稲架小屋と池のある家 2011-12-29 09:09:22 | 日記 人が住まない合掌造り小屋 白川郷の集落内には人が住まない合掌小屋もありました。 刈り取った稲を干す。 板倉 稲架小屋 小さな小屋でも豪雪地帯なので、屋根は茅葺き屋根で建ててあるのですね。 池のある合掌造り集落 白川郷のメーンストリートは本通りだが、脇道である東通りの田の間を通る 田園の中の合掌造り集落を歩くと、池のある家が多い事に気づきます。 これは融雪池と呼ばれ、雪下ろしした後の根雪を融かすために設けられたという 小さな所にも知恵が生かされています。
明善寺 2011-12-29 08:45:58 | 日記 明善寺 脇道の東通りを歩き、大きな桜の木が見えてくると明善寺です。 明善寺は江戸末期に建てられた鐘楼門が茅葺き屋根という珍しいお寺。 本堂も明善寺郷土館となっています。 庫裡(くり)も、白川郷の中では最大級の大きさを誇る建物です。 白川郷ならではの珍しい合掌造りの寺。 延享5年(1748)創建の浄土真宗の古刹 鐘楼門、本堂、庫裡が合掌造りで、村や県の指定建造物となっています。 特に庫裡は集落内でも 約230年前に建てられた 最大規模の五層構造をなしています。 二階は生活用具などを展示する郷土館として公開している。 萩町の合掌造り集落を見守り続ける古刹です。
神田家 2011-12-27 11:12:42 | 日記 神田家 神田家は 国の重要文化財和田家の次男である和田佐治衛門が分家し この地に居を構えたのが始まりです。 この地には産土八幡宮の「神田(しんでん)」があったことから、 苗字を神田と改め、神田吉右衛門を襲名しました。 当合掌造りは江戸後期に石川県の宮大工により、十年の歳月をかけて 建造されたと言われています。 それまでの合掌造りの構造を受け継ぎながらも、新しい技術を 取り入れ改良し、完成度の高いつくりと評されています。 文政年間に和田家より分家し、硝煙(火薬)生産や養蚕業で栄えた。 合掌造りの建物は江戸時代後期に宮大工によって10年間の歳月をかけて 建てられた合掌造りの家です。 昔ながらの構造を受け継ぎつつ、宮大工の知恵と技術で改良された独特の 構造を目の当たりに出来ます。 合掌造りの屋根の支え、耐震の役目を果たす「駒尻」など知恵が結集されています。
萩町城址展望台 2011-12-24 14:31:48 | 日記 写真中央のひときわ大きな家が和田家になります。 萩町城址展望台 白川郷・萩町集落内を散策するのもよいが、まず、一番に萩町城址展望台に上がりたい この展望台からの眺めは筆舌に尽くしがたいほどの絶景、必見ですよ きれいに建ち並ぶ合掌造り集落を全景スポットから、一望の下に眺めることができ 世界文化遺産となった景観の美しさを実感できます。 まるで昔話の世界のよう、誰もがそう思うはずで、絵に描いたように佇む合掌造りを 見て、思わず歓声があがります。 個々の合掌造りの家屋の建築を見るより、なぜ、ここが世界遺産に 登録されたのか理由を知るにも、この場所からの全景が必要だからです。 萩町城址展望台のすぐ近くには、別の展望台があります。 太閤閣というレストランの私有地だが、所有者の好意で無料開放されています。 遺跡石碑がある展望台より、こちらの方が見晴らしがいいので昼間は観光客が多い シャトルバスもここで下ろされます。
「合掌造り」の名の由来 2011-12-24 14:06:12 | 日記 「合掌造り」の名の由来 白山から続く山々に囲まれ庄川が造り出した河岸段丘のわずかな平地に集落が点在する。 まさに秘境という言葉どうりの山村。 村内には114棟もの合掌造りの建物があり、田畑や水路、周囲の山林まで 昔懐かしい日本の農村風景が守られている。 豪雪地帯で合理的に暮らせるよう、工夫された合掌造り、雪の重みに耐え 雪おろしの負担を軽減するために、屋根に傾斜をつける。 ほぼ60度という急勾配の屋根が両手を合わせたように、三角形を描いている ことが「合掌造り」の名の由来。 合掌造りの家屋で囲炉裏は大切な役割を果たす。 煙が屋根の内部全体に行きわたり、梁や柱、屋根の茅を燻して長持ちさせるのです。 また、蚕棚を暖める役割もしていた。