旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

山内一豊と妻千代

2011-12-08 14:58:25 | 日記





山内一豊と千代

 戦国時代末期 遠藤盛数が郡上統一を果たし、八幡山に砦を築いた

 のが、始まり。

 山内一豊の妻千代はこの遠藤氏の娘と伝わる。

 妻千代は弘治2年(1556)初代郡上八幡城主遠藤盛数の

 長女として生まれる。

 千代は尾張の山内一豊の許へ嫁ぎます。

 山内一豊は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と時の覇者たちに仕え

 最後には土佐藩初代藩主・24万石の大名にまで昇りつめた武将。

 有名なエピソードに山内一豊が「馬揃え」を目前にひかえて

 困っていたとき、妻千代は鏡台から10両を差し出して

 駿馬を買わせ、それが信長の目にとまり、山内一豊の出世の糸口になった、

「内助の功」として知られる見性院(千代)

 司馬遼太郎氏は山内一豊と千代を主人公に小説「功名が辻」を著し

 NHKの大河ドラマで放送されました。

 相棒と以前に旅行した南国土佐と郡上八幡 遠く離れているが

 関係があったのですね。

 見性院(千代)の方は俗にいう あげまんと言われる女性ではないのでしょうか?

郡上八幡城

2011-12-08 14:17:11 | 日記





郡上八幡城

 標高354mの八幡山山頂にある。

 別名「積翠城(せきずい)」とも呼ばれる

 永禄2年(1559)に遠藤盛数が建てた城。

 以来、五家十九代 400年以上にわたって、郡上八幡の町を

 見守ってきた。

 明治4年(1871)廃藩置県とともに、廃城となった城は

 取り壊されました。

 現在の城は昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され

 木造4層5階建ての天守閣は木造の再建城としては日本で最も古い。

 再建された城でありながら、司馬遼太郎氏はその著である

 「街道をゆく」の中で「日本で最も美しい山城であり、

 隠国(こもりく)の城」と評されています。