6/14付の私のブログで紹介した「不幸になってくれたらうれしい」というトラック時報の記事。
続編の記事をアップします。
「人間は皆ひとりだよ」
「国難」とは、
震災後、4か月を経過して最近考え込んでしまいます。
募金(物資提供)を1回して終える人。
被災地を観光地と履き違え、見物だけに行く人。
節電だけをする人。
そして、わたしの行動も。
果たしてそれぞれが国難に立ち向かっているのでしょうか。
そもそも国難と思っているのか。
よくわかりません。
私も国難を被災地で五感を使い感じているのに、
よくわかりません。
自分ごとでないと感じないくらい、感覚がマヒしているとは思いたくありませんが・・・
情けないことです。
私も人間は死ぬ時も独り、独りなんだと実感します。被災地の親戚祖母のもとに行く勇気もなく、トラウマで断られてそのままです。社長は、いち早く駆けつけ皆を震災の痛手から、救った男性のマザーてれさです。決して無駄後悔する余地はありません…誰かれ出来る事ではないです。
社長は、少しお疲れになられたのです。
関東みたいに平和な土地ではわかりません。そう思いました。自分も含めて罰当たり。社長は報われます!
私はそんな立派な人間ではありません。
国難に際し、ただの通りすがりで、持っているものを差し出しただけです。
俗世間で矛盾にまみれて、小心に生き、自問自答しながら自己満足に走っているだけの弱い人間です。