山内一豊と千代
戦国時代末期 遠藤盛数が郡上統一を果たし、八幡山に砦を築いた
のが、始まり。
山内一豊の妻千代はこの遠藤氏の娘と伝わる。
妻千代は弘治2年(1556)初代郡上八幡城主遠藤盛数の
長女として生まれる。
千代は尾張の山内一豊の許へ嫁ぎます。
山内一豊は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と時の覇者たちに仕え
最後には土佐藩初代藩主・24万石の大名にまで昇りつめた武将。
有名なエピソードに山内一豊が「馬揃え」を目前にひかえて
困っていたとき、妻千代は鏡台から10両を差し出して
駿馬を買わせ、それが信長の目にとまり、山内一豊の出世の糸口になった、
「内助の功」として知られる見性院(千代)
司馬遼太郎氏は山内一豊と千代を主人公に小説「功名が辻」を著し
NHKの大河ドラマで放送されました。
相棒と以前に旅行した南国土佐と郡上八幡 遠く離れているが
関係があったのですね。
見性院(千代)の方は俗にいう あげまんと言われる女性ではないのでしょうか?