viento y sol

過ぎ去りし日々の物語を、そして尾張の国から吹く”風”を・・

秋桜

2022年09月27日 | corazo'n

コスモスの花が咲いた

 コスモスは去った

Adios adios y adios

長い間ありがとうございました。完


過ぎ往く春

2022年04月21日 | weblog

尾張の里の朝夕は未だ冷えて暖房が要る。
それでも日中は暖かくなりオイラ老不良も
そろりと散歩に出かける。
道端に咲く小さな野草の花を摘んでミニチュアグラスに
挿してみた。

これが、往く春への惜別セレモニーだ。

 


2022年03月30日 | weblog

 桜が咲いた。
 ウグイスの鳴き声が聞こえた。
 広いお庭の木々のあるお屋敷がある。

 ウグイスの鳴き声は、毎春このお庭から
 聞こえてくる。お屋敷近くの川沿いの道は
 風の通り道だから、ウグイスは風に乗って
 来るのだろうか。


生け花

2021年12月10日 | weblog



師走の昼下がりミニチュアの生け花を
作ってみた。
近くを流れる川に何時もの年なら来るはずの
水鳥の姿がない。どうしたのだろう。

窓外は小春日和、尾張の里は今年も
穏やかに暮れて行く。

 


晩秋

2021年11月14日 | weblog


 春が過ぎ雨季が来て夏が去って気が付けば晩秋。
 やがて冷たい北西の風が吹き始めるまでの
 晩秋の尾張の里は最も物静かな季節だ。

 アタカマ砂漠あたりで負うた古傷が軋みだし
 関節のチタンボルトが金属疲労で破損していた。

 夏の終わりにチタンボルトの補修工事を終えて
 今は筋肉を鍛えながら
 なにも良いことがなかった今年を終わろうかと。 
  
 


桜木の下で

2021年04月03日 | weblog

 秋 華やいでいたコスモスもやがて
 冷たい秋の雨に打たれ枯れ倒れてゆく

 春 咲き誇る櫻花もやがて風雨に打たれ
 静かに散ってゆく

 桜木の下で考える
 やがて訪れるゲームオーバーの時を
 いましばらくは老不良で生きつづけ
 桜木の下で笑いながら酒を飲もうと






 
 
 


枯れ野

2020年12月25日 | weblog

 冬至の頃、枯れ野の果てに沈む夕日は限りなく赤い。
 まるで北風にあおられた炎のように染まっている。

 晴れた日の日中は小春日和の温もりを感じるが
 陽が落ちる時刻の尾張の風は肌を刺す冷たさだ。
 今年も後わずかで大晦日。
 何故か過ぎ去った日々の記憶や思い出が薄い。
 新年は、こころ健やかに過ごせる年であるようにと。

 尾張の里は今年も穏やかに暮れてゆく。

 

 


夏の終わりに

2020年09月26日 | weblog

 

     夏の終わりに見た夢は
  アンデスの奥深く漆黒の闇の中
  風に吹かれて
  満天の星空を眺めながら眠る夜

  同じような夢は過去、何度も観たような
  気がする。
  争いのない、格差の小さい、騒音のない
  そしてウィルスなどない、静かな空間と時間。
  オイラの見果てぬ夢か

  古代インカの王は何処に眠っているのやら。


沈黙の5月

2020年05月28日 | weblog

 

  鳥の声を聴くこともなく花を静かに愛でることもなく
  沈黙の5月も終わろうとしている夕刻。
  せめて静かに暮れ行く西の空を黙って見ていれば
  変わりゆく世の中を一瞬忘れることもできるだろうかと。

  やがて6月になれば雨の季節
  人々の暗くてやるせない気持ちを洗い流して
  くれぬものかと。
  そして明るい希望の夏が来ないものだろうか。


早春

2020年02月05日 | weblog

 

  早春賦
  春は名のみの・・と
  この時節の空気は凛として冷たく
  澄み切っているものだが、
  この冬は関ケ原を抜けてくる雪雲も
  見えず初雪もいつのことやら。

      と思っていたら突然、強い風に乗って
  今夜は雪の予報。
  だらけきった老不良の脳細胞も少しは
  引き締まったような気がする。

  北海道産の蕗の薹で作った蕗味噌で
  今宵は静かに呑むことにする。  

  


冬枯れの小径

2019年12月10日 | weblog

 

  

   川面に水鳥が浮かんでいる堤防近く、
   冬枯れの小径は静かな散歩コースだ。
   何年か前の春、この辺りで雉の鳴き声を聞いたし
   イタチに似た小動物も見かけたが
   何処に行ってしまったのやら。

   今年も尾張の里は何事もなかったように
   静かに暮れてゆく。

   冬枯れの堤防歩く独り影 老不良駄句


立冬過ぎて

2019年11月17日 | weblog

 

 

  この秋は雨が多く気がつけば立冬も過ぎて
  山裾の紅葉はと思い立って出かけてみたが
  季節は過ぎ去っていた。

  山裾の何時も立ち寄る年老いた母親と寡黙な息子らしき
  二人の店で、地元の漬物と熟柿を買い求めて
  帰る頃は陽が落ちて冷たい風だった。

  また気ぜわしい師走がやってくる。


梅雨の晴れ間に

2019年07月16日 | weblog

 

   
    
  雨の季節はオイラ老不良の自律神経も湿りがちだ。
  梅雨の晴れ間にウトロウトロと居眠りをし
  夢を見ていたような気がしたが
  どんな夢だったのか思い出すことができない。
  
  窓外の雲はアコンカグアの夕日のようにも見えるし
  サンチァゴで見るアンデスのようにも思えた。

  梅雨が明けたら暑中見舞い状を作るつもりだ。

  


山麓

2019年04月23日 | weblog

 

  

   山麓 山ふところ
   桜はもう散っていて人影のない河原に鯉のぼり。
   桜の季節と云っても、山肌のところどころに
   一本、二本と桜が咲いているだけで
   大勢の人が酒を飲みながら花見をする場所ではない。

   リュックを担いでこの山を歩いた頃もあったが
   今はもう山すそにある店で地元の漬物や
   草餅を買い求め帰ることになる。
   紅葉の頃にまた来るつもりにしている。
   
   
   


おぼろ梅の春

2019年03月03日 | Weblog

 

  

   おぼろ梅などと云う梅はないと思うが、勝手に名付けてみた。
 川面に浮かんでいた水鳥もいつの間にか飛び去り、春。

 この冬をどう過ごしてきたかと思ってみたが
 七草粥、いつもの蕗味噌、そして節分の豆まき
 その他はたぶん、だらだらと暮らしていたことになる。

 弥生三月となれば、”茶の湯”を始めるつもり。
 いかなる茶道かは、表千家か裏千家か知らぬが、
 オイラは”なんにも千家”流で・・・?