ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

希望がなければ生きられない

2005-03-18 | 中川健一のおはなし
◆3月号◆希望がなければ生きられない

 1月中旬に、あるグループを案内してイスラエルを訪問しました。現地に到着した日に、私たちはエルサレム郊外、ベテシェメシュという町にある小学校を訪問しました。
 日本のことを紹介して欲しいとの要望がありましたので、次のようなものを準備していきました。
(1)ヘブル語で『黄金のエルサレム』、日本語で『ふるさと』を練習。
(2)女性3人と男性1人が着物を、また、別の女性1人が浴衣を用意。
(3)折り紙、羽子板、お手玉など、日本の伝統的な遊びを用意。
(4)日本のお菓子を全員に行き渡るように持参。
 
 さて、実際に行って、驚き、感激しました。全校生徒約250人のこの小学校は、異文化と外国語の学びを強調している学校だそうで、正式名称を「文化と言語の小学校」と言います。英語は小1から、アラビア語は小4から学び始めるそうです。今回は、私たちの訪問に備えて2週間前から日本のことを勉強していたそうです。
 校長先生に迎えられて校舎に入ったとたん、本当に驚きました。生徒たちが制作した作品が、玄関から集会室に至る廊下の両側に展示されていたのです。折り紙を折ったもの、うちわや扇子、自分が想像する日本の姿を描いた絵などが並んでいました。
 次に集会室に通されました。そこには、子どもたちが全員集い、私たちが来るのを待っていました。父兄の方々も数人見学に来ていました。私たちを歓迎するための歌や踊りが披露されました。歌は、日本語のものまでありました。子どもたちの仕草や踊りがかわいくて、なんとも言えない幸福感にひたりました。
 
 それが15分ほど続いた後、今度は私たちの番となりました。3人の女性が着物を着て登場すると、余りの美しさに、どよめきが起こりました。ヘブル語の黄金のエルサレムも大好評でした。次に、男子生徒1人、女子生徒1人に前に出てもらって、浴衣と着物をその場で着せました。これは大いに受けました。お手玉、羽子板も大好評でした。私たちの訪問は、250人の子どもたちに大きな印象を与えたと思います(この様子は、4月第1週にハーベスト・タイムの番組で紹介されます)。
 後で聞いたことですが、この学校は市立の小学校なのですが、その運営については先生と父兄とが定期的に協議をしながら進めているそうです。また、言語の学び、そして異文化の学びを通して、世界中の人たちとの相互理解の推進を願っているとのことでした。先生方と父兄たちの姿を見ながら、この国の人たちは子どもたちの中に将来の希望を見出していることを強く感じました。と同時に、日本の現状はどうかと考えざるを得ませんでした。私たちは、日本の子どもたちの中に将来の希望を見出すことができているのでしょうか。
 
 日本は物質的には豊かになりましたが、精神的には貧しくなっているのではないでしょうか。自殺者は年間3万5千人を越え、「引きこもり」は、少なく見ても全国で41万世帯に事例があるといわれています。不登校は、小学生で約3万人、中学生で約12万人いるというデータがあります。仕事もせず、学生でもない「ニート(NEET)」と呼ばれる若者たちの数は、約52万人にも達しています。このような日本に、将来の希望はあるのでしょうか。
 聖書には、あらゆる問題に対する回答があります。聖書は、「人間の問題に対する神からの答」だからです。「使徒の働き」2章には、キリストの一番弟子であったペテロが語った、教会時代最初の伝道メッセージが記録されています。その内容は、人間が抱える問題への解答となっています。ペテロのメッセージは、次のように要約することができます。
 

(1)イエス・キリストこそ究極的な答です。

 ペテロはイエス・キリストを、十字架に付けられた方として紹介しました。十字架刑は、ユダヤの死刑でなく、ローマの死刑です。木に架けられるとは、呪いを意味しました。つまり、イエスは私たちの罪のために、自らの身に呪いを受けて死んでくださったということです。
 さらにペテロは、イエス・キリストを復活された方として紹介しました。イエスの復活は、旧約聖書の預言の成就です。復活されたということは、今も生きておられるということです。
 そしてペテロはイエス・キリストを、信者に聖霊を注がれる方としても紹介しました。ペンテコステの日に教会が誕生したのは、イエスが信じる者たちに聖霊を与えてくださったからです。
 このイエス・キリストは、今も生きていて、私たちの抱えるどんな問題でも解決してくださるお方です。
 

(2)問題解決の条件は、キリストの招きに応答することです。

 聖霊は私たちの罪を示し、私たちを神に導いてくださいます。神に近づくためには、神が用意された方法でなければなりません。神の方法とは、イエス・キリストの十字架を通して神に近づくということです。今までの生き方を180度方向転換し、イエスへの信頼を告白することです。聖書に約束されている魂の平安を受ける秘訣は、「聖書のことば」を実行すること、また、神の命令に従順であることです。困った時だけ祈るような歩みではなく、常にイエスを思いながら生活することです。
 「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです」(第一ペテロ1:21)