帰雲城址跡(かえりくもじょうしあと)
萩町合掌造り集落の北はずれにある小高い丘(萩町城址跡展望台)は
かっては南朝の公家たちが隠れ住んだ城といわれているが
その後、戦国時代の武将の居城となったところ。
典型的な山城で、北・南・西の3面が絶壁という高台。
天正13年(1585)の大地震のため、城も人も城下町の300軒余も
飲み込まれてしまい、何もかも きれいに消え去って
その位置さえも、わからなくなってしまったと言われています。
寛正5年(1464)帰雲(かえりくも)城主内ヶ島氏の重臣
山下氏勝が築いて移ったと伝わるが、今は跡形もなく何も残っていない。
眼下に合掌造り集落が広がる展望地で大人気ですが
展望地の周りは、この写真のように、本当に天正13年の大地震で
何にも残っていなくて、改めて大地震の被害の大きさが実感できました。
去年の東日本大震災のあの日の記憶がよみがえり、恐くて体が震えます。
この帰雲城址跡・萩町城址跡展望台は災害を忘れてはいけないと
教えてくれているのでしょうね。
天災の恐ろしさをあらためてこの場に立って理解いたしました。
内ヶ島氏は金山を採掘していたことから、黄金埋蔵伝説が生まれ
今も発掘に夢をかける人も少なくないとのことです。