めました。
その時の周りの反応は実に冷淡なものでしたね。
「馬鹿なことを!」とか「いい歳こいて」などと周囲の誰もが冷笑しました。
でも、そのうち、ふと気づきました。
「40のおっさんが今から歌手を目指していけないって、誰が決めたんだ!」って。
よく考えたら、世間が勝手にそう決めただけなんですよね。
俺はまだ、納得してない!って思いましたよ。
となれば、はっきりと結果が出た人はともかく、そうじゃない人は一度、自分の夢は何だったのかを思い返し、なぜ今は、それを追っていないのか検討してみたら如何でしょうか?
単なる世間というものの「思いこみ」に洗脳されているだけかもしれませんから・・・。

でも、スポーツ選手はまだしも、将棋の世界に年齢制限があるのはどうにも理解できません。
将棋で最近、話題になってる人も、現実にプロに勝ってるんでしょ?
プロって、実力の世界じゃないんですか?
実力にどうして、年齢が関係するのか、私にはどうしても理解できません。
日本人って、その人その物を見ずに、その人の背景をみてしまうところがあるような気がしますが如何でしょうか・・・?

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道に迷ったとき道標となるもの

2005年05月21日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

「敵を知り、己を知らば、百戦するとも危うからず」って、ご承知の通り、これは、有名な孫子の一節ですよね。
(孫子って、孫正義のことじゃないですよ(笑)。・・・失礼!)

では、「金儲けがしたい」、「金が欲しい」、「金持ちになりたい」って多くの方がよく口にしますよね・・・。
ではでは、これを上述の孫子の論法で説くならば、「金を知る」ことが必要でしょう。
で、そもそも「金」って何ですか?
お金の持つ交換時間保存などの特徴を述べるのは、今更、釈迦に説法でしょうから省きますが、自分なりにこれを考えてみると、突き詰めて言うならば、金とは「サービス券」ではないかと思います。

子供が父の日に、お父さんに肩たたき券を1枚あげる。
お父さんはその日でなくとも、肩が凝った日にそれを出して肩を揉んでもらえる。さらに、お父さんは肩たたき券を集めて、もっと大きなサービスをしてもらうこともできる・・・。
それをさらに高度化、複雑化したのが、様々なサービスだと思います。
要は何が言いたいかというと、「金が欲しい」「金持ちになりたい」と言うのなら、人がして欲しいと思うサービスを提供すればいいだけではなんですよね。
「人はこれをして欲しがっている。」とか、「これがあったら皆、便利だろうな。」などということをしてやればいいんですよ。
逆に、自分がそれをして欲しいなら、相手にも何らかのサービス券をあげなければならない。どれくらい、自分のサービス券を、相手に渡してまでして欲しいか?ということでしょう。
ただ、お金というサービス券が欲しい人が多いわけですから、人がして欲しいことを言われてやっていたのではもらえる確率は低くなります。
たくさんサービス券が欲しいなら、欲しがるであろうサービスを、言われる前に提供しなければならないわけで、かつ、満足させればなお良しです。
つまり、お金持ちになりたいなら、自分が人にどんなサービスを提供できるかを考えればいいわけです。

ところが、この論理の範疇外の事象があります。
それは、誰かの持っているサービス券を奪ってしまうこと、即ち、泥棒です。
だから、時代も国も違っていても、いつも泥棒は公権力によって厳しく、取り締まられています。
ところが、現実には、「浜の真砂は尽きるとも・・・。」ではないですが、泥棒の種は尽きないようです。
この点で、道が二つに別れていて迷うときには、倫理というのは、確実にひとつの道しるべにはなると思います。
迷わないならこの限りではありませんが、もし、迷うようなら、倫理に背かない方に行っておけば、とりあえずは間違いないということです。

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神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない

2005年04月06日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

大宇宙のなかの塵芥にすぎない自分が、なぜこのように躁鬱・憂鬱などという感情を持つのか?
最近よくそう考えます。
なぜ自分はこのように不愉快な思いをするのか?
今喜んでいる自分はいったい何なのか?
なぜ広大な大宇宙の中で、自分(達)がこのような感情を持っているのか?
なぜ、自分はぬのが怖いのか?
人は死ねばただのアミノ酸になる。それだけのことではないのか?
それではいけないのか?何が怖いのか?怖いってなんだ・・・?
日々、そう、自問しております。

人類なんて大宇宙に放り出されれば、あっという間に、自己というものを停止せざるを得ないものなんでしょう?
そう考えると、自己とは何なのか?なぜ自己というものが存在しているのか?エゴとは何なのか・・・?
私には、何だかよくわかりません。

畳の上で死のうが、肥だめの中で死のうが、「死」という一点においては、何ら変わりはないのではないでしょうか?
死んでしまえば、思考を停止し、土に帰る。

かつて、私は「神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない。」と言ったことがあります。
こういう難しい問題を考えずに、本能忠実な人ほど、神は愛でると思います。
そう確信していたからこそ、以前からこういう問題にはあまり深入りしないように、どこかで自分を律してきたような気がしております。
が、最近、「どうせ神には愛されていないんだし・・・。」と開き直り始めました。
今度生まれてくるときはカエサルになって生まれて来たいです。

ゲーテでしたっけ、あれのファウストというものについてなのですが、手塚治虫が生涯のテーマとした作品らしく、彼は三度それを漫画にしているそうですが、(一度目は空襲で生き残ったとき、二度目は手塚プロを設立したものの、彼の理想を追い求めすぎたがゆえに倒産し債権者に追われたとき、三度目は死の直前、病と闘いながらだそうです。よほどあの人の中では何か感じるところがあったのでしょうね。)その三番目のファウストのなかで、彼は主人公の口を通して、「生きる、こいつはどういうことだ?生き物、こいつの本質は何なのだ?」ということを言っていました。

これは、うまく言えないのですが、「我々はいったい何なのだ?宇宙の中からみれば、ただよっているチリの一つと何の違いがあるのだろうか?ただ、そのチリが自己というものを持っていることだけは確かである。」という、最近、よく私が感じている物と近いのではないですか?
師よ、見放したもうな!

最後に一句。
昔、うちの子供がまだ家内の腹の中にいるときに、よく動いており、そのときに詠んだ句です。
「五月雨に リズムを合わせ 胎児蹴る」 平太郎

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草木も芽吹く季節、我、何処へ向かう・・・

2005年03月30日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

先般来、申し上げております方向呈示の件、やっと、的確な表現が見つかりました。
「戦略から戦術を導くことは出来ても、戦術の積み重ねが戦略を形作る事は少ない。」
戦闘→戦術→戦略→目標→目的
これらをつなげた物こそが方向性であり、これに一貫性を持たせるには上位を決定する必要があり、その為には思想という物の裏付けが必要。

孫正義という人が凄いと思うところは、先に目的地を明らかにすることです。
ピンポイント物事の本質を見抜く能力と言ってもいいのかもしれません。
彼ほどにはっきりと、「どこに向かうんだ!」と言うことを表明したオーナーはいないように思えます。
皆、積み上げていく課程で目的地が見え始めることはあっても、孫さんのように先に目的地を示し、逆にそこへ行く為にはどうするということを、あそこまではっきりと明示できる人は始めてみました。
当たり前のように見えて、これは本当に凄いことです。
具体的に言うならば、「世界一の球団にする。」→「選手の年俸はもっと上げていい。」「給料でアメリカに負けていたら、日本のプロ野球はアメリカの二軍になる。給料はアメリカ並みにして向こうから優秀な選手を逆に呼ぶべきだ。」「ドラフトもウェーバー制にする必要はない。」→「それで黒字に出来ないのは経営者の泣き言」→「黒字に出来ない企業には退場してもらうべきだ。」etc・・・。
私もこれほど明確に目的地を指し示し、そこへの道を明示する経営者は始めてみました。

大軍の統帥とは方向明示して、後方整備する。」と言いますが、これほどの方向感覚を持っているのは、日本では吉田茂以来じゃないですか?!
もっとも、中内ダイエーが来たときと、少しバブリーな雰囲気は似てなくもないですが・・・。

顧みて、我、何処へ向かおうとしているかと問われたなら、道は見えず。
嗚呼、我が身の愚鈍が嘆かわしい・・。

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